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世間が言う成功を知りたいのです

「僕は大人になったら絶対成功する!」

「だた成功したいだけ。」

「彼は、もう成功してるんだからいいんじゃない。」


ちょっと待って。一体世間が言う、成功って何ですか?このあまりにも漠然とした言葉にいまだに躓く。


私が、今知っている成功は、10代に思い描いていた成功はとは違う。「成功」と言う定義が自分の中でいつから変わり始めたのか、あまり記憶にない。でも、10代の時に考えていた成功は、頭の中で作られた、何の根拠もない幻想だったことは確かだ。

10代の時に思い描いていた成功は、お金があって、社会的に地位があって、多くの人から称賛されるような仕事をしている人だった。そして、何よりもキラキラしている、そんなイメージ。

でもキラキラなんてなかった。

昔、夜働いていた時、お客さんとしてきた人は社会的に見たら成功者という人が多かった。お金があって、社会的にも認められてて、会社名と地位だけ見たら一目置かれるような人。そして、東京のビジネスの中心地でもある丸の内で働き始めて、この3拍子がそろっている人なんていくらでもいることを知った。そして、仕事柄そのような人と話す機会もよくある。


「今度、一緒にご飯に行こうよ。僕のおすすめの銀座のレストランでコース予約しておくね。」私が、想像していた成功が全く違ったかといえばそうでもなかった。社会的に成功している人に、キラキラしている人がいた。それは、うまくいっている時は、あまりに羽振りがよく。そして、あっけなく散ってしまうことも多かった。

「この前、投資で〇〇〇万稼いだから、〇〇の高級車買った。このブランド知ってる?」社会的に成功している人に、いつも堂々として見える人がいた。でも、その人の心は焦りと、人から認められたいという欲にまみれていつも表情が硬かった。その人の人生に喜びがなかった。

「〇〇と対談することになった。あ、そしてこの写真はあの有名なN氏と講演した時の写真・・・(続く)」社会的に成功している人に、いつもどれだけ素晴らしいことを達成したのかほらを吹いている人がいた。その人も、満たされない思いでいっぱいになっていた。だから、人から「素晴らしい」という言葉を切に望んでいた。

そして、私が想像していた成功とはちょっと違った種類があったのが事実だ。

「いつもキッチンをきれいにしてくれてありがとう。」「この前は、ご迷惑おかけしてすいませんでした。いろいろ手伝っていただき、ありがとうございます。これ、ちょっとした気持ちなんですけど…」そんな風に声をかけてくれる人もいる。私が社会的に本当に成功していると思われている人にキラキラはなかった。そこにあったのは、どんな人も真摯に向き合う心から出てくるその人の温かさとやさしさだった。そして、私は謙虚な心を持っている人だった。

人は、成功が幻想だとわかっていても成功を追い求めるのもだと思う。だって、幻想は時に私たちを幸せにしてくる。そして何より夢を与えてくれる。例え、それが手で触れないものだとしても。そして、それが儚いものだとしても。でも人々が求めている成功はきっと通過点であって、本質的な成功には程遠いのではないかと思う。真の成功は、その先にあって心の在り方が変わっていくものだ。


私が、10代の時に想像していた成功とはちょっと違ったけど、いろいろな人と会って、紆余曲折しながら様々なことを経験してこれが本当の成功なのかな、って感じるものが見えてきた。人によって、成功って言えるものって違うけど、それはうわべだけの見せかけのものではなくて、その人の芯からでるものが「やさしさ」という形で社会に還元されたとき成功って呼べるんじゃないかなって思う。



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