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Human|予言書だったケンタロウさんの20年前のレシピ本

パクチー料理研究家のエダジュンさんにインタビューをする機会を得た。1984年生まれの35歳。料理研究家を目指すきっかけになったのが、2000年代に活躍した料理研究家の小林ケンタロウさんのレシピ本だったといいます。

エダジュンさんが大事に、大事にされていたケンタロウさんの『ドカンと、うまいおつまみ』(1999年、文化出版局刊)を持ってこられて、「この『はじめに』を読んでください」というのだ。

未来の予言書のように感じた「はじめに」

ついこの前も、友達を呼んだ。その日はあいにく仕事で、集合時間の20分前に帰宅。大急ぎでピクルスを作って、冷蔵庫に入れた。すぐに友達が集まりだしたので、とりあえずピクルスをお気に入りの大きな鉢に盛ってテーブルへ。こういうのはドーンと出す方が、彩もきれいだし、ダイナミックでうまそうだ。器や盛り付けはすごく大事。それはなにも、人を呼んだときだけじゃないよ。
(中略)
ワインがなくなってから、最後のキメのご飯を出した。かつ節ご飯、そう、ねこまんまね。これがまたうけた。
みんないーい顔になって、それからも延々とくだらない話しは続いた。コーヒーを飲んで、みんなを送り出したのは、深夜というにも遅い時間だった。
あわただしい毎日でも、ほんのちょっとの手間と、ささっと作る要領と、じっくり楽しむ余裕と、いかす音楽と、くだらない話題と、この本があれば、こんなにおいしくて豊かな時間が過ごせる
「ドカンと、うまいおつまみ」(文化出版局)、「はじめに」から引用)

僕は、この文章を読んで衝撃を受けた。

20年前の文章なのに、なんでこんなに輝いているんだろう。これを読んで浮かんでくる情景は、まさしく現代に生きる人たちが憧れる食卓ではないか。

しかも、文体にこだわらない、話し言葉に近い文章。SNSなど個人の発信が当たり前の現代になっては違和感ないだろうが、このときは、まだインターネット黎明期。アナログ接続(ジー、ガガガーみないな音、懐かしい)で、ようやくブログとかが始まったころ。

当時としては、これは相当「ふざけた」文章なはず。文芸誌ならまだしも、まだまだ実用書の分類を出ないレシピ本でよく出版社もOKしたなと、いう点にも驚きました。こういう文体のブログやnoteっていっぱいあるからピンとこないかもしれないけど、これ20年も前のことなんだぜ?

料理を作る時間に価値を与えたケンタロウさん

小林ケンタロウさんは、30代以上の人には有名な料理研究家で、今も人気のテレビ番組「男子ごはん」の初代料理人です。お母さまも著名な料理家の小林カツ代さんで、もともとデザイナーだったケンタロウさんが食に転向したときに、カツ代さんに料理の手ほどきを受けたそうだ。

男子ごはん」の番組スタートは、2008年。いまから11年も前のことなんですね。スタート当初は、ケンタロウさんと国分太一さんが、楽しそうに料理をしているのを日曜の午前に見て、そこで紹介されていた料理を、次の週に彼女に作る、なんていうことが何度もあった。

その当時は、あまり意識していなかったのですが、「男子ごはん」の料理を作るというよりも、2人で番組を見ていた時間が、料理を作ることによって蘇ってくる。そういうスイートな思い出の振り返り装置、コミュニケーションのツールとして番組を利用していたのだな、と思う。

料理を作る時間、食べる時間というものをデザインする。

今なら理解できることですが、それを「男子ごはん」から9年前の著書『ドカンと、うまいおつまみ』で、すでにケンタロウさんは提示していたわけだから、その先見性のスゴさというか、時代を思いっきり先取りしていたことに、失礼ながら今更気がつき、本当に驚いたのです。

ご存知の方も多いと思いますが、ケンタロウさんは2012年にバイク事故を起こして一命をとりとめますが、下半身に障がいが残り、翌年「男子ごはん」を降板。現在もリハビリ治療中です。

携帯電話とケンタロウさんのレシピ本

料理がライフスタイルの一部になって、コミュニケーションのツールになる。

その萌芽はどこにあったのだろうか。

1999年ころといえば、カジュアルなイタリア料理が市民権を得てきたころ。このころ22歳の僕も、茅場町のイタリアンレストランで、誇らしげにアルバイトしていました(家で料理を作って友だちと食べるなんて、テレビの中だけのことだったなぁ)。

その当時、革命的に僕たちの生活を変えたのが携帯電話でした。

個人と個人が直接電話で話すことができる衝撃は、人と人が会うための障害をドバッと取り払いました。好きな子と電話するために、自宅の固定電話にかけるなんて、いまの20歳以下の子たちが聞いたら、何というだろうか。

下の表によると1999年頃に、普及率が50%を突破しています。

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(↑クリックすると引用元のサイトに移動します)

携帯電話が普及する以前、もちろん予定を合わせて集まることはあっても、気軽にカジュアルに友人同士が集まるというのは、相当の調整が必要で、今みたいに「来れる人集合」みたいなことは、一般的な感覚では難しいものでした。

携帯電話というコミュニケーションツールが、人と人との出会いを活発にして、食の好みがあうもの同士が集まって、料理好きがササッとおつまみを作って飲み明かす。前の時代にはなかった食卓のシーンが生まれる土壌ができるなかで、ケンタロウさんの『ドカンと、うまいおつまみ』のような表現が生まれ、またそれを受け入れる新しい時代の人々も生まれたように思います。

携帯電話が生まれ、スマートフォンで世界とつながるの時代の先に、テクノロジーはどんなふうに私たちの生活を変え、コミュニケーションを変えていくのでしょうか。そしてそのとき料理は、どんな役割をになうようになるのでしょうか。

僕は、長生きしたいなぁ。新しい時代の食のコミュニケーションを体験してみたい。今から楽しみで仕方ありません。

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