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標準化を怠った企業の末路

仕事をしていると、”誰でもできるように仕組み化”しなさいという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?

”誰でも”とか”仕組み化”と急に言われるとなんだか難しいような気がしますが、そんなことはありません。アンケート用紙やディスプレイで注文する飲食店も仕組み化された結果です。

そして誰でもできる仕組みを作ってルーチンを回すというのは企業活動の上で一番重要なことの一つかもしれません。

今回は、そんな”誰でもできるような仕組み化”、つまり仕事の標準化について考えてみたいと思います。

仕事というのは標準化すること

こちらの記事によると、仕事というのは目の前のタスクに対して「手を動かすこと」ではなく「自分がいなくても回る仕組みを作ること」だそうです。

これには異論がある人もいるかと思いますが、一理あると思います。この記事では仕事の平準化と言われていますが、まさにこの仕組みを作ることこそが企業活動において欠かせない仕事だといえるでしょう。

上記の記事のサイボウズでは、標準化することこそが仕事だと言われていますが、逆に仕事の仕組み化を怠った場合、企業はどうなっていくのでしょうか?

今回はそんな標準化を怠った企業の末路について書いていこうと思います。

標準化を怠るとどうなる?

私の勤めてる会社も全く標準化されていないかと言われればそうでもありません。しかし十分に標準化されているか?と言われれば不十分でしょう。

そんな標準化が進んでいない職場では似たような仕事が連日繰り返されています。もちろんここでの仕事というのは仕組み化ではありません。非効率な単純作業です。

例えば、数か月前に誰かがやったとある製品Aの手続きと同じことを別の製品Bで他の人がやることがあります。数か月前は製品Aのみ手続きが必要で、製品Bは不要だったんだから仕方がないじゃないか、と言われそうなものですが、製品Aで一度やった手続きをフォーマットやマニュアルとして残しておけば、製品Bで一からやり直す必要はありません。少なくとも2度目はずいぶんスムーズに進めることができるでしょう。しかし、そんなことはしていません。誰も仕組み化するという考えがないのです。

ここでは手続きと書きましたが、私の職場でいえば一般的な事務仕事です。全く同じ事務処理をするのであれば、標準化された方法があってもよさそうなものですが、それがないため新しく実施する担当者はわかる人に聞きながら仕事をすることになります。これが標準化を怠った企業で起きている現実です。

標準化されていれば、煩わしい事務仕事を繰り返す必要もありません。もしかしたらシステムに代行させて自動でできてしまうかもしれません。

残念ながら標準化を怠っていると自動化なんて夢のまた夢ですし、社員は同じような事務仕事を時間をかけて”何度も”行わなければなりません。そしてそんな単純な事務仕事を繰り返して得られる市場価値はほぼ皆無なので、モチベーションも上がりません。

加えて標準化する文化がなければ、「標準化はするものである」と考えている人もいません。同じ事務仕事を繰り返すことに疑問を感じる人もいないのです。そのため皆同じことを繰り返すだけの超非効率集団が出来上がります。まさに冒頭の記事で挙げたような標準化をせずに目前のタスクに対して手を動かしているだけの集団です。私が入社した時の職場はそんな感じでした。

声を上げようにも新人にはどうしたらいいのか分からないので、手の打ちようがありません。

ビジネスモデルだとか、利益率だとか、企業ではお金についての話題が出がちですが、それ以前にこの超非効率な仕事の仕方をどうにかしなければならないと思うのは私だけでしょうか?

標準化を進める文化は生まれる

標準化されていない職場では無駄が多く、非効率に人が日々働いています。
標準化されている業務に関しても、自浄作用が働かないため、非合理な進め方であっても、改善されることがありません。

こんな悪循環な職場ですが、最近少しずつ風向きが変わってきたと思います。1つには、続々と人が減っていく中でも仕事量が減らず、ついに非効率な仕事の進め方が限界を迎えたというのが理由としてあると思います。

それに伴い、声を上げる人が出てきて、仕事を標準化するような動きが生まれています。例にもれず私も非効率な業務プロセスに対して、改善策を打ち立てています。

業務プロセスというものは、一朝一夕に改善されるものではありません。改善したと思ってもより良い方法が見つかったり、技術の進歩に応じて柔軟に変えていく必要があるからです。

そのため業務プロセスを改善するには多大な時間と労力がかかります。そうはいっても、動かなければ何も始まりません。声を上げる人が増えていけば、本当の仕事である標準化が当たり前になっていくでしょう。

事業会社であればプロダクトやサービスを提供するものだ、と考えられています。確かにそれは正しいんですが、仕事を標準化して効率的な社内の業務プロセスを作るという視点に立つ人が極端に少ないんですよね。そんな中で仕事を標準化することができる人は貴重な人材なので、何かと重宝されます。

そうして、改善活動が日常の中にあふれれば、普段の仕事はよりクリエイティブになり、面白いものになるはずです。きっとそれは市場価値という観点から見てもポイントの高いものになると思います。

最後に

令和になっても職場はまだ昭和の空気が流れています。きっと一生懸命働いて長時間会社にコミットすることが最大の価値と思われていた名残が残っているのでしょう。

もちろんがむしゃらに働くことの重要性は理解していますが、一生懸命働くことと非効率に働くことは話が違います。効率的に一生懸命働くためには、まずは仕事の標準化が先決です。

一つ一つの仕事を標準化して、仕組みとして回ればそれ以降自分以外の人が同じ仕事を行うことができますよね。そうして自分自身はさらに上のレイヤーの仕事に着手するといういい循環ができれば職場はよりよく回るはずです。

私一人が頑張ってもたかが知れていますが、少しでもまともな職場になれば嬉しいものですね。

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