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エトセトラVol.3 私の私による私のための身体

わたしは大学を卒業したあとすぐ企業に就職して、今もそこで働くサラリーマン。社歴は9年めに突入。それなりにセクハラ発言も浴びたし、プレゼント攻撃にもあったし、理不尽な感情を押しつけられる経験もした。その時々で悩みを抱えてきた。放置したり、距離をとったり、時にはハッキリ拒絶の意志を示したりして、なんとか自分を見失うことなくやってきた。

冴えてる友人・知人に恵まれたおかげで、あらゆるモヤつきを言語化する機会はたびたびあった。それでも飲み込んだ思いは山ほどある。言えなかったこと。その時はわからなかったこと。あとで「ああ言えばよかった」「こう対処すればよかった」と後悔して、怒りに震えた夜も数えきれない。

そんな日々に救いの手を差し伸べてくれたものの一つがフェミマガジン「エトセトラ」だ。これのVol.3が先月発売になった。


フェミニズムとは何か、をそらで言えるわたしではないが、フェミニズム的な運動や潮流には全面的に賛同している自分にとって、この雑誌は教科書のようなものだ。特にこのVol.3の「カラダと権利」のシリーズは、何度も読み返して学びたい。以下はシリーズのラインナップだ。

01 子どもたちが自分の頭で考える・対話するための性教育(アクロストン)
02 産婦人科医が語る マイボディ・マイチョイス(早乙女智子)
03 避妊の権利、なんでないの(福田和子)
04 性暴力被害者のリアルと、法の中のファンタジー(牧野雅子)
05 妊娠するからだとガラパゴス中絶(塚原久美)
06 堕胎罪と母体保護法(齋藤有紀子)


どれも刺激的だったけれど、そろそろ妊娠が視野に入りつつある身に染みたというか、嬉しかったのは二つ目の記事にあった日本は女性の陰部に関する感覚が麻痺しているの見出し。

・日本の産婦人科で使用している内診台は、腰から下をカーテンで仕切ることが多いが日本と韓国以外にほとんどない。
・海外ではベッド式のものがほとんどで、内診台が自動で動くこともない。恥ずかしければ下半身にタオルをかければいい。
・なのに日本ではカーテンで上半身と下半身を分断して下半身を明け渡す。
・下半身を晒したカーテンの向こうに誰がいるのかわからないなんてかなり怖い。そんなことに耐えられるメンタリティがそもそもおかしい。


あんな、あられもない格好を他人に晒せるメンタルはわたしにはない。だから内診台に乗るたびに、ボキボキに折れている。
どんな器具を、どんなタイミングで挿入されるのか。言葉でのフォローもなく、じっと息をひそめて気配を伺っていると突如やってくる陰部への違和感と細胞をこすり取る不快感、痛み。まるで物のように処する異常な扱いによって、恥の意識を取り上げたことにしているのかもしれないが自意識を手放せたことはない。

カーテン撤廃については同業者ですらわかってくれないと早乙女先生。試しに看護師である妹に「あの内診台がいや。カーテンがいや」と訴えてみたら、案の定「そういうもんだ」と言われました(すでに二児の母である彼女は、検診のあらましを語り、知っているだけでも備えられると教えてくれた)。

もう一つ、日本の妊婦検診の回数は世界一と言われているそうだ。妊婦検診は女の管理ツールになってしまっている、母子手帳という管理用ノートまである。そんなこと考えてもみなかったのでショックだった。
自己管理ならいい、アドバイスを受けるのもいいけれど、誰かに管理される必要はないと聞いて、励まされる思いがする。

ネイルの色は選ぶのに、妊娠する/しないは選べないのはすごいなって思う。女は小さいことは選ばせてもらえているんです。そこで満足してしまう。でも自分の人生をどうしたいかってことでしょう。


早乙女先生のこの言葉、肝に銘じ、私の私による私のための身体を生きていきたい。「エトセトラ」わたしの教科書、次号も楽しみだな。


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