痛みと快楽について

ずいぶんと長い間更新してなくて放置してました、すいません💦

シルバーウィークの間、ふと

「無料電話相談室やってみよう!」

と、思い立ち始めてみました!1日限定3人様。その中で、ある漫画を題材に質問をされたのですが、そのことについて書いていこうと思います。

画像1

「暴力が嫌いなのに、痛みが快楽になるってどういうことですか?」

質問されたのはこのことでした(写真の刺青はボディペイントです。洗って落とせます)

私は写真にありますとおり縛られる人でしたし、昔はM女性として舞台に出たり、プレイをしたり、プライベートではS男性と主従関係を結び奴隷側として支えていました。

その個人的経験から答えると、

「痛みを加えられることで心の痛みを出していました。主に罪悪感です」

当時は罪悪感をプレイで癒してるなんて考えもしていませんでしたが、「問答無用で従える相手に哀願する」という行為は「生きることを許される」という喜びに溢れていました。

自分が痛みを加えられ、一生懸命それに応えることがご主人様への愛であり、それに応えてもらえることで安心感を得る。

生きているということに対する安心感を得たい。

私の場合はSMの主従関係が「確かな絆」の証であり、加えられる痛みや行為は「お前は存在していいんだよ」という許しでした。

痛みそのものは痛みでしかなく、同じ痛みでも「誰に加えられるのか」は大きな違いになります。

漫画の作者の「破壊されたい」という意識もたぶん自分自身への罪悪感だと思うし、罪悪感の種類として、自身の性を受け入れられない怒り=悲しみがあり、痛みで破壊されることで強固な自我が解放され、解放されたから涙が出る。というプロセスはあるんだろうなと。

この場合に沸いてくる性欲は、自我の理性が無くなるからなのかも。

性については誰もが持っている以上、探求の尽きない分野だと思います。

単なるストレスの発散としての性欲、繋がりたい欲求からくる性欲、自分を受け入れ認めてほしい、認められたという実感が得たいという表現としての性欲。

壊されてボロボロになってようやく自分に繋がることができる性的行為。

内側はわからないのに、外側からみたら皆同じ性欲行為に見えるというのが不思議ですね。だからこそ、たくさんの人が性をテーマに取り扱うのかもしれません。

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