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スウィングし、歌い、考える

昨晩は、作業しながらまた"Swing, Sing & Think: David Fray – Bach’s Keyboard Concertos"を観ていた。もう何度も何度も観ているんだけど、ふいにあの音と声を聴きたくなってはYouTubeプレイリストを遡ってしまう。

この作品は、2008年にピアニストのダヴィッド・フレイ(David Fray)がブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団とのバッハのピアノ協奏曲のレコーディングにあたり、その音作りの様子を記録した映像作品。

映像の権利を持つEuroArtsが2014年からYouTubeで公開していて、下記から全編(98分)を観ることができる。YouTubeで合法的に観ることができるクラシック音楽ドキュメンタリーのなかでも、最も価値ある作品のうちのひとつだと思う。

音声は英語だけど、よくわからなくても大丈夫。ドイツ人のオーケストラに対してフランス人が英語で指導する内容なので、身振り手振りと音楽によるコミュニケーションの要素が大きい。ところどころで入るフレイによるフランス語の解説は、英語字幕をオンにしていたほうが楽しめると思います。

きっとバッハが好きになる
(少なくともダヴィッド・フレイが好きになる)

ダヴィッド・フレイは81年生まれのフランス人ピアニスト。観れば分かるんだけど、まずこの人が超絶イケメンで、なおかつめちゃくちゃ魅力的なんですね。ピアノを弾き、オーケストラを率いながらものすごく感情を表情に表すので、端正な顔が崩れてヘンな顔になったりするんだけど、それも含めてなんだかこう…いいのだ。いい顔をするのだ。

そもそもこのレコーディングはどういうものかというと、J.S.バッハの有名なピアノ協奏曲――正確にはチェンバロのための協奏曲なので「チェンバロ協奏曲」とか"Keyboard Concerto"とか言われるけれども、ともかく鍵盤楽器と弦楽オーケストラのための音楽――を3曲、新進気鋭のピアニストとベテランの管弦楽団がコラボしてスタジオ録音するというもの。はじめにそれぞれの曲をまず合わせてみて、続いて、ここはこうしてほしい、というふうに指揮者兼ソリストであるフレイが細かく指導していく。満足いくまで仕上がったらハイ録音、で、次の曲! という流れ。

バッハって、生まれてから亡くなるまでドイツから一度も出ていない、ドイツを代表する大作曲家なわけです。なので当然、ドイツ・カンマーフィルにとっても「おれたちの音楽」なはずで、そこへ20代の若造のフランス人ピアニストが来て、彼らの演奏にああでもないこうでもないと難癖をつけてくるわけですよ。例えば、「演奏が重くてドイツ的すぎる」だとか、「もっと呼吸を聞かせてほしい」だとか…。声を荒げてぶつかり合うような場面こそないものの、初めのほうなんかは、団員もあからさまに不満そうだったり、意図が伝わらず困惑しているような様子がある。

でもそこに、音楽を通してコミュニケーションが成立していくのです。固かった両者が次第に打ち解けて、互いの価値観をリスペクトしあい、プロフェッショナルとしてひとつの理想形を作り上げるさまが克明に記録されている。ナレーションや凝った編集もない、言ってみれば淡々とした記録映像なんだけど、これこそがドラマだと感じる。

ダヴィッド・フレイのバッハ

よく指摘されるのは、オーバーアクション気味の姿勢と表情の豊かさ、そして演奏しながら歌う様子などから、フレイが若き日のグレン・グールドに似ているというもの。確かに似ているところはある。自分のなかのバッハ解釈が明確にあり、一切の迷いがなく、(もちろん完全に暗譜していて)まったく澱みなく弾く。

けれどフレイは、もっと「ピアノならではのバッハ」に踏み込んで、独自の価値観で咀嚼している感じがする。ペダルも使う。18世紀の演奏に忠実であろうとする古楽演奏からすると、いささか自由すぎて、一見するとあまりにも違う曲のように聞こえてしまうかもしれない。

それでもわたしがフレイの弾くバッハに強く共感するのは、彼が本作のタイトルにも含まれている「スウィング(=リズム)」と「」を非常に重要視していて、それがこのオーケストラへの指導のなかでもたびたび現れるからだ。世俗曲で、しかもヴォーカルのないチェンバロ協奏曲なかに、レチタティーヴォやカンタータのアリアを見出すくだりは膝を打った。エネルギーとダンスこそバッハの本質だというのは、確かジョン・エリオット・ガーディナー先生もそのようなことを仰っていたし、アプローチこそ違えど、そういった態度は実はモダンな古楽演奏観ともすごく近いのではないかと感じる。

本作で登場する曲は次の3曲。それぞれ急-緩-急の3つの楽章からなり、演奏時間は10~15分。映像では、各楽章の前に"リハーサル"パートが含まれるので、それぞれ30~40分、計98分という構成。どれも見どころばかりで、通して観るのが一番おすすめなんだけど、ちょっと見てみようかなという方は最初の10分、4番の第1楽章だけでもおもしろさは十分に伝わると思います。わたしが一番好きなのはその次の第2楽章…。

・チェンバロ協奏曲第4番 イ長調 BWV1055

明るく快活で親しみやすい第1楽章とは対照的な、悲しくドラマチックな第2楽章の美しさ! 動画の17分くらいのところでフレイ本人が実演しながら解説するんだけど、天上の楽園のような幸福感がだんだん暗い影を帯び始めて、悲劇のどん底まで落ちていき、そのなかでついには希望の光を見出すようなこの曲のクライマックスを、オーケストラでどう演出していくかというのが本作の最初の見どころかもしれません。

チェンバロ協奏曲第5番 ヘ短調 BWV1056

動画の41分くらいからはチェンバロ協奏曲5番。第2楽章のラルゴは映画に使われたりもしていて有名な、かわいらしい曲。

チェンバロ協奏曲第7番 ト短調 BWV1058

1時間12分くらいからは7番。これはヴァイオリン協奏曲第1番 BWV1041と同じ曲。この曲本当にいいですよね。第1楽章はWiderstehe doch der Sünde (BWV54)を引用しながら解説していて、なるほど~と思った。これこそドラマの詰まった曲で、優しさも楽しさも悲しさも全部が一緒くたになって、生命の輝きとして「ダンス」となって表れてくる。

■ ■ ■

楽譜に書かれているものをただ演奏すれば音楽になるのではなくて、どう演奏するのかを考え、対話することで音楽が少しずつできあがっていく。プロの演奏家には当たり前の日常なのかもしれないけれど、普通のひとはなかなか見ることができない様子を映像として見ることができる。

楽曲だけを通して聴いてみたいという方には、EratoからDavid Fray "Bach: Keyboard Concertos"としてアルバムが出ています。映像版には入っていない(冒頭でちょこっとだけ弾いている)チェンバロ協奏曲第1番 BWV1052も収録されている。たぶん輸入盤だけど探せば普通に買えるし、Google Play Musicなどで配信もされている。

ジャケがまた超絶イケメン

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