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意識の分散と集中

オーケストラの中で楽器を弾くには、意識の分散と集中の絶妙なバランスが必要だ。集中はもちろん音楽に集中することで、誰でもできる簡単なことなのだが、意識の分散はある程度の経験とコツをつかむ必要があるのではないかと最近思ってきた。

演奏中は視覚と聴覚を最大限に使っている。でも動物の五感のうちの残り二つ、嗅覚も使うだろうし触覚も使っていると思う。つまりオーケストラの中に広がる興奮の匂いや、静寂感、熱さなど音楽的表現に伴う体の変化からくる匂い(ホルモン系物質の蒸散による)は、アンサンブルする上でお互いに影響しあうという意味で大事な要素である。また人間は耳だけで音を聞いているわけではない。肌の振動から骨伝導によって聞こえてくる部分も、低音は特に顕著である。よって、「全身を研ぎ澄まし」て演奏することが大事なのだ。

これは車の運転と似たものがある。車を運転するときは、エンジン音で車の調子やスピード、いま何速のギアに入っているかなど感覚的につかんでいるし、自分の体よりはるかに大きな物体のサイズを感覚的につかんで動かしている。眼は前方だけでなく、左右や3つのミラーを頻繁に見ている。レーシングドライバーの中島氏が言っていたが、ミラーと前方は注視しないのだそうだ。なんとなくぼやっとミラーも含めた全体を見ているのだそうだ。つまり意識を分散して、同時に多数の情報を取り込み脳で処理している。確かに、事故を起こしやすいタイプの人は視覚を前方なら前方、ミラーならミラーにしかもっていくことができない。そういう人の車に乗せてもらうとひやひやする。

ではオーケストラで弾くには具体的に何が大切なのか。特に視覚と聴覚について整理してみたいと思う。

視覚

すべての奏者は常に指揮者、自分の前に座っている人の動き、隣の人の動きが視野に入っていなければならない。楽譜はその視野の一部に入っているにすぎない。楽譜を注視し、楽譜を読んでいてはだめなのだ。基本的には暗譜しておかないといけない。楽譜はその記憶の糸を手繰りだすきっかけ程度に視野に入っているだけでよい。首席奏者なら、常に指揮者の動きや感情を読み取ること。そして他の首席奏者の動きを見ておくこと。それ以外の人は、とにかく首席奏者の動きを読み取り、リズム感、歌い方を耳だけでなく目で読み取り、それにあわせること。極端な話、首席奏者が十分リードできるなら、指揮を目で確認しながら、首席奏者に合わせることを心がけるべきだ。だから首席奏者は自分のパート・セクションを自分に合わさせるよう「指揮る」ことが必要で、これは、いわゆる弾き始めの弓のアインザッツや、ブレスに伴う体の動きを少し大きめにすることでできる。後ろがバラバラならば、後ろを向いてアピールしてもよい。もちろん、他の首席奏者同士での目での合図は常に必要でもある。

聴覚

すべての奏者は常に、他人の音を聴くことを心がけなければならない。自分の音が合っているかとかも大切ではあるが、そこにばかりとらわれていると、周りを聞けなくなってしまう。自分の音がよく聞こえるというのは、音程が合っていないからということは事実である。周りと音程、ハーモニーがぴったりとあっていれば、自分の音は周りに溶け込んで逆に聞こえにくくなるが、それが本来あるべき状態である。これはごくごく基礎的なことである。首席奏者ならば、楽曲のどの部分はどのパートを聴き、どこに合わせるのか自分なりに決めておかなければならない。それにはもちろんスコア・リーディングが不可欠である。また弦の首席ならば、自分の音よりは自分のパート全体の音を聴き、自分のパート全体を自分が弾いているという一体感が必要だと思う。これは管楽器にも一部あてはまる。曲の各部分によって、自分が管の中のどのパートを引っ張っていくべきか、管楽器奏者ならスコアを読んで理解していなければならない。そのとき、単に自分が引っ張っていくだけでなく、自分がそのセクション全体を演奏しているような一体感を得られれば本物の絶妙なアンサンブルになっているはずだ。

つまり、オーケストラで弾くのは、阪神高速環状線を運転するようなもので、常に四方八方に視覚と聴覚のアンテナをはりめぐらし、瞬時に情報を処理し、瞬時に自分がすべきことを判断しなければならない。音楽は刻々と変化するし、毎回同じ曲を練習していても、人の集合であるから、毎回同じであるはずがない。それを瞬時に感じ取り自分の演奏にフィードバックしなけらばならない。だからオーケストラは面白いのだ。オーケストラが上手になってくる。これは一人ひとりが上手に弾けるように練習してくるだけではなく、そういった演奏中のコミュニケーションによって、自分の上達度の何倍もの効果でいい音楽に仕上がっていくのだ。

Photo by Jorge Royan, File:Munich - Orchestra rehearsal in the Musikschule - 5671.jpg - Wikimedia Commons

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