びねつラジオ

第9回「危うく儚く17才」/びねつラジオ

夜更かしのみなさんこんばんは、満島エリオです。

唐突ですが、17才だった時のこと覚えてますか。何してましたか。
17才の時の私はいっぱしの女子高生で、スカートを折ってベルトで留めて、冬でも意地で生足出して歩いてました。仲のいい友達が留学に行っちゃったので、しゃーなしで集まった寄せ集めみたいな女の子のグループで毎日お弁当を食べていました。

たしか高校1年くらいまでは超真面目で、無遅刻無欠席だったんですけど、なんとなく遅刻したり、生理でしんどい時に保健室で休んだり、そういうことを覚え始めたのは高校2年の時だったと思います。
傍目にはよくない傾向だったんでしょうけど、当時の自分はそうやってガス抜きをして自分を守っていたんだなあと思います。でなければ、居場所のなさとか、まじめでい続けた息苦しさとかに押しつぶされて、もっと悪い形ではちきれてしまっていたんじゃないかなあ。

当時の説明のつかない寄る辺なさのようなものを感じることは今はもうないけれど、当時のことを思い出そうとすると、そんな幻想的でメランコリックな靄に記憶が覆われているのを感じます。
渦中にいるときは絶対にわからないけれど、今振り返ると、あの年齢の時がいかに特殊で、貴重で、危ういものだったかを感じます。だからこそ、大人になって思い返すと、手の届かない宝石みたいに、必要以上に美しく見えてしまうのかもしれませんね。フィクションの主人公だって、圧倒的に17才=高校2年生が多いし、「16歳」「18歳」というタイトルの曲はあんまり見たことがないけれど、17才と題された曲はたくさんある。
ある種の象徴なのだろうなと思います。17才。

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なんでいきなり17才について語り始めたかということなんですが、以前の第5回の「本日のバス」でバスにまつわる曲を紹介したら、「DJですね」と褒めてくれた方がいまして(おくまほさんサンキュー!)、それがだいぶ嬉しかったので、調子に乗って毎月月末はテーマに沿った曲をご紹介することにしました。
というわけで2月のテーマは「17才のメランコリー」です。
(17歳と題してますが、思春期、くらいの意味で使っています)

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ヘヴンズドア・ガールズ”/Base Ball Bear

「17歳」というアルバムに収録されています。そのものずばり「17
歳」という曲もあるのですが、それは「陽の17歳」って感じのはじける青春ソングなので、こちらをチョイスしました。
しょっぱなから切り出される≪屋上で試してる 飛び降り占いは/いつだって失敗で≫という歌詞のヒリヒリすること。
風にはためく制服のスカート、屋上のへり、柵のこちらがわの生と、向こう側の死。バランスを崩せばあっという間にひっくり返る、そんな息を詰めるような危うさが、皮肉なくらい青い空をバックに展開される映像が脳裏に浮
かぶ。あくまでもフラットに歌い上げる声が、乾いた物悲しさを際立てている気がします。
そして、サビの≪ヘヴンズドアはいつでも/君のために少し開いてる≫というフレーズ。初めて耳にした時、この世にはなんて美しい言葉があるのだろうかと思いました。


”メランコリックガール”/Brian the Sun

「ライブハウスに必ずいる、妙に気になる女の子」をテーマにした歌。
思春期の歌と言っていいのか微妙なところですが、少女と「僕」の未完成な精神に思春期を感じたので選びました。
”ヘヴンズドアー・ガールズ”とは真逆で、とにかくこの曲のイメージは灰色、薄暗い、じめじめしている。陰鬱なベースラインがそんな世界に明確な輪郭線を引く。
歌詞も尖っていて≪人身事故で止まる電車に毒づく会社員は知らない/何気ない一言が/人を殺すことを≫に、心臓の脇にナイフを突き立てられるような気持ちになります。
ままならない心と体を持て余す「君」と、ただ傍らにいることしかできない「僕」。どうせ朝になればきっと二人は別れ別れになるんだろうなと想像がつくけれど、≪惹かれ合う僕らはこんな世界で/いとも容易くそれを永遠と呼ぶ。≫
幼くチープな約束ごとだからこそ、刹那の切実さに胸を突かれる気がします。

”文学少年の憂鬱”/Lyu:Lyu

ガールが2曲続いたので、3曲目はボーイズの曲を。
同じ思春期のメランコリーでも、少女と少年だと趣がだいぶ変わるような気がします。17才の女子ってこの世で最強の存在なんですけど(個人の見解です)、たとえどん底だったとしても、その姿ってなんとなく、良くも悪くも絵になってしまう。
一方で、ボーイズの憂鬱はもっと泥臭いというか、人間臭い気がします。作り手の性別がどっちかというより、「少女メランコリー」の曲を客席は映画を観てるような気になるし、「少年メランコリー」の曲は自分の過去の恥と重ね合わされて感情移入させられるような。

この曲も「自殺した小説家が好き」なんて、中二病が見え隠れすることを言っちゃう男の子が主人公。
でも、中二みたいな無邪気な夢を彼はもう描けない。社会や大人が思っていたよりしょうもないものだって知ってしまっているし、自分が特別な存在だなんて大それた夢を見るには、自分のちっぽけさにも気づいてしまっている。
≪恥の多い生涯だったって/嘘ばかりついて過ごしてたって/でも アナタのようにはなれないよ/ボクは文学好きなただの人≫
未来に希望を持てない行き止まりのような憂鬱に、こっちまで息が詰まるような気持ちになります。

”17”/椎名林檎

17才ソングを語るにあたり、これは外せないでしょう。ということで、最後は椎名林檎の、そのものずばり”17”。リアル17才ごろ、何度繰り返しこの曲を聴いたことか。
田舎町に住む17才の少女。同じ顔をして同じ雑誌を読む生徒たち。学校は退屈で、好きなのは哲学の授業と放課後だけ。帰り道はいつも一人。
教室という狭い世界になじめない、居場所がない、そこから逃げるすべもない。息苦しい学生時代。きっと誰しもが感じたことのある閉塞感。
けれど、その憂鬱をただ迎合するわけではないのがこの曲のすごいところ。私が大好きなのがここです。

≪they say that I am different/I think it's an honour≫
(彼らは私のことをおかしいと言う。私はそれが誇らしい)

人と違う、ということに屈さず、それを≪honour≫と言い切る強さが眩しく、そして、さすが我らが椎名林檎!と思います。

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17才なんてとっくの昔に過ぎてしまって、今これらの曲に完全に感情移入できるかと言ったらもう無理なんですが、”17”のような曲が17才だった自分のそばにあってよかったと思います。私はもうこういう曲を、懐かしい写真を見るように聴いてしまうけれども、きっとこの曲が必要な危うく儚い17才達のそばにあるといいなと思います。

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ではまた次の夜に。
おやすみなさい。

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ハッピーになります。