ドラゴンクエストXI_過ぎ去りし時を求めて_20181003210416

ドラゴンクエストXI プレイ日記(4)

前回の記事はこちら

終盤、ストーリークリアまでの記録です。ネタバレを含むので、未プレイの方は読んではだめです。だめっていうか、本作はやはりシナリオの魅力に惹かれて先に進めたくなるゲームなので、お話を一切知らずに遊んだほうがきっとおもしろいだろうなというのを、ここまで遊んでみて改めて感じました。

なので一応、(発売から一年以上経っている作品ですが)クリティカルなネタバレ記述は伏せますし、そのうえで、それでも察しのいい方はなんか分かってしまうはずなので、念のためご注意ください。

ラストダンジョンへ

前回、意気揚々とラストダンジョンに突入して門番のボスにボコボコにされたので、戦力の立て直しを図るところから。Lvが45くらいだったんですよね。ボスでいうと、ここまでカンダタとクラーゴンのところで全滅してますが、いずれもレベルを上げて殴ったら余裕だったので、今回も安全を期して。

レベル上げは、ハンフリーさんちの床下(グロッタ地下遺構)に潜って、はぐれメタル・強狙いで。エネミーシンボル(マージマタンゴ)が動かないうえ無限に湧いてくるので、確かにレベル上げしやすい。全員Lv50くらいまではここで。ただやっぱ出現率が低いうえ、逃げられることも多々あるので一定Lv以上は単調な作業になってしまうかも。

装備を揃えるにあたってお金もそんなになかったので、以降は天空の古戦場をウロウロして全員Lv55近くまで上げる。ついでに、放置したままのクエストがかなりあったので、各地でおつかいをこなしながら。

やはりそう思いますか

ふしぎな鍛冶で武器を揃えたり、店売りの防具で装備を固めたりしつつ、スキルの振りかたも見直して…前回こてんぱんにやられたボスに再挑戦。

危なげなく勝った!

ラストダンジョン自体も、もっとボリュームあるかと思ったけど案外そうでもなかった。方向音痴だから、マップがなければだいぶ迷っていたかもしれない。でも敵もシンボルエンカウントだし、ある程度奥まで行くとショートカットできるポイントがあるから大変じゃなかった。

ホメロスとのイベントは、分かってはいたけどしんどい。回想のなかで、グレイグにシカトされたと感じたことがそもそもの契機だったので、勝利したあとあっさり通り過ぎようとするグレイグには無慈悲さも感じた…。けれども、最後の最後にグレイグの思いを伝えるセリフがあって、ここに至ってはやはりドラクエのお話らしい「すれ違い」でしかなかったとはいえ、わだかまりが解消するようなオチがついて良かったなとも思うわけです。

たのもー

で、ラスボスです。ウルノーガさんの顔が前に会ったときと全然違ってて笑っちゃった。髪切った?

連戦は予想していたものの、やはりけんじゃのせいすいによるMPの補給タイミングが難しかった。パーティーは勇者、グレイグ、ロウ、セーニャのベホマラー2人体制で手堅く、スクルト、マジックバリア、勇者にバイキルトみたいにバフを撒きながら、ダメージソースは勇者の全身全霊斬りのみに頼る。これでいけた。クリアできました。

そしてエンディング…なんか、前回の記事で懸念したようにラストで自分のテンションが中弛みすることもなく、ちゃんと最後までクリアできたなあ、とか、ああ、帰る人が待っているところに仲間たちをひとりずつ送っていく、基本に忠実な、いいエンディングだなあ…とか思いながら。

あー、面白かった!

いやいやいや。

それにしてはあっさりしたエンディングだったし、考えてみたら、行く先々で思わせぶりにウロウロしていた「勇者にしか見えない小人さん」の謎と、サマディー近郊に落ちかけた例の「勇者の星」の件は何一つ解決してない。手持ちの鍵で開けられない扉も残ってたはず!

もうちょっとだけ続くんじゃ

終わった…と思いきや

そうなのだ。全然終わってないのだ。しかも世界を回り、お話を進めていくなかで、とんでもない方向にシナリオが進んでいく。ええ…それ…このお話でやるの!? 本当に? みたいな。確かにドラクエと言えばそういう要素もあった気がするし、ドラクエ5でも子供時代に戻ってとかなんかあった気がするけど…それをやっちゃったら、クリア後のオマケ要素どころでは済まないボリュームになりますよね、っていう。

ひとまずパパさんの踊りを見て落ち着こう
(このシーンかわいすぎてスクショ撮りまくった)

いやー、やるのかこの展開ほんとに。すごい。だってあんなに悲しんで、それがすべての動機になって、で、失ったものもあるけどまた立ち上がろうっていう復興の物語なのかと思っていたんですよ。思っていたら、そこまでするのがドラクエの復興なのか…みたいなね。ヘタをするとテーマがブレかねない。勇者とは最後まで諦めない者のことだと人魚の女王様も言っていた。でも、そこまで描くのか…! 本当に!

ウワーッ!

過ぎ去りし時を求めて

ここまで、本作のサブタイトル「過ぎ去りし時を求めて」の意味も深く考えていなかったんです。けどもう、このクリア後要素ありきのお話じゃないですか。戻った先は、6つのオーブを手に入れて聖地ラムダに入り、これからまさに始祖の森に向かわんとする場面。ってことは…

ああっ

いやもう再会シーンもそうだし、生命の樹の前で訪れるはずだった運命を変えるシーンとかも、正規エンディングが実はバッドルートであって、これから辿るのが本来の…救えたかもしれない人たちを救う旅なのだということがだんだん分かってくる。不思議な感じがします。

そして何よりこのシーン、デルカダール城から馬に乗るところ。ここでドラクエ3のフィールド曲「冒険の旅」がかかるでしょう。ハァーーーーッてなりましたよね。ここで、これ!

この曲がかかってしまうと、もうなんか、「過去に戻る」というのが単にゲーム内のできごとではなくなっちゃう。我々が子供のころに経験してきたドラクエの世界、この曲を聞いていたあの日あのときに戻ることとイコールになるのだ。完全にゲームと現実がオーバーラップする。そうか、それで、「過ぎ去りし時を求めて」なのか…。

ドラクエのベスト版

そんな感じで、ゲームはまだまだこの先長そうです。とはいえ、いずれにせよエンドロールを迎えて一区切りついたことは間違いないので、いったん、ここまでの『ドラゴンクエスト11』の感想をまとめたい。

メインストーリークリアまでのプレイ時間は68時間とちょっとでした。思ったのは、『11』はあらゆる意味でドラクエの決定版であり、ベスト版のような作品だなあということ。シリーズのセルフオマージュのような数々のモチーフもそうだし、懐かしい往年の名曲の数々もそうだし、どこを取ってもベスト・オブ・ベストなのだ。

そのうえで、なにがドラクエをこうもドラクエたらしめるのかと考えてみると、やっぱり堀井雄二・すぎやまこういち・鳥山明なのですね。すなわちシナリオ・音楽・キャラクター。ひとつでも欠いてはドラクエにならない。例えば、3Dアニメーションになり、リアルな背景美術と組み合わせても破綻しないキャラクターデザインの強度って鳥山先生ならではのものだと思うし、逆にいうと、それを破綻なく見せる開発スタッフの地道な、技術的な努力みたいなものもあったのかもしれない(当然あったと思う)。

もちろんお約束というか、定番ゆえのマンネリ、「またこういうやつね」という要素もないこともない。いやむしろ、そういうものだけでできている。ただこれは『スーパーマリオ オデッセイ』のときに思ったことと同じで、彼らの「これが面白いんだ、これがやりたいんだ」というパワー、カラテのベーシックアーツ、チョップの一撃がとにかく強いのだ。「これがドラクエ!」というゲームデザインのビジョンがあまりにも強固で、それはこの3人によってこそ生まれたものなのだ。

だから、変な話、わたしはこのゲームをプレイしてて「堀井さんたちはこのゲームを遺作にするつもりなのかな」というようなことまで考えてしまった。だってあまりにも良くできたドラクエなんだもの。もう未来永劫、『11』をこれから出るすべてのハードに対応させていくだけで、ドラクエのミームは後の世代に十分受け継いで行けるのではないか。

…というようなことを思いつつ、改めて公式サイトを眺めていたら、まさにこのお三方の鼎談記事が公開されていた。

そしたら、この記事のなかで堀井さんが「11は新たなドラクエのスタートとなる作品」みたいなことを仰ってて、椅子から落ちそうになったねわたしは。これからも全然作るつもりじゃん! おじさんたちが元気すぎる。

『11』はまだ続けます。プレイ日記はこのあとも続くかも、続かないかも。

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