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46歳 「不妊治療”以前”」をどうするの?…菅総理に聞いてみたいこと

私は現在46歳です。この”note”にいろいろと書き綴ることで、自分の今までのことを振り返ったり、自分と向き合ったりしています。

菅総理が誕生し、不妊治療をバックアップする体制が整っていきそうな気配。これには心から賛成です。しかし、子どもを望みながら産めなかった女性の一人として危惧していることがあります。今回はそのことについて書き留めていこうと思います。

以前、子どもを望みながら過ごした苦しい時期のことを、いくつかの記事に書きました。

子どもを望む多くの人たちにとって、不妊治療が保健適用されるということは、本当に喜ばしいことだと思います。

しかし、私は菅総理に尋ねてみたいことがあります。それは、子どもを望んでいるけれど、不妊治療以前の問題で悩んでいる人たちのことについてです。

菅内閣が打ち出している制度設計は、パートナーがいて、子どもを望んでいる人たちをサポートすることはできても、そもそもパートナーがいない人や、いたとしても公式に認められない関係の人、LGBTのカップルなど、世の中の”大多数”に当てはまらない人たちは置き去りにならないのでしょうか。例えば私のように、30過ぎで離婚、その後も「子どもを産みたい」と望んでいる…という場合、改めてパートナーを見つけなければ「不妊治療」という枠には当てはまりません。けれど、うまくパートナーに恵まれない人だって、世の中にたくさんいるような気がします。そして、一定の年齢になれば、動物学的に出産は非常に困難になります。そのころには、年齢を理由に「対象外」と認定されてしまいそうです。
「シングルで子どもを産みたいと思ったら精子提供を受けることができる」とか「男性の同性カップルなら代理母の出産が可能になる」とか、そんな制度になりますか?…と菅総理に聞いてみたいのです。

また、休暇についても思うことがあります。家庭をもたない人たちは、自分のプライベートを犠牲にしてでも産休や育休に入る人たちの分まで働いてきました。そのことには恨みも後悔も、もちろんないのです。が、「大多数」に漏れた者は、都合よく使われたり、様々な制度から漏れたりするのだと、折に触れて感じてきたのも事実です。

産休や育休が権利として浸透していった時と同じように、「不妊治療」がしっかりと市民権を得ていくと、法律的に認められたパートナーとの間に子どもを望む人たちは救われるかもしれませんが、その”型”に当てはまらない「不妊治療以前」の段階に問題を抱えた人は、またフォロー役を押し付けられ、置き去りになっていくのではないかと心配です。

出産適齢期の人たちの中には、子どもを望んでいるけれど、日本の法律で認められているパートナーシップに当てはまらない「不妊治療以前」の人が、低くない割合で存在するのではないかと思います。また、同性カップルの場合も、通常の不妊治療とは別の方法を取らなければならないはずです。このような人たちの「子どもを望む気持ち」がカバーされない制度だとしたら、個人的にはとても悲しくなります。

また、私のように、ずっと子どもを望みながら、思ったような人生にならなかった更年期世代も、やはり一定数存在するはずです。私も含め、家族を形成できなかった人たちのことにも、目を向けてほしいのです。

産休も育休も、そして不妊治療も、もちろん遠慮せずに仕事を休んだり、時短勤務を選択したりすればいいと、心から思います。ただ、そのような理由がない人たちにも、プライベートを充実させる権利はあるはずです。だから、特別な理由がなければ休めないという体制ではなく、誰であっても、どんな理由であっても、自分のプライベートのために仕事を自由に休める社会にしていかなければならないと思います。

いつの時代も、政治はマジョリティの意見でしか動きません。不妊治療をする人たちが増えて、そこに政治的なスポットライトが当たったことは良かったと思います。けれど、大多数の人が大きな声をあげる困りごとには、政治家でなくても気づくことができます。反対に、声をあげにくい少数派の人たちにも目を向け、声が大きくなる前に対処していくのが、本当の政治というものではないのか…と思ったりしてしまうのでした。


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