Life|コーヒーはブラックで

ここ2か月ほどで、生活の習慣で変わったことといえば、コーヒーをブラックで飲むようになったこと。それまでは、カフェに行ったら頼むのはラテ系が多かった。

変わるきっかけになったのは11月の「CRAFTSMAN × SHIP」のイベントに際して公式noteの記事用に、フグレンの小島賢治さんにインタビューしたことがきっかけだ。

おいしい=劣化が少ない=新鮮

僕自身、コーヒーについては、それほど知識がないし、こだわって飲むこともない、「スタバで充分派」だった。

それが、小島さんの話を聞いて、コーヒーの質の違いは、何によって生まれるかがようやく理解できた。そのことで、がぜん、コーヒーそのものの味に興味を持つようになったのだ。

後味がきれいな豆を買いたいと思っています。ダスティだったり、後味が短かったり、甘さがずっと続かなかったり、香りが木っぽかったり。そういうのは、良くない豆の味。

たとえば梨とかも、時間が経つと味が真っ平になったり、ミカンも甘さだけになって、果汁が甘い水みたいになりますよね。人は良い味と悪い味を分けられると思うので、きれいで果実味があるものであれば、好き嫌いはあるかもしれないですが、まずいという評価はされない。

その味がずれていない限り、つまりきれいで果実味があり、心地よいものを作れていれば、それは素材が良いという証拠なので、人の口に合わないということはないと思います。

これを聞いて「なるほど、料理と同じなんだなぁ」と思った。

野菜や魚の素材の質の良さを味分けるときに、自分も確かに、雑味のようなものがないかどうかで、質の良さを判断していた。苦味があったり、甘味があったり、五味のバランスもいろいろあるけど、それらは季節や産地の違いによることもあるので、あくまで特徴として捉える。それよりも、生臭さや雑味、味の抜け落ち方、みたいなことを感じる方が、素材の質を味分ける上での大事にしていたからだ(ことに改めて気づいた)。

それは、料理を食べるときも同じで、クリアな味わいはやっぱり高級料理店にしか出せないもので、それがお店の質につながっている。

ただ、質が劣る素材でも、味わいのコントラストでそれを消して、おいしく食べることもできるので、そのあたりはコストパフォーマンスと呼ぶようなものだろう。だからスタバのラテが悪いとは思わない。バランスとして優れているので、香りと油脂分の摂取として十分満足することができる。

しかし、そのコーヒーが、質が良いかどうかという点では、なかなか難しい。コーヒーとは違う、別の飲み物であると考えた方がいい。

そんなことを感じて、コーヒーは、ブラックで飲むようになった。

そうすると、いかに雑味の多い、クリアさがないコーヒーが多いことか! その反面、クリアなコーヒーに出会えたときの感激も生まれた。モノの良さがわかるようになると、生活の質があがる。

ほんの少しの意識の違いで、自分がいる世界はどんどん変わっていく。

品質と流通は、きりはなせない

小島さんへのインタビューを通じて、産地のイメージ、素材のイメージ、そしてもう一つ大事な流通のイメージがわかったことで、その素材の品質は、何によって決まるのかが見え、どの部分を自分は評価するべきかが明確になった。

コーヒーの質を決めるのは、僕は流通だと思う。

これ、野菜や魚、肉など、食材全般に言えることで、産地から消費者のもとに届くまでの流通をいかに信頼のおけるシステムを導入できるかで、食べるときの質の良さが左右される。なぜなら、時間がたつほどに素材の味は確実に落ちる。どんなにいい素材も、保存方法を間違えば、味は悪くなる(つまり、クリアではなくなる)。

届ける部分にどれほどのリスクがあるかを理解し、それに対して策を講じて、できるだけ劣化のない状態で届ける。

それが成り立ってこそ、良質な食材と評価される(これは「おいしい」という好みの話ではない)。

もちろん、その土地の要素は大きい。海の力、山の力、空気の力、水の力。雑味のないきれいな土地で作られたものは、そうでない土地のものとは明らかに違う味になる。しかし、僕たちは産地で食事をすることはできない。

だからこそ、流通は大事だ。

だから、「●●産のマグロ」とか「顔の見える生産者」とか、いうことは、食材の良さのすべてではないと思っている。それよりも、どうやって管理されて届けられるのか。そちらの方が、じつははるかに重要だ。

これから注目される「届ける人の価値」

編集者も、もしかしたら「情報の流通部門」を担っているのかな、と思う。

著者や語り手から発信されたものを、どの流通経路を使って読者に届けるか。そのうえで、起こるリスクはなんだ? 無駄な経路を通っていないか?流通過程で情報の劣化が出ていないか? どれくらいの時差があって届くのか? など、流通を知ることで、鮮度をしっかり保って届けることができる。

Farm to Tableというのがすこし前に流行った。

これは、ドラえもんのどこでもドアのように産地から食卓に、食材がテレポーテーションするようなことではない。流通をできるだけシンプルにして、信頼できるルートをたどって食卓に届けるべきアクションだと僕は理解している。

先日、#被災地農家応援レシピを作る会 という企画をしたが、産地から食材を直接購入する、ということは、流通の改革であると同時に、流通による素材の劣化へのリスク管理もしないといけないことだよな、とふと考えたことがこのnoteを書こうと思ったきっかけだ。

届ける人の存在が、これからどんどんクローズアップされていくだろう。

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