コロナの中。ここにあるもの、失くなるもの

コロナの影響で、スペインのアパレル会社インディテックスが傘下の多くを閉店するらしく、ZARAもそれにいくつも含まれるらしい。
イギリスのキャスキッドソンは経営破綻に陥り、日本法人も自己破産、我が家の近くの店舗も急ぐように片付けをしている。
日本の大手アパレルのレナウンはこれまでも順調ではなかったとは聞くけど、それにしてもあれだけ大きくて、子会社を含めるととてつもない数の従業員を抱える企業が、この2〜3ヶ月の内に今回こんな大きな決断をしなくていはならなくなったことに驚きを隠せない。

閉店や長期休業を決意した飲食店も多い。
ロイヤルホストがかなりの数の閉店する準備に入ったようで、これには本当にショックを受けた。
大阪の新世界のフグ料理の老舗、づぼらやも閉めることになり、クラウドファウンディングしてでもあの景色を残したいという声を関西方面からちらほら聞く。
関西人は「行ったことはないけど」新世界も道頓堀の店も馴染みの店だ。
1920年から100年も続いた店だからコロナの影響がどれだけ大きかったのか、決定打となってしまったのか。
こうなると自分が行かなかったから潰れちゃったのかな、なんて思ってしまう。勝手なものだ。

神保町の餃子屋さんの件も、ニュースになっていた。
これまで個人経営の店が閉店すると、
「チェーン店ばっかり行く私らにも責任があるよな」
と、資金力のある企業の店は当たり前の風景と思い込んでいたけど、今回のロイホやづぼらやを見ると、そうとも言えない。

ハンバーガーチェーンのドムドムも何店舗かが閉店が決めた。
大変失礼ながら「おお!まだあったんや」と思った。

私たち40代以上の者にとって、ドムドムは身近なファーストフード店で、1971年に銀座でオープンしたマクドナルドよりも1年早い、1970年に町田のダイエーに第1号店を出店した日本で初めてのハンバーガーチェーンだ。
調べていたら、なるほど、親会社はダイエー。
確かに、西宮の門戸厄神のダイエーにもあったし、三宮のダイエーにも入ってた気がする。

小学校1年か2年の時の1年ほどだけど、父が枚方支局勤務になり、家のある宝塚からは通えなくはないけど帰れないことも多いからと単身赴任になった。
枚方は京都に近い大阪の北東にあって、父の住まいとなった枚方市駅の家までは京都の出町柳まで繋がる京阪電車に乗って行く。
週末ごとに行っていて、一度自分で用意すると言い、黄色いナップザックいっぱいにぬいぐるみを詰めて、混んでる車内でそれを一生懸命抱えてるのを母が微笑ましそうにしてたけど、着いてからぬいぐるみしか入ってないのを見られてめっちゃ怒られたな。

枚方出身の有名人と言えば、なんと言ってもV6の岡田くん。
通称「ひらパー」、USJより身近なテーマパークであるひらかたパークのCMに出た時は、関西人はみんな「なんで岡田くん、出たん!仕事選びや!!」「ひらパーそんなお金あったん!?」とびっくりした(いろいろ立ち入すぎや、関西人 笑)。
ちなみにここのプールめちゃ楽しい。
Mr.オクレが枚方に住んでいるのもその時知った。
駅から家に向かう途中、オクレ兄さんが息子さんとバレーボールしているのを一度だけ見かけたことがある。
姉とめっちゃ興奮して、学校でも友達に自慢した。

ここの駅前商店街は結構栄えていて、飲食店がたくさん並んでいた。ドムドムもそこにあって、ダイエーの中じゃなくて路面店だった。
広い窓のある店の椅子に母や姉とちょこんと座って食べた小さなハンバーガー。
どういう意味なのかわからん象の横顔のロゴは、当時宝塚にもあったロッテリアよりもちょっと地味だけど、親しみやすかった。
枚方に行くと明石焼のお店やお寿司屋さんにも連れて行ってもらったなあ。
地元の宝塚には当時あまり外食をするところがなかったから、最寄駅でふら〜と入るところがあるのは、子供ながらに粋に感じて、父や母がカッコよく見えた。
サーティーワンに行った時には食べる前に椅子に座った瞬間にストロベリー味のアイスをコロンと手に持ったコーンから落としてしまって泣いた。

枚方パークには大人になってからも何度か行っているけど、枚方市駅にはあれから一度も降りていない。
きっともうあのドムドムも、サーティーワンもないだろう。
でもずっとあの通りは私の中では広くて、お店がたくさんあって、楽しいことがいっぱいある、キラキラしたものです。
飲食店はその街の風景としても私たちの中に残る。
決して豪華さや、味のだけではない。
そこにいつも、いつまでもあって欲しいと思う。勝手だけどそう思うのです。

去年の道頓堀

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