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蘇る「ピアソラ五重奏団」の音楽

「キンテート・アストル・ピアソラ」を名乗る団体が配信サイトなどで作品を発表しているのを知ったのはいつだったか…初めはそれを見て、どういうこと? と思った。というのは、タンゴ作曲家アストル・ピアソラが率いるキンテート(五重奏団)は、ある時期実際に存在した演奏団体ではあるけれども、ピアソラ本人は1992年に亡くなっているからです。リイシューや編集盤ならまだしも、今になってスタジオ新録音が出るわけがないのだ。

ピアソラは90年代にブームになって、いまや彼の曲を演奏する団体は無数にあるわけだけど、まさにその名を冠するバンドがあるとは。しかも、ピアソラの作曲家・演奏家としての黄金時代であるキンテートとしてデビューするなんて、いろいろ問題にならないのかなとすら思っていました。

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Quinteto Astor Piazzolla "Revolucionario" (2019)

で、よくよく調べてみるとこの団体、ピアソラの最後のご夫人であるラウラ・エスカラーダ・ピアソラによって設立されたアストル・ピアソラ財団が、ピアソラの音楽を受け継いでゆくために立ち上げた演奏団体なのだそうです。ということは、勝手にピアソラの名を借りているなんてわけではなく、いわば完全なるオフィシャル! 公式ウェブサイトによれば、すでに20年以上もの歴史があるとのことですが、わたしは今よりずっと積極的にタンゴを聴いていた時期においてもまったく存じ上げなかった。

どうも、長らく"Quinteto de la Fundación Astor Piazzolla"(アストル・ピアソラ財団・五重奏団)を名乗ってアルゼンチン国内を中心に活動していたようで、音源の録音やそれをもとにした国際的なツアー活動を積極的に行うようになったのはここ1、2年のことらしい。上記の"Revolucionario"(『革命家』)がその一連の活動の第一作目で、本作はデビュー作にして2019年のラテン・グラミー賞の「ベスト・タンゴ・アルバム」を受賞している。

ラウラ・エスカラーダを総監督として、音楽監督はフルート/サックス奏者のフリアン・バト(Julián Vat)が務めている。この方はなんと、フルートとギターのための4つの楽章からなるかの名曲『タンゴの歴史』をピアソラ本人から贈られたまさにその人だ(と本人がインタビューで仰っている)。

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公式サイトより(©Federica Cicuttini)

おもしろいことに、バンドのメンバーは一定ではなく、映像や録音ごとに複数の人物がクレジットされている。特に「ピアソラ役」であるところのバンドネオンだけでもLautaro Greco、Damian Foretic、Nicolas Enrichなどのほか、Pablo Mainettiも参加している。現在アルバムやツアーで主に弾いているのはラウタロ・グレコのようだけど、数日前に公式チャンネルで公開されたばかりのスタジオ演奏動画、代表曲"Triunfal"(『勝利』)のなかでキンテートを率いているのはマイネッティだ。これ見て! 素晴らしい演奏。

めちゃくちゃに渋くカッコいいタンゴ

YouTubeに上がっているいくつかの演奏や、先に挙げたアルバムをSpotifyなどで聴いて、作曲家が譜面に残したニュアンスに忠実な(と少なくとも素人のわたしには思われる)均整のとれた演奏がすっかり好きになってしまった。もちろん、一流ミュージシャンによるピアソラの曲の名演ってたくさんあるんですよ。でも、グレコのような若い世代のタンゴ演奏家が、オーセンティックなキンテートのスタイルでピアソラの音楽を受け継いでくれるというのは、それはまた別の意義あることだなと思って。

ピアソラのキンテート(五重奏団)とは

そもそも、ピアソラのタンゴにおけるキンテート(クインテット=Quintetのスペイン語表記だ)とは何かというと、次の楽器編成によるものです。

・バンドネオン
・ヴァイオリン
・ピアノ
・エレキギター
・コントラバス

20世紀前半のオーソドックスなタンゴ楽団というのはバンドネオンだけでも何人もいて、もっともっと大所帯だったわけですが、ピアソラは自身の野心的な曲の数々を自ら演じるバンドとして、サウンド的にも従来のタンゴを構成していた諸要素を分解・再構築するようにして、この5つの楽器に集約しました。一説には、完全アコースティックだったアルゼンチンタンゴの世界に、エレキギターという電気楽器を持ち込んだのもピアソラが初めてだったという(後にタンゴにシンセサイザーを持ち込んだのもピアソラ)。

1960年に最初のキンテートを編成したピアソラは、この新しい楽器編成のための曲を精力的に書いています。この時期のキンテートは旧態依然としたタンゴ界の無理解と常にバトルしながらも、ヴァイオリニストのアントニオ・アグリら名プレイヤーを迎えて様々な録音を残しました。後に生涯の代表曲となる『アディオス・ノニーノ』や『ブエノスアイレスの四季』など、今日愛される曲の多くがこのキンテートのために生まれた。

バンドの休止と何年間かの実験的な編成を経て、本国においてもようやく正当な評価を受けることができるようになったのが、70年代後半から80年代にかけて活動した後期キンテート。ピアソラ自身の知名度の向上や録音技術の進歩などもあって、スタジオ、ライブともにたくさんの名盤・決定盤があります。まともな映像に残っているピアソラはほとんどこの時期のもの。キンテートのための作曲と演奏活動は、晩年に近い六重奏団が結成されるまで、ほとんどライフワークのようにして続きました。

アストル・ピアソラとキンテート・タンゴ・ヌエボ『天使の死』

ピアソラ・キンテートの何がすごいかというと、それぞれの楽器の特性を活かした緊張感のある掛け合い、それらが生み出す有機的なビートとグルーヴにある。特に、ピアソラの曲にはバッハさながらの対位法が取り入れられ、5人のうち誰が主で誰が副ということもなく、5人ともがソリストであるような曲が多い。タンゴの強烈な4ビートを深く理解しつつも、プレイヤーとしての強いエゴ、そして何よりも作曲家ピアソラの要求する高い演奏スキルを求められるメンバーは、さながら歴戦の勇者パーティーのようでした。

…オリジナル作曲者亡き21世紀に、「キンテート・アストル・ピアソラ」を名乗ることのヤバさが伝わったでしょうか。いくらピアソラ財団がバックアップするプロジェクトとはいえ、普通に考えて、この名を冠して生半可なものは出せないわけです。

『4分の3拍子で』

で、ここからが本題なんですけど、今年になってなんとこのQuinteto Astor Piazzollaの新しいアルバムが2枚立て続けに出たんですね。先のファーストを含めて、Spotifyとかモダンな楽曲配信サービスで全部聴ける。後述する音楽監督フリアン・バトへのインタビュー記事によれば、3枚のレコーディングが予め準備されていたそうで、これらがどうもそれにあたるようです。

そのわりには、SNSなどで検索しても全然話題になっていないようだし、公式のFacebookページを見てもいまひとつ盛り上がっていない…。わたしも、偶然Spotifyで知ったというくらい。去年は、アルバムリリースを兼ねてアジアを含めた各地でツアーなども行っていたようなのですが、おそらくは今年はとてもツアーなんかもできない状況。あまりにももったいないので、ちょっと調べて紹介してみようと思って、これを書いています。

まず1月に出たのがこの"En 3x4"(『4分の3拍子で』)。実はこれ、ピアソラの曲のなかでも演奏される機会の少ない比較的マイナーな曲なんだけど、個人的にすっごく好きな曲で、これがタイトルトラックで取り上げられていて一発で気に入ってしまった。タンゴといえば4拍子…でもこの曲は力強い3拍子で主題が始まって、そこから4拍子になり、また3拍子に切り替わっていくところの優しいメロディーがいいんだ。

このアルバムでは"Nuestro Tiempo"(『われらの時代』)や"Imágenes 676"(『イマヘネス676』)など、他の60年代の前期キンテートの名曲に加えて、"Tres Minutos Con La Realidad"(『現実との3分間』)、『ラ・カモーラ』から"La Camorra III"など後期キンテートのナンバー、さらには"Tangata"(『タンガータ』)や"Tristeza De Un Doble A"(『AA印の悲しみ』)のような燦然と輝くピアソラの代表曲の録音にも挑戦していて、そのどれもが高いレベルにある。

キンテートにおけるピアソラの自作自演というのは、ともすれば崩れてしまいそうなギリギリのバランスを保ちながら、各楽器が一歩でも前へ踏み出そうとするリアルな息づかい、汗だくになって畳みかける熱さが美しいポイントでした。Quinteto Astor Piazzollaの演奏にはそこまでの危うさはなくて、しかし、ピアソラが譜面の上で表そうとした美、あるいは命をかけた戦いの痕跡を、踏み込んだ解釈や奇をてらった表現を使わずに、丁寧に「再生」しようと努めている…ように聴こえる。

ピアソラの音楽を伝えるということ

現在のピアソラの音楽を巡る配信サイトの状況って、あまり好ましいものではないんですね。もともとのCD化に際して権利元の管理がルーズだったことが災いし、音質、録音年代、編成、さらにはマスターに手を加えた編集違いみたいな音源が何もかもごっちゃになった粗悪なコンピレーションが90年代から今に至るまで際限なく出てしまって、さらにはSpotifyなど、デジタル配信音源までにもそれがそのまま反映されているような状況。加えて、タンゴではないクラシックのアーティストやジャズバンドがこぞってピアソラを演奏するものだから、普通にピアソラの定番作品を適切に検索して見つけるのが異様に難しいのが実情なのです。

そんな中、彼らQuinteto Astor Piazzollaが、作曲家としてのピアソラの作品を今に相応しいフォーマットで、それも整った演奏で伝えてくれるのは、十分に価値のあることだと思います。特別なことをしなくても、新旧の優れた作品をいい音でたくさん演奏してくれるだけでいいし、ピアソラ本人の新しい演奏が聴けない以上、若手奏者の演奏をもっともっと聴きたい。そしてまた逆に、固定メンバー制によって彼らの活動を縛るのではなく、当代の実力派ミュージシャンを柔軟に組み合わせたチームで、属人的ではない「音楽そのもの」を受け継いでいこうという姿勢も支持できるところです。オランダバッハ協会の"All Of Bach"プロジェクトの思想に近いものを感じる。

『フガータ』『革命家』

この6月に出たばかりなのが、アルバム"Fugata"(『フガータ』)。

バンドネオン→ヴァイオリン→エレキギター→ピアノ&コントラバスと繋いでいくシリアスなフーガがめちゃくちゃかっこいい"Fugata"に加え、これがまたファンなら唸ってしまう新旧織り交ぜた選曲で目を引く。

そしてもちろん、最初に挙げた"Revolucionario"も良くて、まず"Chin Chin"(『乾杯』)では後期キンテートでパブロ・シーグレルが熱演していたピアノソロを、ファン・ホセ・モサリーニのキンテートにも参加していたクリスチャン・サラテ(Christian Zárate)がそのエッセンスを美しくまとめて再現している。そういえば、わたしはサラテが2004年に来日したときも"Adios Nonino"のカデンツァが良かったとブログに書いていたのだった。

バンドネオンとピアノの対話パートが楽しい"Revolucionario"、あるいはドラマチックなエンディングへ導く"Retrato de Milton"(『ミルトンの肖像』)のような曲も、20代の自分を大きく揺さぶった楽曲たちであるので、こういう形で再び取り上げられてうれしい。定番は定番として入っているし、キンテートの魅力を伝えるうえでこの選曲は素晴らしいと思いますね。

この記事のなかで、音楽監督のフリアン・バトが語るところによれば、3,000曲(!)にも及ぶピアソラが残した作品のなかから、よく知られた曲とそうでない曲を組み合わせて(“fundir la obra reconocida y la no reconocida”)紹介して行きたいのだそうで。ピアソラの録音にあたっては、たしか、小松亮太さんはレコードから耳コピでパート譜を起こすみたいな地道な作業をしていたと仰っていたと思いますが、彼らはおそらくはピアソラ財団で所有するはずの出版されていない膨大な自筆譜にもアクセスできるのでしょうし、その意味でも今後の期待が高まるところです。

わたしも、それまではこの3枚を聴き込むことにします。――と思っていたら、1曲入りのシングルとして新たに"Michelangelo 70"もリリースされたみたい。『タンゴ:ゼロ・アワー』にも収録された後期キンテートのレパートリー。きびきびとドライブするような演奏で、こちらも入門編におすすめできます。ジャケもかっこいいね。

Quinteto Astor Piazzollaの公式サイト、YouTube公式チャンネルはそれぞれこちら。

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R-9 (EPX studio) / 1980年生まれ、フリーランスのWebデザイナー。テクノDJ、トラックメーカー、同人漫画家。『ニンジャスレイヤー』のファン(ニンジャヘッズ)です。
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