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人生の曲線を穏やかな平地や厳しい砂漠、また雄大な山並みに例えるならば。 結婚式はとりわけ高い山の頂にその脚で立ち、そこから見える景色を心で見て刻み込むような、たとえばそんなこと。

突然ですが皆さん、登山をしたことはありますか?私は、一応一度だけしたことがあります。富山県の立山連峰。初めての登山で、一人で、雄山とすぐ隣の大汝山。標高3,003mと3,015m。すごくすごーく苦しくて、でもたくさんの学びがあった体験でした。

登った理由は、一つは映画『劒岳 点の記』『春を背負って』を観たから。元々カメラマンでもある木村大作監督が、私たちに『これでもか!!』と見せつけた映像美、あの美しい情景をスクリーンではなく、自分の目で見てみたいと思って。もう一つはプライベートでとてもしんどいことがあって(たった一人にしか話してない人生で本当に大変だったこと)自分の中の何かを越えたり、浄化したいという思いもあった。この山を登ったら次のステップへ進めるんじゃないかって。

登山って、人生のマストコンテンツじゃないですよね。まぁなんか、身体には良さそうだし実際登ったら気持ちいいんだろうな、くらいというか。でもしんどそうだし、別に無理にやらなくてもいいかな、というか。

私は、実は結婚式のことも、同じように思っているところがあります。人生、歩いていて目の前に山があったとしても、別に避けて通ることも不正解じゃなくて。だってめんどくさいものね。わざわざ山に登るなんて。サクッと、時間とお金かけずに、そんな山、ひょいと避けて次の目的に行っても全然よくて。やりたい気持ちは全力で応援するし、でも、人に必要性を説かれてやる物でもないし。結婚式した方がいいってもちろん私個人は思っているけれど、押し付けたくないし、正直、どっちでも良いです。だけどもしその機会が巡ってきた時、心を受動的から能動的なモードに持っていってみて、少しだけがんばってわざわざその山に登ってみると、そこには登った人にしか見ること感じることができない、美しく神々しい景色が広がっている。これも、事実だなと思っていて。

実際に私、『富山県の小学校6年生が林間学校で登る山』って書いてあったガイドブックの言葉を鵜呑みにし、また開山者が『佐伯有頼』という苗字が同じな伝説の人物というだけでかなりの親近感を感じ、『6年生に登れるなら私にも登れるはず』と、ぱぱっと登山用品をレンタルし富山行きの夜行バスのチケットを買って(そういう手配は得意。プランナーだから)、家族には『ちょっと行ってくるね』と気楽に家を出発しました。

実際には、こんなところを登っていったので、正直、泣きそうなくらい辛かった。一人だし、初心者だし。登ったことのない、未知の世界だし。ペース配分も、登り方も、全て、正解かどうか全然わからない。ガイドブックの気軽な感じとは全く違う苦しさ。『富山の小6、なにものなん!?』と半べそかきながら。

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佐伯iPhoneにて。先も道も見えない登山道。黄色いペンキを頼りに進む。

励まされたのは、見ず知らずの登山家の皆様からの言葉でした。おじさんもおばさんも、『いやー、しんどいね』『こっち登りやすいよ』って声かけてくれて。当時流行りの山ガール気分で、登山用スカート、花柄スパッツ、ニットキャスケットにサングラスという、どちらかファッション重視のいかにも初心者の、なんなら山舐めてそうなチャラい私なのに(一応自分に向けての場創りでもあるけど)、みんながかわるがわる山頂まで励まし続けてくれた。その横を黒の上下のシンプルな登山服で颯爽と追い越していったガチの登山家の多分大学生くらいの女の子がめちゃくちゃかっこよくて、今の私、仕事服は黒って決めてる。(余談)

道中は、そんな中でも『登り始めたんだから逃げたくない。自分に負けない!』みたいな思いもあったな。これを越えて、浄化するんだって自分で決めたことだから。無理しすぎはダメだけど(本当に高山病とかに一人でなったら迷惑でしかないから)やれるだけ全力でやろう、と。あの映画の情景を、しっかりとこの目で見なくちゃ、と。

結婚式の準備もそうですよね。やり方もペース配分もわからないよね。もちろん私はわかるけど。何度もやっているから、未来予測ができる。でもお二人はできなくて。人間、わからない、が一番疲れますよね。力の加減もわからないから。

そんなこんなで、身体中痛いし、苦しいし、何度もやめようかと思って、何度も諦めそうになりながら、なんとか山頂まで辿り着きました。ガイドブックで見た9月の立山。美しく切ない紅葉に包まれた秋の山並み。その先に、映画で見た厳しい出立ちの劒岳。かっこよかった。そんな絶景を無心で20秒くらい眺めていたら、ぽろぽろと涙が溢れてきました。その時に脳内にあったのは、この登山に向けての期待でも、自分の人生の一番辛かった出来事でもなく、『あ、結婚式ってこのためにやるんだ』っていう、ただそれだけのこと。

少しだけ縦走した稜線
『春を背負って』の菫小屋。


雄山山頂からの景色

チャペルの入場シーン、扉が空いた瞬間に広がる景色も。ヴェール越しに見るゲストの優しい眼差しも。メインテーブルで浴びる拍手も。みんな自分の力で歩んだ先に、この景色を自分の目で見たことで、強く生きていけるんだ、って。隣に、自分と同じ部分は分かりあい、自分に持っていないものを補ってくれる、信頼できるパートナーがいればなおのこと。

そして登山界には『山岳ガイド』という職業があります。山に登りたい人の、何を見たいのか(ご来光?雲海?高山植物?)、どんな時間を過ごしたいのか(ピークハント?縦走?)に、経験や体力はどれくらいなのかを踏まえて時間の曲線を感じながら、最適なルートをスケジューリングし、伴走しゴールまで導いていく仕事。実は立山の麓には、芦峅寺という、江戸時代から立山信仰の拠点として栄え、戦後は優秀な山岳ガイドとしてだけでなく、南極の昭和基地での学術観測にも貢献した人材を輩出している集落がある。住民の名字は、そのほとんどが佐伯有頼による立山開山伝説に端を発する「佐伯」「志鷹」の2姓で占められている。らしいです。(Wikipediaより)小学生の頃、社会科の授業で自分のルーツを家族に聞いてくる、という宿題が出て父(栃木県出身)に聞いたら、『どこかはわからないけど、北陸って言ってたな』と言われたことを、亡くなったおじいちゃんの遺影にそっくりな資料館の山岳ガイドの佐伯ナントカさんたちの写真を見ていて思い出しました。多分、私のルーツ、ここ。

「若者は立山登山をして一人前になる」

富山では古くから語り継がれてきたそうです。私にとっても『あの日に、逃げずに頑張ってやり抜いた経験』は間違いなく、くじけそうになった時、今も私の背中を支え、励ましてくれている。生き抜くための強さや余白は、いくら持っていても無駄にならないし。いざという時、あの日の情景やかけてもらった言葉、大好きな人たちの笑顔なんかが心の奥からよみがえる。じんわりと心を温める。そして、それは全部、二人で乗り越えた準備期間が作っている。楽しかったことも、意見が食い違って悩んだことも、それを譲り合って一つずつ『自分たちの最適解』を見つけ、途中で投げ出さずに歩み続けたことも。

私にはいつまでもお二人の人生に伴走することはできないけれど、結婚式に向かう日々を共に歩きながら、お二人やご家族の未来に思いを馳せると『人生のお守りを作っているのかも』と思えてくるのです。入口は軽い気持ちでもいい。意味とか分からなくてもいい。私がこの20年で何度も何度も登った山。その経験を活かして、ガイドとしてお二人に伴走しながら、一緒に見るべき景色を探して、隣を歩いていくから。私も自分の命をかけて、そこまで連れていくから。だけど、歩くのはお二人の脚で。その景色を美しいと思えるかどうかは、お二人次第。誰かにやらされたことではなく、能動的に取り組んだ先に心で感じとったことに、本当の意味が生まれると信じています。

どんなに困難な山道だっとしても。
お互いを信じて、二人で良い日を迎えてください。

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