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10年越しの夢よりもやりたいことが、ココにはありました。

ちょうど2年前の21歳の夏。
救急救命士の専門学校に通い消防署の公務員採用試験に向けて就職活動をしようとしていた私は突然、就職自体、したくなくなりました。いろんな世界を見てみたくなったんです。

その後、夢だった救急救命士の国家資格を取得。
1年間のギャップイヤーを利用し、カンボジアで医療系NGOの病院でのインターンをしていました。

そして、そこからしばらく経ち一度日本に帰りましたが、心肺蘇生法の普及をするために、カンボジアに戻ってきました。おまけに、初就職も。それも、夢だった消防署で救命士としてではなくカンボジアの日系IT企業で…。

中学生の頃から夢見ていた救急救命士の仕事。
消防署に勤め救急車に乗り人の命を守る仕事。
小中高すべて職場体験は消防署に行ったし、高校受験する前から救命士の勉強をする専門学校はどこに行くか決めてたし、実家には段ボールで作った消防署とあちこちで買い占めた救急車と消防車のミニカーを飾っていました。笑

大好きな地元の消防署で働き救急車に乗ってキラキラ輝くかっこいい女性になりたい!と10年前から夢見ていました。

でも、そんな夢だった仕事につくことよりも、何倍もやりたいことがカンボジアにはありました。

今日は、そんな私の自己紹介を書きました。少しでも読んでいただけると嬉しいです。

自己紹介

大城 えりな 23歳。アナザースカイはカンボジア。
1996年 沖縄に生まれ落ち、のびのび育てるという教育方針のもと、のびのびすぎるくらいに育った4人兄妹の末っ子の私は、小学校の通知表には毎年この言葉が書かれていたと思う、「好奇心旺盛」。
大きくなってもそれは変わらず、知りたいと思ったものは気になって仕方がない。一旦やってみないと気が済まない性格。

座右の銘は女は愛嬌。で、愛嬌の押し売りが特技。
憧れの人は安室ちゃんとお母さん。ワイスピのレティも憧れ、戦える女性はかっこいいと思って専門学校時代はブラジリアン柔術習ってました。

好きなものは自然。
山登りもダイビングもキャンプもお花も虫も自然のものがとにかく好き。 
小さい頃からよく家族でキャンプや自然の中に遊びに行ってたこともあって
おおかみこどもの雨と雪 みたいな自然の中の家に住んで、庭にテント張るっていう暮らしが理想。

苦手なものは、干渉されることとチクチクしてる人。

中学生のころ、職場体験で大好きな消防署(消防車が好きだった)に行ったら、救急救命士という資格があるということを知って、**大好きな消防署で働く×医療的な仕事 **というマッチングが私にはどハマりしたのが救命士になりたいと思ったきっかけで、高校卒業後に沖縄を出て神奈川の救急救命士の専門学校に3年間通い2018年に国家資格取得しました。

海外に興味を持ったのは、国際協力への憧れが入り口で、小学校の道徳の授業で「世界がもし100人の村だったら」というテレビ番組を見たのがきっかけでした。
同い年くらいの子どもがマンホールで暮らしてたりゴミ山でボロボロの服着ている不条理さが不思議でたまらなくて、
「テレビの向こう側の子と、私がお友達になって沖縄に連れてきて、お腹いっぱいご飯食べさせたい、そして一緒に住めばいいんじゃないか」
と本気で考えてました。(無茶苦茶だけど真剣だったw)

そんな感じでマイペースにゆるっと、ふらふらっと生きてきた23歳のむちむちです。

初めてのカンボジア

初めてカンボジアに行ったのは専門学校1年生の春休み。

元々所属してたボランティア団体の先生にすすめられて、特定非営利活動法人JapanHeartという国際医療NGOのカンボジア2週間の短期インターンに参加したのが初カンボジア。

カンボジアなんて正直どこにあるかも知らなくて、なんとなく「地雷」というイメージがあったくらいで。

よく、なぜカンボジアなの?って聞かれるけど、ただ紹介されたのがカンボジアだっただけ。ご縁です、ご縁。
この小さな国との出会いで、私の新しい世界がどんどん広がっていきました。

インターンには参加を即決し、親にも相談せず速攻で申し込み、行くためにひたすらバイトをしました。

旅費と参加費を合わせた10万を稼ぐために、キャバクラでバイトして、親友に水商売で稼いだお金だなんて汚いかもってロッカールームで泣きついた覚えがあります。笑(今は汚いなんて一切思わないし、いい経験でした)

そんなこんなで飛び降りた初めてのカンボジアは、テレビで見てたより鮮やかで温かい世界でした。
みんなニコニコしてて可愛い。ちょっとシャイだけど一度話しかけるとフレンドリーに接してくれる。
空気感もゆったりしてて、どこか、地元の沖縄に似ていました。
貧しさはあるけども幸せそうに笑っていたのが印象的で、すぐにこの国が好きになりました。

そして、インターンに行ったのに、お手伝いをしに来たはずなのになーんにもできなかった、本当に何も。役に立てなかった。

それがとても悔しくて、次はもっと勉強して絶対救命士の技術を身につけて、役に立てる大人になってカンボジアに戻ってきたいと思いました。

人生を変えた自己分析シート

それから2年経った21歳の夏。やっと夢見ていた救急隊として働ける、と消防署への就活(公務員試験)に向けた準備をしてました。
地元に戻ろうか関東で就職しようか迷っていたところ、先生から配られたプリントには
自分を知って就職先に売り込もう!ってことで自己分析についての数々の質問が書いてあって、

Q、あなたの強みはなんですか

Q、あなたを雇うことによってその消防署が得られるメリットは何ですか

、、、、、パッとしたものが思いつかない。

明るくて積極的、何事にも一生懸命、素直で真面目。どれもありふれた言葉、こんなやつ全国にごまんといる。
私って、特異的な魅力ないんだなぁと悲しくなりました。

正直いま思うと、みんなそんなもんだし適当にいいこと言っとけよと思うけど
当時の私は、私だけの魅力が欲しかった、圧倒的な。

このまま就職できちゃったら私はどんな大人になるんだろう、、、
私の夢って、消防署に入って救命士として働く事だったから勉強も楽しく頑張ってこれたけど、働き出したら何を追って頑張るんだろう、、、

ましてや、消防署に就職したら地方公務員という枠に入り定年までずっと同じ職場(市内の分署移動はあるが)。
世間知らずの私がこの狭い世界に入ったら、もう、その狭い世界しか知らずにおばあちゃんになるのかな。

もっといろんな世界を知りたいな、、、

そして、**
「夢を達成する前に、自分の人生かけて大切にするものや信念を見つけたい、視野を広くしておきたい」**
と思い、そのまま就職は私にはまだ早いということで
「就活やーめたっ」となったわけです。

(母は私が新卒で就職しないことを分かっていたらしく、どこに就職するの?でなく卒業したら何するの?と聞いてきた。さすが、母。笑)

人生の方向転換が始まったギャップイヤー

さあ、新卒での就職をやめ1年間のギャップイヤーを設けると決めた私。
就職したら絶対できない事、自分の軸となる大切なものを見つけよう!
自己成長につながるキラキラな一年にしようっっ♪
というお花畑な感じでワクワクを膨らましていました。

世界一周や日本一周、山小屋で働く、ワーホリに行く、とか色々考えたけど一番気になってしまうのは2年前のカンボジアで注射に怖がって泣いてたおばあちゃんの顔と、あの時何もできなかった悔しさ。

技術を身につけたらまた行こうと思ってたけど、それって何年かかるの?
結婚してこどもできてたら?親の介護が必要になってたら?お仕事辞めるの?
数年後、自分が自由に動ける立場じゃなくなってたら、、、
一生行けなかったら絶対後悔する、、、、
そう思うと、もう一度いけるタイミングは何も背負ってなくて一番ハードルの低い今しかない!と思い カンボジア行きをきめました。

で、救命士の技術がなくとも役に立てそうな長期インターンという立場で、救急救命士の国家資格取得後、専門学校を卒業してそのままカンボジアへ出発しました。

とにかくワクワク!!どんな一年が待ってるんだろう!!
と思って活動に入ったインターンは、想像以上に辛かったです。
あんなにお花畑でポジティブハッピー!!だった私が、この1年のインターンは本当に苦しかったし自分を大嫌いになりそうでした。
私ってこんなにネガティブな感情持っているんだと自分でも驚きました。

でも、その分すごく多くのことも学ばせてもらって、就職をやめてまで探しにきた「人生かけて大切にしたいもの」もみつかり、価値観や考え方も大きく変わった貴重な1年でした。

インターン中の話はまた詳しくnoteを書くのでお楽しみに!!

そして選んだ私の道

そして、このインターン中に見つけた課題によって、現在、私はまたカンボジアに戻ってきました。

カンボジアの一般市民を対象にした心肺蘇生法の普及活動です。

心肺蘇生法とは、心臓の動きが停止した時におこなう、一番初めの命を救うための行為です。これをいかに早く行えるか否かでその後の生存率や社会復帰率に大きく影響します。
まあ、言葉で説明するより動いているのを見た方がわかりやすいと思います。(これはTikTokの#BPM100 DANCE PROJECT という取り組みの中で日本赤十字監修で制作された心肺蘇生How to動画です)

ちなみに私もこのプロジェクトに乗っかってCPRダンス動画アップしました!
想像以上に反響をいただき、ありがたいです。泣

少し話がズレましたが、私がやりたいのはこれ。
様々な方法からアプローチして心肺蘇生法をカンボジアで普及させる

10年前から夢見て憧れていた「救急車のお姉さん」を差し置いてでも、大好きな沖縄の家族と離れてでも、やりたいと思うこと。

この活動をするために戻ってきて、この活動を続けるために、生活するためにここで初就職をしました。今は普及活動ではお金は稼げないので。

お仕事は全然違う業界のIT系のスタートアップで広報やリクルートを担当し、メディアの使い方や社内広報でのカンボジア人の巻き込み方を勉強しています。

給料は日本の救命士の平均年収の10分の1くらい、温泉にも山登りも大好きな沖縄の海にもいけないし97歳になるおばあちゃんが心配だけど、私自身を最大限に活用すべく場所はここだと思っています。

そして私がここで頑張りたい思えたのは家族が心配しながらも送り出して何があっても味方でいてくれること、沖縄という存在が常にあたたかくそこにあること、友達として誇りに思ってると応援してくれるとも青春を過ごした友人達、一緒にカンボジアで職は違えど全力で支え包み込んでくれる彼氏の存在があるからで、本当に感謝しています。

全て初めてでわからないことばかりで迷ってしまい不安になることだらけだけど、周りの素敵な人々に支えられなんとか、まだ誰も歩いていない私だけのゆく道を示していけそうです。

ただひたすら、この国でいつか、今まで亡くなっていたはずの誰かの命が、一般市民から医療機関に繋がれ私の知らないところで笑っていられればいい。
笑って通り過ぎていく子ども達の未来が少しでもよくなっていれば。

そんな想いをもって、カンボジアでに戻ってきてました。



#自己紹介 #人生を変えた出会い #令和元年にやりたいこと #私の仕事 #熟成下書き #カンボジア  #国際協力救命士 #心肺蘇生普及


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完全実費で行なっている心肺蘇生法の普及活動にかかる交通費や交際費を応援していただけると泣いて喜びます、、、泣

ウゥぅっぅすき!!
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カンボジアで心肺蘇生法の普及活動をしている23歳の救急救命士です。 医療×エンタメで、知識がなかったために亡くなる命を少しでも減らせる未来を作りたいと思ってます。 餃子とお花と大福が好き、誕生花はかすみ草です。

コメント4件

うちの村でも、もし講習とかしてみたければー!
救命士として働いたことがなくても救命士って名乗っていいんですか?現時点では資格があるだけなんですよね。
私は、現在看護学生の最終学年です。内定も決まっています。
けれど、正直本当に自分のしたいことが看護師なのかわならなくて、ただ他にしたいことが明確にあるわけでもなく、何かの特技や才能もなく、モヤモヤした日々を送っています。
えりさんは、資格を取得したのに就職するのではなく、色々な世界を知るために一歩踏み出し、今は自分のしたいことを見つけている。とてもかっこいいです!
私ももっと色々なことに挑戦して、沢山の経験や色々な人に出会い、自分のやりたいことを見つけたいです。
長々とすみません。
これからの記事も楽しみにしています。
医療×エンタメという発想がすごくいいと思いました!!
今の時代はやはりSNSをうまく活用してこそだと私は思います。
心肺蘇生法の知識がカンボジアの人々に広まりますように!!
応援しています!!!
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