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"Love of adventure was in father's blood."

父について

12-15歳、18-25歳、27歳から現在、33歳。
通算、約16年間、両親と住んでいない。

子どもの記憶なんて3-6歳頃からだろう。両親は共働きで、朝は6時から、夜は12時まで働く二人だった。つまり、平日はほぼ顔も合わさず、合ってもほんの数十分だけのコミュニケーションだった。

母は右脳から生まれたんじゃないかと思えるような、感情豊かな女性だ。海のように情が深く、蝶のように鮮やかに空を舞う自由な女性だ。

父は右脳がないんじゃないかと思えるような、至極冷静で、厳格、律法に従い、まるで法廷にいるかのような緊張感を常に周りに与える男性だ。

ところが面白い。父の趣味はどれも芸術的で、脆く、繊細だ。世界で一番、口下手な人間だが、母以上に思慮深く、そして感情によって打たれ弱い。

33歳で、人生の半分以上も共に過ごしたことのない娘の私でも、一人異国で親を想えば、極めてそれは自然なことで、まるで自分の半分を感じるかのように、父を、想うのだ。

父は、あと半年ちょっとで73歳になる。父と私の間には約6,000kmという距離があり、家族で一番父と私が似ていると言われているように、大好きな人の前では、口下手だ。

高校生のころ、夏休み、父方の祖父が亡くなり、急遽日本へ一時帰国をした。生まれて初めて日本のお葬式に参列した私。大好きで仕方がなかったおじいちゃんの遺骨を目の当たりにした瞬間、声をあげて泣いた私に、父はこういった。

「泣くな。日本人は人前では泣かないんだ。」

あれ以来、泣きそうになったら、左腕をつねって泣かないようにブレーキをかける癖がついた。耐えられなかったら、その場を一旦離席して一人で泣いた。

今は一人。これからも父とは海を越えてでしかコミュニケーションできず、手のぬくもりも感じることできず、あと10年あるのかも分からないが、このまま同じことが続くのだろうかと、ふと想像したら、なぜ私は一人でここまで頑張る必要があるのだろうと、つい弱音を吐きたくなってしまう。

でも甘ったれな私には、きっとこれくらいの距離感が合っていて、きっと父の前だとすぐに甘えてしまい、だからこの先もずっと、このジャングルな東京でハンターとしてサバイバルすることが、私の強さを維持できるエネルギーとなっているのだろう。

父は、口下手だが、家族の中で、誰よりも家族を想い、娘はその愛情を6,000km離れたところからでも感じることができる。

そんな夜でも、父を感じる。

"Love of adventure was in father's blood."


-ER

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