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キリスト教との関わり

きっときっとみんな他人には見せない闇を抱えている。
深い悲しみや後悔、どうしようもない感情を抱えている。
それでも前を向いて歩いている。他人の闇や深い悲しみを知るたびに、抱えているのは自分だけじゃないって安心感に包まれる。そして人生は奥深く儚く美しいものだと感じる。

最近キリスト教に出会う機会が多い。ずっと宗教というものを避けていた。
でも仏教や禅の本を読んだり、「神との会話」という本を読んだり、いろんな人の話に耳を傾けるうちに、宗教ってどんな風に自分が人生を歩むか、生きる道の指標とするもの、と感じるようになった。そしてどこにも共通しているのが「愛」ってこと。結局みんな「愛」について話して祈っている。
自分に聞こえた声が、自分か魂か宇宙か神か。「神」だとするのがキリスト教の考え。「神」が人生を導いてくれるって考え。ただそれだけ。宗教が難しいものだと思っていた私は、ただ何も知らなかっただけだった。

教会やクリスチャンの集まりは温かく愛が溢れている。コミュニティに入れば仲間ができ、助け合える人たちが増える。誕生日や門出を祝ったり、亡くなればその人の生きた人生を愛おしみ、悲しみを表出し浄化したり。楽器を弾いて、みんなで歌を歌う。楽しい歌。

食事前に感謝し祈る、日本の「いただきます」に似ている。「祈るのは言葉で伝えるだけじゃなくて、歌でもダンスでも何でも良い。神はいつも私たちの傍にいる。」って聞いて、もっと軽やかに宗教に関わってもいいんだろうな、って感じた。

3人の子持ちの父親マイクル(離婚し親権は母親のため子供とは別居)が、子供と会った後、自宅で大麻などの薬を作っていた(彼は薬やアルコールに依存し、短期バイトの仕事)。そのとき神が「やめなさい」って言ったのが聞こえた。彼は元々クリスチャンであったため、教会に行きそこの人たちと話した。1時間大号泣した、最後に泣いたのは思い出せないほど前。そして初めて「愛」を感じた。彼は薬もアルコールも辞め、つるんでいた仲間とも離れ、今は短期の仕事しつつも、たくさん面接を受けに行っている。彼には今たくさんのクリスチャンの仲間がいる。
と、マイクルは泣いて話した。毎日しょうもない話、半分は下ネタ、というマイクル。それを聞いて私が泣いた。彼は今週「人生が変わったこと」について講演会をする。
私はクリスチャンでもないし、神も信じていない。でもこの話を聞いて胸が悲しみにも温かさにも溢れた。

私は仏教や禅の「今ここを生きる」「知足」という考えが好きだし、キリスト教の愛に溢れ、「神に人生導かれる」「神に日々感謝する」という考えも好き。

宗教が心温まるものだと今まで気付かなかった。愛溢れるものだと気付かなかった。仲間に出会える場所だと気付かなかった。

宗教に所属する気はないけれど、宗教の指針に興味がある。今はそんなところ。


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