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アメリカの今・人種差別問題と平和への想い

日本から来た新参者の私だからこそ感じること

アフリカン・アメリカンのジョージ・フロイドさんが白人警察官に”殺された”事件が起こったのが2020年5月25日。それまでCovid19一色だったCNNのニュースは、その後一転して、ジョージ・フロイドさん関連のニュースになりました。

私は、今交換留学プログラムで昨年12月からアメリカ・マサチューセッツ州のボストンに滞在しています。MBA留学のために訪米したものの、まさかコロナパンデミックというグローバルなパラダイムシフト、それに続くこの人種差別問題というこの国が抱える根深い課題に直面するとは思っていませんでした。

テレビニュースは、不安と恐怖にあふれ、ネガティヴなエネルギーでこの国が包まれている、どんよりとした空気感を感じます。今後も、この問題は間違いなくアメリカに根深く残り続ける社会問題として存在し続けていくのだと思います。Noteでこの問題に関する発言をすることは、正直なところ正しいかどうかわかりません。しかし、私は、アメリカという国に住む、日本人の新参者だからこそ、今思うことを発信する価値もあるのだと考え、この文章を書いています。

なぜ今この問題が爆発しているのか

人種の違いと根底にある社会構造上の問題は、コロナパンデミックとともに、少しずつ顕在化していた気がします。なぜなら、コロナで亡くなった人の割合が、白人(Caucaisian)よりも、アフリカン・アメリカンの方が多く、その理由として貧富の差による社会的資本の不平等性が根底にあることが明らかだったからです。ここでいう社会的資本は、医療、保険制度、労働条件、住宅環境のこととさせてください。アメリカの健康保険には、日本にある国民健康保険制度のような国民皆保険はありません。そのため、保険料を払うことが出来ない人たちは、コロナの症状が出たとしても、治療を受けられず、自宅で過ごしているとか、症状悪化のきっかけとなる持病を抱えている人も潜在的に多いといいます。オバマ前大統領が推進していた国民皆保険”オバマケア”は、今の大統領になって実現されなくなったそうです。

コロナパンデミックによって、この国が根本的に抱えて来た問題が、ジョージ・フロイドさんの事件が引き金となって一気に顕在化しているのだと思います。常日頃から少しずつ溜まって来た不満が一気に爆発している感じです。昨日、3ヶ月ぶりにボストンのダウンタウンに行きましたが、繁華街の多くの店舗は襲撃されないように板でガードされていました。

そもそも、アメリカという国って

アメリカに滞在するに当たって、NY稲門会(早稲田大学卒業生)の人生の先輩がオススメしていた、American Ways という本を読みました。

この本は、アメリカという国がどのようにして建国され、どのような人々で構成され、人々の価値観やアメリカ人が大切にしている価値観はどのようなものなのかということが詳しく書かれています。ビジネスやアカデミックにこの国と関わる人は一読する価値のある本だと思います!

アメリカという国は、ヨーロッパから来たプロテスタントが入植して作った、1776年に建国された新しい経済大国です。(日本はその時江戸時代ですね)経済発展の過程で、アメリカ南部を中心に、安価な労働力としてアフリカから多くの人々が連れてこられ、搾取されました。1860年の南北戦争をきっかけに奴隷は禁止されますが、その後も教育や生活の多くの面で差別は存在し続けています。American Waysによると、オバマ大統領が初めてアフリカン・アメリカンとして当選したことで、アフリカンアメリカンの社会的地位が回復したことの象徴となっているということでしたが、現実社会はまだ根底にある負の遺産を抱えていると言えます。

ホームステイ先での経験と彼らの辛い過去、感情

留学中、3ヶ月ほど、アフリカン・アメリカンの一般家庭に滞在しました。詳しくはここで書きませんし、個人と人種を結びつけて考えてはいけないと思いますがが、ホストファミリーとのやりとりから私が感じたのは、彼女たちは自尊心と明るさを備えていたけれど、それは何かをきっかけに大きく崩れてしまうような、とても脆いものであるということ。「自分たちは他の人種から嫌われている」というホストの言葉からは、歴史・社会構造の背景と感情が複雑に絡みついた問題の難しさを感じずにはいられませんでした。

私は小学校の時にいじめを受けた経験がありますが、それと似たような感情なのかもしれません。自分が理不尽に受け入れられない→自己肯定感下がる→対人関係にポジティブになれない という負のスパイラル構造は、民族単位で存在し続けているのかもしれません。(私は環境を変えることで乗り越えましたが)

わたしたちができること

〇〇の命は大切だ!と主張することは、私には違和感があります。何故なら、そう主張している時点で、「〇〇の命は大切にされていない」とアウトプットしているのと同じだと思うからです。「ALL LIVES MATTER」という主張もありますが、それは論点のすり替えだという風に解釈する人もいるそうです。そして、この国では、主張しないと、意志を持たないものと同じとして扱われます。そう考えると、簡単にどんな行動がいいとか悪いとか言えないような気もしてきます。

結局、私たちが個人として出来ることは何なのでしょうか。歴史を知り、事実を知り、彼ら、彼女らの感情に寄り添うことなのでしょうか。

警官と一般人の暴力のやりとりの映像をみると、心が痛みます。涙が溢れます。

世界が愛と平和で包まれますように。

Erika

(写真:2020.1.20 Museum of Boston Fine Artsにて。African Americanアートの鮮やかな彩色が私は大好きです。)


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