愛をもつこと、を考える。

愛のあるひとが好きだ。

関わるひとや、ものに対して愛のあるひと。

だけど、「あなたは関わる人や物に愛がありますか?」と人に聞いたら、「そりゃありますよ」と答えるひとが大半なんだろうとも思う。でも、そういうことでもないのよ、という気持ちがフワフワとあったりする。

この人は、愛が深いひとだな、というのは、なんとなく感覚的に判断している。(判断というとおこがましいけど)愛の持ち方や、種類を言語化するとしたら、どういうことを私の中では定義付けているのかしら、と思ったのが、このnoteのきっかけ。

もちろん、全方位的に愛を持て、博愛的であれ、という話ではなくて。偏愛でいいと思っている。偏りに人間らしさがあるし。問題はその愛の定義だ。

個人的には、愛の対象に対して、手放しにまっすぐ向き合えるかどうかだと思っている。その対象がヒトであるなら、その人が困っているときになりふり構わず助けに行けるかどうか。現実的な計算をさておき、その人に手を差し伸べられるかどうか。究極、心中できるかどうかということだと思う。

モノに対しての愛であれば、存在を120%認めた上で、好きなところも嫌いなところも、良いところも悪いところも全部抱きしめられるかどうか、というところなのだろうか。

生きるには、色々な計算をして生き抜かなければいけない局面が多すぎる。

純粋に、自分の愛の対象に囲まれて生きていけたらどんなにいいだろうか。

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