成功するタメにはプラットフォーマでありデベロッパでありユーザーでないといけない時代になったんですね!(前編)

「さよならメインストリーム」というイベント?勉強会?カンファレンス?まぁそんな感じのに行ってきました。ぼくの結論はタイトルが全てです。

内容は基本的には発散的だし大分gdgd感を覚えましたが、タイトルに「解なき」とあるように、解のない世界でどうやっていくのか?問題提起と、個々の人々・組織がどうやっていってるかを発表するイベントでした。

このイベントでは個々人が考えることがとても重要なのだと理解したので、今回の記事では僕自身の考えについてまとめてみます。ただ、分量が激しすぎるので、前編としていったん半分を記事にしました。後編書く気力が……。

イベントの趣旨

ダイバーシティー(多様性)が叫ばれる昨今、様々な個を尊重できる環境のために何が必要か?大量生産・大量消費の構造では、そこについていけない人は置いてけぼりにするので、マスを相手にするような安直な解はダイバーシティーを損ないがちになります。

このイベントは、渡邊恵太さんが提案するPDU(Platformer / Developer / User)という切り口を使って、ダイバーシティーを実現するための設計論について語るものです。

PDUの対比としてMC(Maker/Consumer)という構造を説明しています。要するにこれまでは「メーカー様が作ってるもの」を「消費者がバクバク食う」世界だったけど、今の時代、単に消費するだけじゃない構造に変化していっているというものです。

MCの時代からPDUの時代への変化

ほんの20年、30年前はメーカー様がご提供してくださる環境を使って開発し、メーカー様と一緒に心中するみたいな世界当たり前だったのが、OSSの登場によって、メーカー様のご都合に心中しなくても済む(やろうと思えばforkしてメンテなり自由にできる)時代になったよねっていうことだと思っています。

Mという絶対的なコントローラがいてCという被支配者がいたような階層構造とは異なり、PDUは以前よりは遙かに流動的です。Uが簡単にDに変わりうるし、それを促すようなプラットフォームを心がけることも多く、また個人がPになり得るものです。

まぁ、実際にはGAFAMのようなあまりにも強すぎるプラットフォーマーがいる点は今でも変わりませんが、あのMicrosoftですら昔の邪悪だった頃から考えると遙かにデベロッパーやユーザーに歩み寄っています。

渡邊恵太さんが提案するPDUでは、PlatformerはDeveloperにDX(開発者体験)を提供し、DeveloperはUserにUX(利用者体験)を提供すると定義しています

当日のTwitterハッシュタグ #PDUデザイン でも散々指摘されていたのですが、PDUピラミッドという階層構造はおかしいのではないか?むしろPDUというそれぞれの属性がある構造なのでは?というものがあります。

僕はMCの時代からPDUの時代に変わったのは、ピラミッド構造自体がある程度通じないモノになったのではないからなのでは?と考えています。ダイバーシティを考えたときに堅牢なピラミッド構造は多様性と反対を行くものだと認識しています。

メーカー根性が全く抜けない日本企業

日本企業が何かしら海外の文化を取り入れようとすると微妙なナニカになる現象が多くありますが、ハッカソンやアイデアソンみたいなのもそうで、自分たちがDとしての立場で開催してDの立場の人たちにハッカソンの場を提供している構造になってしまっているという指摘がありました。

いってみれば、はした金か無料の下請けを使ってるようなもので、日本のメーカーが好きな奴ですね。

「物作りの国」を自称している割にメーカーは物作りが本当に好きなのか?という指摘もありました。現場の物作りの人たちはともかく、少なくとも上層部になると手を動かすプレイヤーはおらず、技術も製品も、技術の観点で評価をしない傾向が強いためです。

もちろん技術は手段ではあるのですが、今の世界は技術力、とくにソフトウェア技術力でほとんど全てが決まってしまいかねない状況で、技術をないがしろにするのはあまりにも愚策です。

この時プラットフォーマーとしてデベロッパーにDXを提供するという視点を持ってさえいれば、技術や技術者をないがしろにするという発想には至りません。

プラットフォーマーがハッカソンをやるのであれば、プラットフォームを使ってもらうタメのイベントになり、少なくとも下請けを買いたたくようなくだらない構造にはなりません。

(プラットフォーマーが搾取をしないとは言わない)

そもそもPはDでもUでもある

たとえばGoogleは技術で問題を解決する会社として有名です。マネジメントすら、内部にためたデータを分析して科学的に解決しています。みんながソフトウェア開発者であり、運用業務すら、インフラ屋ではなくソフトウェア開発者が運用を行い、燃え尽き症候群を防ぐために運用業務という概念をSREというものに発展させたりしています。

Googleは惑星規模のプラットフォーマーです。全世界に自前の光ファイバー網を引いて、全世界にデータセンターを置いて、全世界でサービス提供を行っています。ただ、同時にGoogler(Google社員)はやはり世界でも最高のデベロッパーです。プラットフォーム上で動くソフトウェアを開発し、ユーザーにUXを提供しています。

サービス作りが下手くそで、わりと簡単にサービスが終了してしまう点はあるものの、デベロッパーとしての技術力が高いこと、デベロッパーとしての存在であることのこだわりは並大抵のものではありません。

惑星規模の分散基板(borg)作ってその一部が、GCPとしてサービスされたり、k8sみたいなOSS化したり。

そしておそらくGooglerの大半も普通に熱狂的なGoogleのユーザーです。

いくつかのセッションで言われていたのが「自分のところの製品やサービス好きじゃなかったら、そもそもマトモなもの作れるの?」というものです。ドッグフーディングしない、つまりユーザーとしての立場を持たないデベロッパーが作るものにときめくわけがありません。

メーカー根性が抜けない限り、Pとしての視野を持ち、同時にDとUを大切にする、そもそも自分たち自身が熱狂的にD/Uであるという領域にはたどり着けないかもしれません。(メーカー勤務だと自社製品使ってたりするかもしれないけど、でもそれ本気で愛して使ってるんですかね)

プラットフォーマがデベロッパにDXを提供するとき、自分自身がドッグフーディングしないプラットフォームなんて、良いDXも得られないでしょう。

プラットフォーマがどうデザインしているか?

さてウェブサイトでの例示にGAFAMがあったように、プラットフォーマというと、そういうタイプの企業のことを指すのかと最初は思っていたのですがプラットフォーマとしての立場でセッションを行ったのが、我らがNoteのfladdictさんと、Scrapbox/GyazoのNota inc 洛西一周さんでした。

日本でGAFAMが例示されるようなプラットフォームというと任天堂やソニー、あるいはAIプラットフォームとしてのPreferred社みたいな会社かな?と思っていたのですが、後で振り返るとかなりしっくり来るセッションでした。

NoteにせよScrapboxにせよ、記事を書く人がDという立場で、読む人がUという立場に該当します。どちらの会社もDとUの区別をあまりしない、垣根をなくす施策をしているとのことです。

(余談:セッションを聞いたときにDとUを明確に分けるのはなんかおかしいなーという印象は強かったのですが、そもそもイベント全体がそういうことを考えるイベントだったわけで、自分の感想も渡邊恵太さんの手のひらの上なのでは????という結論になりましたw。)

MCではなくPDUの時代において、DX/UXを上げるためにはプラットフォームがどういう文化を提供するか、どういう文化を促すか、どういう文化の提供をサポートするか?という考えが必要になります。

エンジニアがブログを書くときに、技術ならQiitaだろ?いや最近のQiitaは微妙だからdev.toに行って英語で記事書くぜ!とかMediumでいいんじゃね?とか原点回帰ではてブロ書くかみたいになったりしますし、Scrapboxの熱心なファンもいます。

僕は、コードがメインじゃない技術関連の記事は、試験的な理由でNoteに書いています。

プラットフォームの選択肢がいっぱいある以上、どれを選択するのかは、好みです。どの文化が自分に合うか?で選択するでしょう。

文化以外の点では、文学やエッセーを書くひとにとっては、出版社との提携もしているNoteは魅力的なはずです。少額のマネタイズができるプラットフォームとしての夢もあります。

日本は法律ががんじがらめなせいで、カジュアルに個人がマネタイズできるプラットフォームを作るのはそれなりに困難です。

fladdictさんと洛西一周さんのセッションで面白かった話

NoteもScrapboxも炎上対策を意識してるようで、ランキングシステムとか治安悪くなりやすいよねみたいな話をしていた点は面白かったです。

僕みたいな悪いインターネッツ原住民からすると、いいのも悪いのもひっくるめてインターネッツだろうと思ってるけど、入り口部分とか表に出やすい部分の治安を守ることは大切だとは思います。

あとは「汎用性には、プリミティブなものとマルチプルなものがある」という言い方が面白かったです。前者はネットミームでいうところの「一方ロシアでは紙と鉛筆を使った」みたいなヤツで、後者はキッチンシンクアプローチ(なんでもかんでも機能を詰め込むもの)で、fladdictさんは「十徳ナイフみたいなもん」とおっしゃってました。

NoteもScrapboxもプリミティブな汎用性を大切にしているわけですが、日本のメーカーは得てしてマルチプルな汎用性を持つモノを作りがちで、無駄にボタンの多い電化製品が日本の電機メーカーが出しがちです。

プリミティブな電化製品を作る海外企業の方が、最近ではブランド価値が高くなってきているわけです。

(余談: けもフレがあそこまで爆発的にヒットした理由は、豪華なアニメに疲れた視聴者がシンプルでプリミティブな作品を渇望していたからだと思ってる)

あとは、ドッグフーディング大切的な話が最初に出たのがこのセッションでした。

ScrapboxのNota incでは社内で哲学論争が巻き起こったり、そこらへんを「夫婦げんか」と例えている話が面白かったです。熱心なファンが付くタイプの文化はこうやって発生してるのだなーという。

あとは、fladdictさんの話のうまさが尋常じゃなかった点に感動しました。

「プラットフォーマーは金KPIばかり追いかけても仕方ない。どちらかというと都市国家を運営するような感じで。むしろメディチ家になるのが良い」と言ってたのがとても良かったです。

ただ、個人的には、金をちゃんと見れる人がいないと、貧すれば鈍するとか、どこかの段階で金を考えられる人を入れることで、文化が壊れるみたいな結果になりそうだから、金を考えられる人がいることは必須だとは思ってる。

DevRelとかテクニカル・エバンジェリストの話

戸倉彩さんのセッションは、他のセッションとは違って、パネルディスカッション形式ではなかったんですが、これはこれで興味深い話でした。

デベロッパに寄り添ってDXを向上していくのがテクニカル・エバンジェリストの仕事であるという話でした。

これもプラットフォームという視点だからこそできることです。自分たちのプラットフォームによってデベロッパに最高のDXを提供したいという思いがなければ成功しません。

プラットフォームとしての魅力を高める施策としては、テクニカル・エバンジェリスト(アドボケイトとかソリューション・アーキテクトとかって言い方も)が大切なんだなーと理解した感じです。

残りは後編へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?