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「脱原発」について思うこと

『あなたの家の電気はどこから来てるの?どんな発電方法なの?』そんなことをニュージーランドで聞かれて、答えに詰まった。ニュージーランドでは電力も自給する人が多かった。
私にとって家の電気は、電気会社が管理してるもので、あって当たり前のものだった。深く考えたこともなかった。

そして『フクシマについてどう思う?』『原子力発電についてどう思う?』『日本に住んでて怖くないの?』そんな風に聞かれて、当初は自分の意見も言えなかった。

今、少しずつ私は討論が出来るほど自分の意見を述べることができるようになっている。

私は原子力発電に反対だ。放射能は人にも動物にも作物にも魚にも海にも空にも地球全体へ悪影響を及ぼし、健康を害するものだから。

「脱原発」、そんなことを言うのは簡単で、でも、実践するのは難しい。今、私が使っている電気はどこから来ているのだろうか。どの発電所から、どれほど貰っているのだろうか。
電気会社にお金を払えば簡単に必要な分だけ電力を貰える日本。実際、ニュージーランドで感じたことは、電力の自給は、食物の自給よりも難しい。電子機器を使うのは膨大な電力が必要だ。でも、電力が簡単に手に入る生活では、電力自給の大変さがわからない。

福島原発事故のように原子力発電は大災害を生み出し、人の動物の地球の健康を奪い取る。日本の地方には多すぎるほどの原子力発電所がある。日本は原発を使い続け、今現在も「建設中」「計画中」のものもたくさんある。「核燃料再処理工場」だってある。空にも海にも放射線を流しているのだ。なんて危険なことを続けているのだろうか。

では、脱原発を掲げて、私はどう生きるか。私は原子力の代わりの電力として太陽光が良いのではないか、と考えていた。だって太陽からの光で生きることは自然と共に暮らすことでないか、と思っていた。危険もないのだと。

最近、青森へ行く機会があった。田んぼや畑、山、そんな自然の中に、太陽光パネルがたくさんあった。道路を車で走っても、山の中を歩いても、太陽光パネルがそこら辺にあった。景観が壊れていた。地元の人の話でも、山も森も散歩コースが太陽光パネルの置き場になり、どんどん散歩する範囲が狭くなっている、現在は山を破壊して巨大な風力発電を建設中であると、聞いた。そういえば、車で山にドライブ行った時、あらゆる所で工事している様子だった。
原始林を壊し、建設した巨大な太陽光パネルの発電所も連れて行ってもらった。静寂な原始林を入るとすぐに大量の太陽光パネルが見えた。木を倒すように指示した人は建設中に急死したとも聞いた。

太陽光パネルは20-30年しか持たず、その後は廃棄になる。廃棄する場所がなければ、その土地に置いたままになる。そう、ゴミになる。その場所の自然ももう戻ることはない。

そんな太陽光パネルだらけの青森の景観を見て、人から話を聞いて、私は悲しかった。私はまた、現実を知った。また、電力にどうすれば良いのか、わからなくなった。太陽光パネルも自然を破壊しているのだ。

今の私に出来ること、これ以上原発の建設の必要がないように、電気を使うのは最小限にしよう。早寝早起きし、日中は外に出て自然を楽しむ。電子レンジや炊飯器は必要最低限の使用にしよう。

電力に対して私に出来ること、他に何があるだろうか。どんな電力発電が自然を壊さずに発電できるだろうか。

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