
病院につく前の人の命をつなぐ
先日アップした自己紹介記事が、想像以上に多くの方の目にとまっていただき、驚いています。
ありがとうございます。
note公式さんにも紹介していただき、もう嬉しくなっちゃいました。
初めてのnoteで、こんなに多くの方の反応をいただけて本当に嬉しかったので、今後もちょこちょこ上げていこうと思います。
現在進行形の物語を読んでいるような感覚で、楽しんだり驚いたり共感したり、ちょっと親心になってみたり、、、いろんな感情で読んでいただけたらと幸いです。
今日は、私が心肺蘇生法の普及活動を、カンボジアで、10年越しの夢よりもやりたいと思うに至った、ここ1年足らずのお話をしようと思います。
初めて私の記事を読んでくださる方、前回の記事で自己紹介をしてるのでよかったらご覧ください。
はじまりはおなじみの質問から
去年の3月に救急救命士の国家資格を取得し、専門学校で卒業してから2ヶ月後、2016年の初カンボジアでも2週間の短期インターンとしてお世話になった特定非営利活動法人Japan Heart で、長期インターンとしてカンボジアの現地に団体が建てた病院で活動をスタートさせていただきました。
現地入りする前に東京で事前研修があり、団体の活動内容や組織について学び、そしてここでも出てきました、あの質問、、、、
「あなたにできることはなんですか」
就活の時に同じようなことを聞かれてあまりにも自分の魅力のなさにがっかりして就職をやめた日を思い返しながら
「あぁ、どこ行っても聞かれるんだ、大人はみんなこれが知りたいんだぁ」
なにができるかって、どんなことをさせてもらえて、なにが求められるかもわからないのに、、、
なーんて思いながら、なんとなーくペンをとって、、、
初めてカンボジアに渡った時の情景や感じたことを思い出し、つらつらと書いてみました。
私の覚えでは(1年以上前だから少々怪しい)
・短期でお手伝いに来るボランティアの人と、そこで働く長期スタッフの橋渡しになる
・医師や看護師の手が回らない"直接的な医療ではない"部分で患者さんに関わる
・心肺蘇生法の技術の定着
の3つを上げたと思います。
そう、初めてカンボジアで心肺蘇生法関連をしたいと思ったのは、実はカンボジア入りする前でした。
私は新卒で現場経験がなかった為、救命士としての医療的な技術(薬剤投与や事故現場での迅速な対応など)ができる自信はもちろんなかったので、救命士として何か医療的なものを提供したいと思いついたのがこれだったんです。
学生時代、実習で手にアザができるくらいやり倒した心肺蘇生法、幸い在学中にインストラクターの資格も取得していました。
これに関しては、できることというより、これしかできないっていう感覚。
きっかけはこの気持ちですが、これだけではもちろん、わざわざ就職をやめてカンボジアには残りません。
この後、ある日を境に私の人生はだんだんと変わっていきました。
ここが分岐点、講習先で聞かれた衝撃的な質問
Japan Heart でのインターンが始まり約3ヶ月。仕事にも慣れ、先輩や仲間に支えられながら、徐々に病院内の医療スタッフ向けに心肺蘇生法の講習会を開くようになりました。
そんなある日、カンボジアで救急医療の活動を行なっている方が一般市民(非医療者)に心肺蘇生法の講習会を開くということでご一緒させてもらいました。
日本では何度か一般市民向けに心肺蘇生法の救命講習をした事があったけど、カンボジアでの一般市民向けは初めて。
どんな感じの反応はなんだろうと緊張しながらも会場に向かいました。
受講者はカンボジア国内ではある程度の教養があるはずの社会福祉省の方々。
心肺蘇生法が必要な状況から身体の仕組み、心肺蘇生のやり方など一般市民向けの講義と人形を使った実技訓練を一通り行い、最後に質問タイム。
質問を受け付けると受講者の手が上がる上がる、みんな熱心だなぁなんて思って聞いてたら質問の内容は突拍子もないものが飛んできました。
「こどもが溺れた時は心肺蘇生法をするのがいいのか、足を持って逆さにブンブン振る伝統療法の方がいいのか、どちらが正しいんだ?」
「もし脳に問題があったら、心肺蘇生法はやらない方がいいのか?」
「出血してたら心肺蘇生法より血を止めるのが先か?」
など。
まるで、講義で口すっぱく伝えた意識・呼吸がない人は原因がなんであれ心肺停止と判断し心肺蘇生法を直ちに行うが全く伝わってない、、、
歴史的な背景からの伝統療法の影響や、義務教育での保健の授業がない為に身体の話をしてもイメージがしにくいのか、理解してもらうのは大変だなぁなんて思っていました。
そして次の質問が私に衝撃を与え、私の価値観に大きな打撃を与えました。
「倒れている人に近づくと、倒れている人を助けるふりして財布を盗んでいると勘違いされて周りの人から殴られる事があるがどうすればいいか」
ええ、、、そんなんある!?
驚きました、助けようとしたら殴られちゃうの、、、
心肺蘇生法の認知度が低いために、倒れている人の胸を押す(胸骨圧迫)というシーンを見慣れてない人もまだいるんですよね。だからそれを心臓が止まっている人に対する正しい処置だと思わない。
心肺蘇生法より、倒れている人に行われる盗難の方が見慣れているんです。だから盗難だと思われてしまう。
心肺蘇生法を知っていてもそれを恐れて近づけないという人もいるそうです。
技術を教えるだとか講習会を開くだとか、そんなことをできるフェーズじゃないんだということに気づかされました。
日本では、倒れている人の胸を押しているのを見たら医療関係者じゃなくても「心臓が止まってる人を助ける行為」をしていると認識するはず。
講習を受けたことない人でもそれは知ってる。
それを止めたり、非難する人はいないはずです。
でも、カンボジアでは心肺蘇生法の存在があまりにも認知がされていないから、心肺蘇生法を知ってる人でも倒れている人に手を出せる状況ではない。
人命救助できる土壌すらもできていない。
人の命を助けようとしたら、泥棒扱いされて殴られたり、最悪倒れた人が助からなかったら お前が殺した と人殺し扱いされてしまう。
私は、この『日本で救われるはずの命が、カンボジアでは救われていない現状』に対して憤りを感じました。
消えない想いを原動力に
そして、インターン先のJapan Heart の病院では、不慮の事故で運ばれてくる、私の目の前で命の火が消えていく小さな子どもと泣き叫ぶ家族。
命を守りたい、救いたいという気持ちは国なんて関係なく同じなはずなのに、正しい知識がなかったために、こぼれ落ちていく小さな命が、本当に、惜しくて惜しくて。
この、行き場のない憤りや虚しさが、ずっと消えませんでした。
インターンが終わって、日本に帰国してからも忘れることはできませんでした。
始めは、10ヶ月のインターンが終わったら日本に帰国して、救急救命士として、消防署で働き救急車に乗り、中学生以来の夢を叶え、数年経験を積んでからカンボジアにまた戻って来れたらと考えていました。
でも、数年後、27.8歳になった私が日本を出て自由に動ける立場かわからない。大きなモノ、大切なモノを背負っているかもしれない。
数年後、自分が技術を身につけて戻ってきたとき、日本の救命士が持っている技術は、果たしてカンボジアで求められているのか。
きっと、技術を教える前に、土壌づくりや基盤を整えることが必要不可欠。
そして、日本はある程度医療環境も整い、優秀な救急救命士も、それを目指し日々頑張っている方もたくさんいる。絶対絶対必要で尊い仕事だけど、私じゃなくたってきっと代わりはいるはず、、、
だから、ずっと胸に残っているこの憤りや虚しさを原動力に、今まで救われることのなかった命が救われる未来になるように、私のできる範囲で動いて行く事が、今の私の存在を最大限に活用できる方法なんじゃないかと思っています。
正直、普及への道のりは長く険しいと思います。
でも、知識がないためにこぼれ落ちてしまった命が少しでも減るように
今日生まれた命がもし、どこかで事故に遭う日があったら、その命が繋がれている未来であってほしい。
その日がくる為に、その未来に近づくお手伝いができるように
そして私が本心から納得できるわたしである為にカンボジアにいます。
経験がない、まだ若すぎる、こんな小娘に何ができるんだ、そうやって思う人もいるかもしれない。
でも、私は私自身が感じた社会課題を解決するために選んだこの道に誇りを持っています。
「病院につく前の人の命をつなぐ」
救急救命士としての広い意味での使命を果たすということに場所や働き方はひとつじゃなくていい、勉強して得た知識や知見を使い一人一人が何かに向きあっていたらと思っています。
私はカンボジアでこの使命を果たしたい。強くそう思える事柄に出会えたのはすごく幸運だったと思います。
今後進めていく活動の方針はまた、次のnoteでお話します!
日々の更新はTwitterで更新していきますので、見てもらえると嬉しいです!
では、またお会いしましょう。