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Human|料理人 米澤文雄さん

昨日、東京・青山一丁目のレストラン「The Burn」のシェフ、米澤文雄さんの初の著書『ヴィーガン・レシピ』(2800円、柴田書店)の出版記念パーティに出席した。

100人を超す人が集まり、本の関係者の方々が中心になって、文字通りお祝いする会は、本を出版した人にしか味わえない時間(成人式や結婚式とは違うお祝いなのだ)だったと思う。米澤さん、心からおめでとうございます。

ヴィーガン・レシピ』は、レストランシェフのヴィーガン本としては、おそらく日本初。2020年以降の料理人のバイブルになるであろう本の著者に関心を持たれた方に対して、その為人がわかればと思い、僕の記憶の中にある米澤さんを書いてみたいと思う。

2015年11月の最初の記憶

最初に米澤さんに出会ったのは2015年11月30日の軽井沢でした。

こんなに正確に日時を覚えている理由は、米澤さんが取材相手の一人だったから。なので、正確には出会ったというよりも、取材対象者だったということになる。

取材したのは、35歳以下の料理人のコンペティション「RED U-35」の決勝の舞台。

この年の決勝の課題は、6名のゴールドエッグ(ファイナリスト)が協力してコースを作り、それを審査員が評価するというもの。誰がどの料理を作るのかはもちろん、コースの流れやキッチンでの仕込みの役割分担などをすべて自分たちで決めなければいけないという、かなりエグイ審査だった。

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主催側としては、6人のメンバー間で喧嘩したり意見が分かれたりすることを楽しみにしていたのだろうが、僕が取材で見ていた限りでは、けっこうスムーズに役割がわかれていた。そのなかで自然とチームをまとめて、動き出させる役になっていたのが米澤さんだった。

途中で「ベジタリアンメニューの追加」とか「肉料理追加」のような仕組まれた試練のようなものも、なんとかクリアし、22時30分に審査員にコースをすべて出し終えることができたのは、米澤さんのリーダーシップがあったこそだったと思う。

僕は、その日の夜に帰京したので、最後の試食審査までは見ていられなかったのだが、「優勝は米澤さんだろうな」と思いながら帰ったことを覚えている。

しかし、翌日の審査結果発表式典で、米澤さんの名がレッドエッグとして呼ばれることはなかった。勝ったのは、篠原裕幸さん(現・ShinoiS)。その大会の審査委員長は、「さまざまなハプニングが起きるなかで、きちんと仕事を収めたのは篠原くんだけだった」と総評していた。

確かに、取材現場を見ていて、黙々と自分の料理に集中していたのは、篠原さんだった。その一方で、米澤さんは、終始自分の料理よりも、全体のコントロールに専念していた。その日のことを、のちに、米澤さん本人に聞いたことがある。

やっぱり悔しくて、終わってから泣いたんですよ。でもあのときは、僕があの役目をするほかなかったのです

米澤さんの僕のなかでの印象は、このときから変わっていない。

カジュアル=もっといい、上質なカジュアル

米澤さんはRED U-35に参加した当時、ニューヨークの三ッ星レストラン「ジャン・ジョルジュ」の東京支店「ジャン・ジョルジュ東京」のシェフで、35歳だった。

その後、ふたたび取材をすることができたのは、2018年2月のこと。「シェフズ・ギャザリング」という、日本全国からトップの料理人だけが集まって交流するクローズドなパーティだった。40人ほどのシェフが、ホテルのスイートルームに集まり、そこのキッチンを使って自由に、自分たちのための料理を作るというコンセプトだった。

個性の強い料理人たちが、ある意味、勝手に料理を作っていくわけだから、収拾がつかなくなるのは当たり前のこと。そのなかで、全員の料理の食材を管理して、できたものを提供してと、フル回転していたのが米澤さんだった。

その日は、「一番の若手ですから」なんて笑っていたけど、視野の広さと配慮のきめ細かさはすごいな、と僕は感嘆していた(僕ならやりたくない)。

その日の取材のあと、じつは、追加で米澤さんにインタビューをさせてもらった。今だからいえるんだけど、ある人のインタビューが飛んでしまって、その穴埋めで、急遽Messengerに連絡をいれさせてもらったのだ。

いま、Messengerをさかのぼってみたら2018年5月16日22:15にメッセージを送っている。そうしたらすぐに電話がかかってきた。ちょうど、店の仕事が終わったころだったというのだ。その時、米澤さんから「上質なカジュアル」という話を聞いた。インタビューを通じて、自分の考え方が大きく変わることが何度かある。これは、その1つと言っていいほど、「うんうん、そういうこと言いたかった」と思わせてもらった時間だった。

インタビューの記事は、けっこう気に入っていて、一部を抜粋したいと思う。

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最近、楽しい食卓っていいな、と思っています。ニューヨークには、星付きシェフが出す、カジュアルでおいしいお店がたくさんあるんです。カジュアルだけど、食材やサービス、空間作りにこだわっている。「カジュアル=安い」とは違う「カジュアル=もっといい」という新しい価値観を生み出せないか、と考えています。高級店で働いた経験を活かし、最高級を体験させていただけた料理人だからこそできること、それが僕のオリジナリティじゃないかと思います。大儲けなんてしなくていい。店も人もサステナブルであればいいな、と思っています。
月刊『料理王国』2018年5月号 特集「オリジナリティのルール」23ページ

このとき「ジャン・ジョルジュ東京」を退職して、次のステージ(The Burnになるわけです)に向かうことが決まっていたとき。たしか20分ほどの短いインタビューでしたが、米澤さんがどんな思いを持って決断しようとしているのかを率直に話してもらえてうれしかったことを記憶している。

今読むと、The Burnのコンセプトそのものだな、とも思う。

自分のことで恐縮だが、当時、ガストロノミーと呼ばれる美食文化を中心に取材していた所属雑誌の売り上げがなかなか上がらない中で、ガストロノミー文化自体は食文化が成熟していくうえで重要なんだけど、それを今まで通りじゃなくて、伝え方を変える、雑誌の作りを変えた方がいいのではないかと模索していたときでした。

上質なカジュアル」という考え方は、自分のもやもやしていたものを言語化してもらって、すごく仕事がしやすくなったのです。

The Burnになってからも、タスマニアサーモンの取材や、まかない特集で取材させてもらう。

まかない特集で覚えているのは、じつは、あの特集って「本当のまかない」を出さない人もいたんです。その店のシェフがそもそもまかないを作ることはあまりないので(たいていは、経験の機会として若手が作る)、「毎日、こんなに丁寧につくってるんですか?」みたいな、見栄えのいいものも正直あったのですが、米澤さんからは「本当のまかないで行きます」とメッセージをもらって、鶏のガパオを作ってもらいました。

いまMAGARIでは、よくThe Burnのまかないをいただくのですが、まさに本当のまかないでした。

「円を広げていく」新しいシェフ像

いつもわけへだてなく接してくれて、質問にもスムーズに答えてくれる。僕にとっては、頭のいい、社会性のあるシェフの一人で、旧来的なシェフ像を刷新するシェフとして、注目させてもらっていました。

ただ、RED U-35のときから、The Burnまで、基本的には取材相手と取材者の関係でしたので、プライベートでお会いしたりすることはなく、もしかしたら、近しいかたからは、僕の「米澤像」は、違うよ、ってのはったかもしれません。

ちょうどTwitterを始めた時期が近くて、なんとなくやりとりしていくなかで、米澤さんが、雑誌編集者料理人付き編集者のツイートにいち早く反応してくました。そしたら、トントントンと、7月から毎週MAGARIというレストラン内リモートワークをさせてもらうことになるわけです。 

自分が尊敬していて、時代を切り拓いている料理人に見つけてもらえたの、すごいうれしかったな~。

何かやりたいですね~」と、The Burnの上のスタバで会ったのは、2019年6月24日のこと。その翌日に、ポップアップ編集室をThe Burnでできないかという僕の提案に即答でOK。「お互いにリスクがないことなら、どんどんやっていきましょう」という答えでした。

MAGARIをしようと言って2度目にあった7月3日に、米澤さんが自分のことを「料理人としての円は誰よりも広いと思うんです」というようなことを話してくれた。円を深める料理人はいても、円を広げている料理人は少ないとというような意味で、当時からすでに福祉関係の仕事をボランティアでしていたし、その時すでに「ヴィーガン・レシピ」の制作も始まっていた。

けっこうここで誤解されちゃうのですが、深めることもしっかりやってきたからこそ広げることができるんですよね。このことを米澤さんは、ずっと言っていて。20代はガムシャラに仕事をしていかないと、30代で何もできなくなるということを、よく話しています。

ちなみに、MAGARIをし始めたころにも、米澤さんのことをnoteに書いています。

夫であり、パパでもある米澤さん

昨夜の『ヴィーガン・レシピ』発表記念会には、奥様と2人の娘さんもいらしていた。休みの日もボランティアに行ったり、出張料理をしたり、なかなか家族と一緒にいる時間もないという。たまに急な約束ができて、娘さん2人の予定をキャンセルすることもあって、奥様には「そこまでするの?」と言われることもあるというが、昨日ばかりは、パパが誇らしかったのではないだろうか。

年齢や性別、職業に偏りがなく、ほんとうに多様な人が集まり、料理人の本の出版を祝っている。こんなに好感度が高い、人徳のある料理人は本当にめずらしい。

じっさい、米澤さんは人や物事を批評することはあっても、ぜったいに悪口を言わない。すくなくとも僕は聞いたことがない。ニューヨークの三ッ星という一流を経験してきた、人としての礼儀だったり、ビジネスマンとしての立ち振る舞いをものすごくよく持っていると思う。

MAGARIを続けられているのも、けっして友人のようなものではなく、お互いWin Winでいようという共通意識があることが大きい(話したことはないけど)。

ヴィーガン・レシピは米澤さんらしい

ここまで読んでもらえて、「だから米澤さんは『ヴィーガン・レシピ』を作ったのか」と、理解してもらえると、僕としてはうれしい。

彼の目は、円を広げようと本当に先を見ている。そして同時に、人も見ている。社会や身の回りにある問題も見ている。その問題を解決するのが、たぶん好きなんだと思う。そう思える記憶ばかりが、僕の中にはある。

ヴィーガン・レシピ』の仕掛け人で、出版記念会の司会を務めてられた「やまけん」こと山本謙治さんが、最後に会の締めくくりとして以下のように言っていた。

米澤くんは、これからの料理界をひっぱっていく料理人です。ここにいるみんなでひっぱりあげましょう。(だいたいこんな趣旨)

本当に、その通りだと思う。

誤解を恐れずにいえば、「まっとうな人間」で成功したシェフを、僕は見たことがない。それくらい、料理界は古い世界だ。ずるいことをしないとやっていけない。米澤さんは、そんな世界を未来にむけて切り拓いていける、ニュータイプな料理人なのではないかと思っている。

(珍しくあとがき)

レシピ本を通じて、米澤さんを知る人は多いと思う。僕の記憶のなかの米澤さんは、本当にある一面だと思うので、もしこのnoteで興味を持ってもらえてら、ぜひThe Burnに行ってみてほしい。

料理は、人が作っていて、レストランは、人の思いからできている。

これからは、人の時代になっていきます。料理を作る人にもっと興味を持ってもらえるとうれしいです。

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