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Human|カレー哲学者 カレー哲学さん

木曜テーマのHumanは、毎週木曜に青山一丁目のThe BurnでやっているMAGARIに来てくれた方の中から、僕が一方的に印象を書いていく企画をやっています。

今回は、カレー哲学さん。土曜のテーマである、読んで面白かったnoteを紹介しているのですが、そこで繋がった縁で、先日MAGARIに来てもらいました。

お会いする前から、「The Burnはカレー屋ですね」とか「カリフラワーステーキ食べたいです」「それ、カレーですよ」「(写真を見て)あ、これは完全にカレーですね、これは」という、なぞのメッセージのやりとり。お会いするのがとても楽しみでした。

しかも1991年生まれのJKだというので、あがる。

いい文章を書くためにひ必要な3つのポイント

しかし、来たのは、28歳の青年ではないか。話がちがう。が、まぁ、いい。

The Burnで3時間くらい、ほぼ閉店まで話したかな。トイレに3回(カレー哲学さんも3回)。カレー哲学さんは、書くことの質をあげたいと思っているようで、僕に色々質問してくれた。

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(完全にカレーな「カリフラワーステーキ」)

僕は何をお話ししたかなぁ。よく話すことだと思うんですが、こんなことだと思います。

①ちゃんと細部を調べながら書ましょう
②落下傘みたいにいきなり目的に来るんじゃなくて、ちゃんとそこに行くまでの経路を書きましょう
③まずはタイトルをつけてから描き始めましょう

それで、カレー哲学さんのnoteを一回編集目線で見てから投稿してみるというのを始めますので、カレー哲学ファンのみなさま、お楽しみに。

役に立たない「考えるという最高の遊び」

僕の方はというと、「なぜカレーは料理人以外も作るのか。そもそもどこから料理人で、どこから料理人なるのか」「カレーは存在しない、の真意はなにか」。そんなことばかりが気になっていて、ひたすら話続けた。

齢14も違う男同士が話しながら、お互いに共通していたのは、「役に立つもの」「明日から使えるもの」「こんな時こうしろ」という目の前のことを解決することで消費活動をしていくことよりも、もっと長期的に人生を豊かにする「『考える」という最高の遊び」が、最高だよねってことだったと思う。

たとえば「ご飯と調理された魚をいっしょに食べる」寿司や、「小麦粉を練って伸ばして丸く整形して焼いたもののなかにクリームが入った」シュークリーム、「野菜やハムを薄切りにしたパンで挟む」サンドウィッチなどとは異なり、「スパイスを大量の油で熱して香りを出し、素材を食べる」カレーは、あまりに実態がなさすぎる。カレーという概念のなかで、僕たちはカレーに踊らされ、カレーに翻弄されているの存在なのではないか。

など、二人してすごいことを話しているようで、なんの解決もしていないし、結論もだしていないという、遊び。

なかでもカレーは、インドと他国の文化の国境で起こる、という話から、文化はカレーであるという、「地球はカレーでできている」ともいえるカレー文化論はとても楽しかった。

たしかに、いまミュージシャンなどのアーティストがカレーを作ったり、会社員が週末カレー店をしたり、店舗に間借りしたパラサイトカレー店などが多い。たしかにそれらは、料理と社会の接点で生まれている。

文化は辺境で生まれる」とは多くの文化人が言っているし、歴史が証明している。文化とは、カレーだとすれば、やはり「地球はカレーによってできている」とっても、まったくいいすぎではないだろう。

僕は、この夜、カレーになりたいと真剣に思った

人は、未知のものや得体のしれないものに名前をつけて、体系化して、形に落とし込んできた。しかし、なぜかカレーだけは、その人間の魔の手から逃れて、得体のしれない、実態のないまま生きながらえてしまった。

決められた評価や格付け、良し悪し、二元論的な価値基準をするりとすり抜け、油とスパイス、素材を決めればカレーになるという、人間の衣食住ににた必要最低限の条件だけになった。そこからは、どんな生き方(料理)も生み出すことができる。

だからカレーは、ライフスタイルだといえる。だから、画一化した都市から逃れた、辺境で生まれるのだ。

カレー哲学さんと話して、僕はカレーになりたいと思った。

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