仕事と生活と音楽のバランス

私の人生での活動はだいたい3つに分けられると思っていて、それがタイトルの通り仕事と生活、そして音楽。

生活の中に趣味という括りがあると考えてるけど、生活と切り離して、音楽を別軸で切り出したのは、単なる趣味という捉え方ではなくライフワークのようになっているのと、目標を持って頑張りたい、活躍したいという思いが強くあるからかなと。

仕事は、自分にとってはやりがいを持ちながらやっていきたいと思っている考えで。生きるために、稼ぐため、の手段という意味だけでなく、1日の大半を仕事に捧げるなら、充実感持って取り組めてキャリアもしっかり積んでいきたいっていう思いが根底にあった。今でももちろんある。

生活はいわずもがな。毎日の生活活動。食べる寝る家のことやる、っていう。生活環境を整えること。

今年で社会人7年目になるけれど、最近までこの3つのバランスがずっとつかめないままだった。時間的にも、気持ち的にも。けど、昔と比べて気持ちの波が落ち着いたなと感じてきた中で、ふと気づきが舞い降りてきた。ような気がする。

昔の話。

社会人1年目から2年目の頃は体力も有り余っていたし、当時は実家であるがゆえお金も自由な時間も結構あったなと今となっては思っていて、元々フットワーク軽くいろんなところに顔を出すタイプだった私は、就職して手元で使えるお金が増えて興味持った場にはどんどん飛び込んでいった。

土日はもちろん、平日でも聴きたかった人のライブや、セッションも気になったところはどんどん行き演奏の場に出ていって、そのうちライブでの演奏も誘われるようになって社会人2年目の頃は、毎月のようにライブを組んでいた。飲みに行くことも多くなって音楽仲間の友達が一番増えたのもこの頃だった。いまでもこの頃が一番無敵だったなって思ってる。

仕事もそう。とにかく早く1人前になりたくて、経験が欲しくて、チャンスがあれば手を挙げて仕事をもらうようにしていた。毎年1人ずつくらいしか入らない部署に私の入社年は自分含めて3人も入って、1人だったら仕事も独り占めできて経験がたくさん積めるのにな、と思っていた。それくらい新卒の頃は一生懸命だった。

実家は都心からは遠かったので通勤はそれなりにかかっていて、その時間がもったいないと思って社会人2年目の頃に一人暮らしを始めた。

音楽活動も、都心に近くなればもっとフットワーク軽く出来ると思って実家を出たけど、もちろんその分一人で生活を成立させないといけないから、日々のちょっとした判断や決断が増えた。それが「生活」の軸。何食べるかとかね。実家のときよりさらに自由になった代償として、自力で生活を整えていくためにいろんな決断が必要になった。それが最初は大変でも楽しかった。

最初は料理続けようとがんばったり、友達を呼んだり、もちろんライブ活動とかの音楽活動も変わらないペースでやっていった。

仕事も通勤が楽になって、もっと頑張ろうと思ってた頃だったが、それほど充実感あることがこの頃からだんだん少なくなってしまったのはこの頃。社会人3年目。

でも音楽活動は楽しくて、なんなら新しいことにどんどん挑戦できるような環境があって、一緒に音楽やることが幸せだと思える仲間がいて、この仲間と続けていければ最高の演奏ができる気がする、どこへだっていけるようなそんな幸せな時期だった。だから人生総和としては楽しく過ごせていた。

でも、ある出来事をきっかけに、音楽を聞くのが嫌になり、楽器にさわれなくなり、ご飯が食べられなくなり、痩せ細って一人で生活するのもままならなくなり、仕事も忙しいわけではなく役割が見出せず、実家に帰って少し楽をさせてもらいながら通勤、生活をしていたものの、まともに仕事をする心身でなくなってしまったので休職することなった。社会人3年目の終わりだった。

辛くてもなんとか切り替えようと頑張ったしそれで乗り切れたことも今まではあったけど、糸が切れたように全部うまくいかなくなるとこうなるんだな、って心底思った時期だった。「がんばる」ということをやめることが辛い時期だった。

がんばれなくなった私は、そこから自分と向き合いながら少しずつ自分を取り戻していった。思った以上に時間がかかって、まだ回復できてないのかと思って落ち込みながらひとしきり泣くこともあった。そんな感情の波が激しいまま、仕事も、生活も、音楽も、やっぱりバランスとるのは難しいなと思い続けてた。その時の年齢と比較して、ずっと焦ってた。

仕事はそこから、休職後に転職。当時26歳で、やりたいことを見つめ直した上でキャリアを再設計するための方向転換。紆余曲折ありながらも、転職しなかったらここまで充実はしてないだろうな、とも思ってるので立て直せたかなという気はしている。

生活も、たまに乱れつつも時に手を抜きながら自分のペースをつかんで生活できていて。前は掃除も料理も週に○回やる!みたいなのをなんとなく決めてて、それをこなしてから遊びにいく、みたいなことをやっていくうちに、できない日があるとちょっと自己嫌悪に陥ったりして、「まあいっか」って思えていなかった。思えなかった。けど今は、まあいっかといいバランスで生活できてるような気がする。お花を飾ったり、生活そのものを楽しむこともできていると思う。

そして音楽。これが一番やっかいだった。体調を崩す原因になったのが、一番思いが強い音楽だったから、とにかく辛かった。自分を一番形成するものでもあったから、触りたくてもさわれなくなる、体調を崩す、ということが、気持ちに体がついていかなくてとにかく大変だった。やりたいはずなのに、やると辛くなるときもある、前のように情熱持ってやるには?練習しなかったことによって置いてけぼりにされるのでは?そういう焦りばかりあって。楽しむこともできなくて。そういう時期が2年近く続いたように思う。

転職して仕事が少し充実してきたことで、その気持ちはすこし紛れることもあって、音楽に対しては少し距離を置いたり、関わり方を変えたりすることで、第3の選択肢を見つけることができた。それが、アルトサックスを始めることだった。

お金のためだけではなく、プレーヤーとして自分の演奏する音楽で楽しんでもらいたい、という気持ちでプロではないけど楽しむだけのアマという気持ちとも違うよな、セミプロのような存在になりたくて(だし実際そうやって活動している人はいくらでもいて)、夢もぼんやり描いてて、向上心を持ち続けながら音楽を続けてきたけれど、そんな力の入った気持ちを持ち続けながら仕事も生活もしていくのは、あるとき自分にとって幸せなんだっけ?楽しいんだっけ?と思うようになって。

そこから、楽しくやりたいけれどもちろん自分の演奏で喜んでもらいたい、プレーヤーとしてもっともっと成長したい、という思いからいろんなことを見たり聞いたりしながらたどりついたのが、アルトサックスという今までと違う楽器をやるという選択肢だった。

これはすごく正解で、基礎からまた学び直しだけど、フルートの経験と合わせて楽しみながら向上心持って取り組めることが多くて。亀足だけどバリバリ吹けるようになってライブにももっと誘われるようになりたい、という野望がある。

亀足になっていても焦りがないのが、仕事でもいくつか変化があって目標持ちながら着実に進んでいければ、それが自分のキャリアにきっとなる、という確信が出てきたからなんだろうなと。

私は欲張りなので結局何か一つ充実してるだけでは満足できなくて、でも使える時間は限られているし体力も気持ちも。頑張りすぎるとハイ状態になってしまって、いつのまにか疲れてしまうしずっと続かないし、何よりそれに気づけなくなるほど没頭するのが一番よくないなと。

何が言いたいかというと、何か一つ充実してたら一方も充実する、とか、逆に一方が充実してなくても満足、という比例反比例の関係ではなくて、総和が自分の充実度ラインを超えたらハッピーなのかなと。疲労度ラインを超えてきてしまったら、アンハッピーなのかな、と。総和の心地よい部分を、自分の気持ちと状態をよく見極めて見つけていきたいなあ。というお話でした。

(こういうのほんとは図解したい気分だけど、今回は自分の気持ちの整理も兼ねてなので一旦やらぬ。笑)

長くなってしまったけど、勢いで書いた言葉こそ一番生きている言葉かなと思うので。このまま残しておこうと思う。

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