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Rock|プリンス《プラネット・アース》

日曜の新テーマRockの第2回目です。

既存の価値観を破壊するRockという表現方法がもつ本来の役割を、今一度理解することで、文化はどう作られていくのかを考えていきたいと思っています。

白人の音楽に輝いた黒人アーティスト

今回は、プリンス《プラネット・アース》です。多作のミュージシャンであるプリンスは、生涯で40枚以上のアルバムを発表しています。しかし本作はそのなかでも、決して高い評価を受けているアルバムではないし、プリンスらしいインテリジェンスさに溢れるアルバムというわけでもありません。

だけど、ロックアルバムとして、さらにギタリスト・プリンスとしてみたときに、プリンスのある一面が良く出ている作品であるといえます。

2007年リリースで、原題は《Planet Earth》、収録時間は45:00とこの時代にしては短めです。

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Rockの起源をご存じでしょうか?

諸説ありますが、白人歌手のエルヴィス・プレスリーが、黒人音楽の音階やリズム感をマネした、行儀が悪くて、セクシャルなアウトサイドミュージック。それがRockです。

アートの世界で、異文化である非ヨーロッパや、神話の世界であれば裸を描いてよかったような、非白人文化を真似ることで、あからさまな性表現をする言い訳をしているのだ。

こうして生まれたRockはイギリスにも伝播し、黒人音楽に憧れた青年たちがのめり込み、ビートルズやストーンズ、レッドツェッペリンなど、多くのスターを生んだ。彼らはみな、ブラックミュージック・チルドレンなのである。

しかし、Rockで売れたミュージシャンに、黒人はほとんどいません。そしてロック・ミュージシャンのアリーナやライブハウスなどで開かれるショーアップされたステージの最前列も、白人たちです。

Rockは黒人音楽への憧れから生まれているといいながら、結局は白人のための音楽であるという大きな矛盾を、70年近く経とうとしているいまも、いまだに内包しています。

しかし、白人の音楽であるRockのなかで、数少ない黒人スターが何人かいます。1960年代に活躍したギタリストのジミ・ヘンドリックスと1980年代のプリンス、そして1990年代のレ二ー・クラヴィッツくらいではないでしょうか。

そのなかで、ジミとレニーは、破壊衝動的で、フィジカル(プレイ)に優れたRockを演奏した一方で、プリンスは、Rockだけではない、ファンクやソウル、ブルース、ゴスペル、ジャズ、ハード・ロック、ヒップホップ、ディスコ、サイケデリック・ロックなどの多彩な音楽を消化し、さらにプリンス自身がたくさんの楽器を演奏するマルチプレイヤーでもありました。

Rockはあくまで表現方法で、その方法は、現代の固定概念を生む、社会と個人の軸をわざとずらして、新しい社会の見え方を提示するインテリジェンス。プリンスに僕はそんな魅力を感じていました。

読めないアーティスト名に、無料公開、web先行配信などの先駆者

プリンスは、ジャズピアニストの父とジャズシンガーの母の間に生まれました。両親はともに黒人です。本名はプリンス・ロジャース・ネルソン。つまり、プリンスは芸名ではありません(今でいうなら、キラキラネームだ)。1958年生まれ、マイケル・ジャクソンと同じ生まれ年でもあります。

1980年代の《1999》と《パープル・レイン》でブレイクして以来、トップミュージシャンとして歩み続けます。

プリンスは、当時から10年から20年も経った今なら当たり前にわかることを、批判を受けながら受け止めた、ミュージシャンというより前衛芸術家です。

たとえば、1992年には、いまやプリンスの代名詞といわれるマークに改名します。アルバムのジャケット画像なのですが、この中央にある、♂と♀の記号を合わせたようなマークが、プリンスの新しい名前であり、ニューアルバムのタイトルでした。

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この記号には発音がなかったため、アメリカでは仕方なくアルバム名を「Symbol」と呼び、アーティスト名を「The Artist Formerly Known As Prince(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)」と呼びました。ちなみに、同アルバムは日本では「ラブ・シンボル」という邦題でリリースされたています。

また、楽曲の無料配布をかなり早い段階から行ったのもプリンスでした。

プラネット・アース》の3年前にリリースした《ミュージコロジー》というアルバムは、リリース前に開かれたライヴの参加者にアルバムを無料配布するというプロモーションをしています。

プラネット・アース》もロンドンの新聞の付録として無料配布されました。さらに、ライヴのチケットとともに配布されるプロモーションもなされ、当時2007年にロンドンにできたばかりのO2アリーナの21公演がソールドアウトします。同時に、無料の音楽配信も行っています。

当時、このアルバムの発売を日本で楽しみにしていた僕は、「アルバムが無料?」「CDよりも先に、配信でリリース?」とか、まったくもって理解不能な展開でした。まだ、インターネットに今以上のグローバル感を持っていなかったこともあり、「ロンドンはすごいなぁ、これじゃ、日本にいたら新しいアルバムが聞けないんじゃないか?」と不安になった記憶があります。

こうした、度肝を抜くプロモーションも、あるインタビューで「黒人は、1度も失敗できない」という趣旨のことを答えていていることは、どっか示唆的な感じがします。

プリンスがもつ身体的な表現による官能性

当時の同時代の音楽として聴いていた僕は、プリンスがやってたことが意味不明どころか、意味不明すらわからない、おそらく1/100もわかっていなかったと思います。

しかし、ある種の意味不明さが10代、20代にとって憧れだったりするもので(わけもわからずドストエフスキーの《罪と罰》を読んだり)、プリンスは、僕にとって、インテリジェンスさの憧れだったんだと思います。

そんななかで《プラネット・アース》は、とても分かりやすい、爽快なギターロックアルバムです。ギターロックといっても、コードをガシャガシャ鳴らすメロコアではなく、ギターのフレージングがリズムを彩る、ファンク色の強い楽曲が並びます。

1. Planet Earth
2. Guitar
3. Somewhere Here On Earth
4. he One U Wanna C
5. Future Baby Mama
6. Mr. Goodnight
7. All the Midnights In the World
8. Chelsea Rodgers
9. Lion of Judah
10. Resolution

僕は、特に冒頭のタイトル曲「Planet Earth」の最後のギターソロと、「Guitar」のヴォーカルメロディーの裏でリフレインするバッキングギターが、ものすごく好きです。

プリンスは、とってもキースリチャーズのようなリズムギタリストでありながら、ブライアン・メイのようなメロディアスな旋律を鳴らせて、エリック・クラプトンのように感情を弦にのせられる20世紀最後のギターヒーローだと思っています。

ギタリスト・プリンスのすごさがさく裂している「Guitar」のスタジオライヴ映像です。

これはすごい。ネックをもつ左手はさることながら、右手でピッキングとアーミングをこなし、足元ではエフェクターを操る。それだけでなく、なんとも抑えのきいたヴォーカル。プリンス劇場。めちゃくちゃカッコいい。

プリンスの1/100も理解できていなかった当時の僕ですが、このプリンスが持つ身体の美しさにやられてしまっているわけです。

これがRockの怖いところ。どれだけインテリジェンスさに憧れても、結局、楽曲が官能的で調和のあるメロディーとそれに歯向かうノイズがないと、脳が気持ちよさを感じません。

これって、料理も似ているな、と思っています。どれだけソーシャルな取り組みをしていようと、おいしくなければ脳が気持ちよさを感じないのです。


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