平成最後の夏 と Travis Japan

今の体制になって初めての夏。

とはいえ私は好きになって1年半ぐらいの新規ファンで、PLAYZONEを六本木に復活させた去年の夏は殆どまっさらな視線で観ていた。
だからこそ、7人の、オーディエンスの尋常ではない熱量を、とても新鮮に受け取れたと思っている。
ぼんやりと感じ取ることがあったとしても、それも全て受け入れてこの人達を応援したいなあって思えた公演だった。

けれどもやっぱりその後はとても辛くてしんどくて、少年収に居ないってなったときは本当に不安で押し潰されて、ユニット推しはしない方が良いんじゃないかなって心の内で思ってた。

そして湾岸ライブで2人の加入発表があったと聞く。
ちょっと待ってくれ、私を含め会場のキャパシティ的に、まだこの目で確かめられてない人も多いというのに。
なんて考えていた。

様々ジャンルのオタクをしてきたので、集団の1人を残して仲間は居なくなり残ったものが全く別物になるとか、抜けた人が今生きているのか自分には確認し得なくなるとか普通にあった。
好きなものが変わったって、好きだったものを嫌いになるとか滅多なことが無いとそんなことできないよ。だから好きだった人の行く末は未だに案じてる、私だって。
だから慣れというと語弊しかないけれども、何事も諸行無常なのだから、そこは受け入れるというか乗り越えなければならないところだと思っていて。

ステージ上に立つ人を観るという他人の人生を眺める趣味をしていて、自らが気を病むのなんて馬鹿らしい。
とあくまで自分自身に対してこのような考え方をする人間なので、期間はまちまちでもポジティブな方向に気を持っていけるようになった。

だからこそ、折角私の好きなユニットに入る子たちが出るのなら、ジャニーズのファンとして何れは履修をしておきたかったEndless SHOCKに出ているのであれば、と足を運んでみた。
生で7人揃った姿を観るまではまだ少し蟠りはあったけれども、すごく強くてこんな子達が私の好きなユニットに入ってくれるんだなあ、なんてありきたりだけれどもぼんやりと考えていた。

横浜アリーナは個人的には過去を宝箱に詰めてそっとしまっておいてそれを背負ってこれから新しい光の中に連れて行ってもらうような感覚だった。
今回のTOKYO DOME CITY HALLは7人でTravis Japanとして、背負っているものも全て愛して、地に足つけてこれからの道標を私達に示してくれているようだった。

最初はGuysの使われ方とかうーんって思ったのも本音。
けど5人のこの曲により変わった目の色は淀みなく真っ直ぐで、本気でPLAYZONEを復活させる、新しい世界を創るつもりなのかなって。
松松2人の、この曲を演っている時の目の色を見て、此処が俺等の居場所だって言ってるように見えた気がして。
去年の焼き増しだって一部には言われるのも解っていて、本気で演ったのだろうなあ。なんて。

夜の海は個人的に自担に踊ってほしい曲だったのでとても嬉しかったのだが、松松担の方々にはどう見えていたのだろうか。

結局抜ける抜けないの最終決定権は自分にあるのだし、誰にも咎められない。
だからこそ、抜けた事を後悔するぐらい、逆に居た事を誇りに思いこれからも愛し続けてくれるようなユニットになってほしいと思った。
なので「Up&Down and Up&Down,Yo Dance!」の振付が美勇人くんだと聞き、とても嬉しくなった。
こうやって抜けた後も愛してくれて、Travis Japanの為に力を注いでくれて、本当に心から感謝している…。

脱退してもTravis Japanに力を注いでくれたり、SHOCKの曲の持ち出しを赦してくれて応援してくれたり、それ以外にも7人の想いを優しい愛で包んでくれる人が多いのは、7人の人間性が認められているからなんだろうなあ。

私はTravis Japanの歴史も、松松シンメの歴史もどちらも殆ど知らない。
けれども今はこの7人がTravis Japanだし、私はこの7人にこれからも夢見ていたい。

夏は嫌いだったけど、過去も現在も未来も背負ったTravis Japanが今年もステージの上で輝いていてくれたお陰で、平成最後の年でやっと夏を好きになれたよ。有り難う。

これからもよろしくね。

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