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子どもたち(小さかった頃の私)へ

間違っても早期の学校再開や、熟慮に欠ける判断を推しているわけではないこと、先に書いておく。あくまでわたしは、この状況を変える術も、戦う武器も持たない無防備な子どもたち(当時の私)に、文章を書きたくなったただのひとりの大人だから。

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唐突なのだけれど、どうしても書きたくなった。
ぼっこぼこのいじめられっ子だったあの頃の私なら、きっと耐えられないと思ったからだ。

地獄の学校生活が突然の一時停止。
一瞬は安堵し、ガッツポーズした子もいたかもしれない。
程なくして一日一日と経過するにつれ、戦々恐々とし始めたはずだ。
「あと〇日でまた地獄が始まる」

あそこに座っている大人たち、気が付いているかな。
バンジージャンプの端っこで冷や汗をかきながら、谷底をのぞき込む子どもたちがいること。

大人になった今、思う。
大人として生きるのは、意外とすごく楽しいことだ。

好きなものを「これはわたしの好きなものです」と、大きな声で言える。
人と同じものが好きだからと言って、「真似した」とか「わたしの方が好きだ」とか言ってくるやつは不思議といなくなる。
(実際は大人の中にもそういうやつは可哀想なやつとして、ごく少数存在するのだけれど、可哀そうなやつに君が傷つけられてやる必要はない。だってそいつは可哀そうなんだから、せいぜい憐れんでやれば十分だ)

好きな人を「この人はわたしの好きな人です」と、大きな声で言える。
どんな人のことを好きになったって良いのだ。
同性異性大きい小さい赤青黄色ピンクにオレンジ、どんな人だって好きになって良いのだ。
この国の中では、なぜか異性以外の人と婚姻関係を結ぶことはできないけれど、大人はお金と知識を使って国を出ることだって出来る。
暮らす場所だって自由に選択できる。

声を大にして言おう。
大人って、すごく良い。

いま日本中で学校が再開されるのを、包丁を突き付けられているかのような感覚で待ち続け、曖昧な春休み延長のうわさに、いつから地獄が始まるのかと怯える子どもたちに、真っ直ぐに届けばいい。

戦ってもだめなら逃げていい、隠れていい。
自分の好きなものや好きなひとを、失わないで居られる場所を探そう。
見つけられたらそこでじっと、大人になるのを待って居よう。

大人になった時、好きなものの話をたくさんの人にしてあげられるように言葉を学んで待つのも良いかもしれない。
大人になった時、より多くの場所の中から暮らす場所を選択できるように知識を身につけ、お金を貯めておくのも良いかもしれない。

方法は山ほどある。
嘘だと思うかも知れないけれど、求め努力し進む場所に本当に道は作られるから大丈夫。
それが必ずしも、学校という箱の中である必要はない。

どうか、大人になることをあきらめないで。


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