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印象派の誕生から考える現代レストランの現在と未来

2002年に「世界のベストレストラン50」で、スペインのレストラン「エルブジ」が世界一になったのは、それまでのアカデミックなフランス料理が本筋だった、世界のレストランシーンにとって、かなり革命的なできごとでした。

この「事件」を、絵画史における印象派の登場を引き合いにだして説明することがありますが、僕はそれにかなり賛同していて、そこから未来のレストランシーンを予測したりすることもできるのではなかと思っています。

技術革新、新しい顧客、本質の見直し

「印象派」はモネやルノワールなど、色彩が豊かで、ササっとした筆遣いが特徴。風景画や風俗画を好んで描いた、というのがザックリとした説明です。

もう一歩、印象派を西洋絵画史のなかで定義すると、美術アカデミーが定めた絵画の制作上の決まりごと(正確な遠近法、塗り残しのない画面)が、19世紀の産業革命以降の新時代にあわなくなり、若い画家たちが絵画の現代性を取り戻そうそうとした美術運動といえます。

上の絵が18世紀のフランス王室の家族の肖像画、下が印象派の画家ルノワールによる家族の肖像です。ルノワールの絵、かなりカジュアルですよね。上のような絵が正統ともてはやされていた頃に、印象派の絵が出てきたら、なんて雑で教養のない絵だ!と批判されるのは理解できますでしょうか?

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印象派が世に出始めたころ「壁の落書き」とまで言われて、批判が殺到しました。私たちが最初にウォールアートを見たときのような、文化として接したことのない若者たちのアートに、いくばくかの恐怖を覚えたのと同じような感覚だったのではないかと思います。まさに、パリ市民を震え上がらせた「事件」だったのです。

さらに印象派の運動を推し進めることができたのは、19世紀の時代性にも注目していかないといけません。

1.技術革新
それまで絵の具は画家自ら自分で作り、さらに奥がに持ち運ぶことができなかった。しかし、19世紀中頃に絵の具がチューブ絵の具が発明されると、画家たちは制作場所をアトリエから屋外に移したことで、過去の画家たちが物理的に不可能だった写生を行うことができるようになった。

2.新しい顧客の誕生
絵画の注文は王侯貴族や教会がほとんどだったが、製造業や印刷業などで財を成したブルジョワジー(新興の中産階級)が新しく絵画の顧客になり、アカデミックで保守的な作品より、若く新しい印象派の画家たちの作品を好んだ。

3.絵画の本質の見直し
それまでの絵画は、肖像画や宗教画など、3次元の世界を出来る限り写しとり、後世に伝える記録メディアとしての役割が強かったが、写真の登場で、記録メディアとしての役割を終えると、絵画ならではの表現を模索するようになり、あえて荒い筆遣いや、塗り残しなどを意図的に画面に留めることになる。

ちなみに、印象派には、ルネサンス様式や古典主義様式のような、表現的な共通性(様式)がないのも特徴です。表現上のつながりではなく、あくまであり方、存在の仕方のグループなのです。

2000年代以降のレストランシーンと見比べてみると、印象派の登場を押し上げた3つの時代性にピタリと当てはまります。

技術革新とは、レストランシーンにおけるエスプーマやパコジェットに代表されるような調理器具の登場です。また、印象派の時代には、光の三原則などが発見されるなど、自然の法則に科学的な視点が入った時期でもあります。タンパク質の凝固温度である58〜60度を意識した低温調理なども、印象派の歴史になぞらえることができます。

新しい顧客は、まさに現代のFoodieではないでしょうか。それまで口コミや常連だけで閉ざされていたレストランが、インターネットの登場で情報がオープンになり、ITやベンチャーといった新しい顧客がレストランに興味を持ち始め、新しい表現を支持するようにないます。印象派が最初に評価されたのは、本国フランスではなく、当時の新興国アメリカでした。印象派が世界規模のマーケットになっていたのも、現代料理に通じるところがあります。

絵画の本質の見直しは、これは印象派は感覚的にやっていたところがあるので、実はその後の画家たち、ゴッホやゴーギャン、セザンヌ といったポスト印象派も含めた運動になります。現代に当てはめると、旧来の家系由来のコミュニケーションが主流だった時代が終わり、テクノロジーの進歩で娯楽が多様化するなか、レストランが果たす役割が、料理を食べることから、それ以上の価値をどこに求めるのかを探求する時代になっているように思います。

1880年代のパリに似た現代のレストランシーン

印象派の運動自体は、20年ほどで終わり、それぞれの画家たちは、独自の道を歩みます。印象派から影響を受けた次の世代の画家たちは、印象派を継承しながらも否定する部分をそれぞれにもち、それを克服するような表現を進めていきます。美術史では、これを「印象派を乗り越える」と表現しますが、レストランシーンでも、「現代料理を乗り越える」動きは、これからさまざま起きてくると思います。

今後のレストランシーンを展望する上で、1と2については、行き着いたところがある一方で、3は、これからどのように進んでいくのか、まだ状況が見えてきていないように思います。

美術史の本流の流れは、このあと、形や色を画家の印象や感情を優先させる「個人の目」がピカソのキュビスムやマティスのフォーヴィスムといった美術運動によってモダンアートの扉を開いたと考えると、過去の料理を乗り越えながらも、個人の視点や感情の表現がポイントになってくるのではないか思っています。

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また一方で、オーストラリアの画家クリムトが、同時代の音楽家マーラーやデザイナーのヨーゼフ・ホフマンたちと「分離派」などを結成して、絵画や音楽、彫刻、工芸による総合芸術としてのアートを模索したように、レストランも他の分野とのコラボーレーションがさらに活発になり、総合芸術としてのレストランを目指す動きは強くなっていくのではないでしょうか。

モダンアートは日本に根付くのに時間がかかった

日本においては、ようやく現代アートに注目が集まるようになってきました。それまでは、「現代アート=普通の人には理解不能」、みたいなイメージだったと思います。日本の展覧会では(世界でも)、来場数が多いのはやっぱり印象派関連の展覧会です。

レストランシーンが高度化していけばいくほど、世間から遠くなっていき、本音の部分で「楽しめない」娯楽になる可能性もあります。この反動で、漫画やアニメ、ゲームの分野に人材が流れていったようなことも、レストランシーンでは起こるかもしれません。たとえばケータリングやファーストフード、通信販売にレストラン出身の料理人が流れていることをみると、そうした動きはすでに現れているともいえます。

日本におけるモダンアートの受容の遅れは、やはりスターを業界が作れなかったことだと思います(岡本太郎さん以降は思い浮かばない)。そういった意味で、レストラン業界でも、高度化してより過去の料理を乗り越えていく運動を作っていくとともに、業界内だけにとどまらないスターの育成にも本腰を入れるべきだと思っています。

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