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第18章 浅草つれづれ話(9)

羽子板の似顔

 近年、羽子板の似顔の下等になったことは甚だしい。眉の引き方、眼のくまどり、口の具合から顔の輪郭までが、昔の安い硝子画を見るような生々しい、毒々しい、卑しさに出来上がっている。
 国周や国政が下絵をかいていた頃の似顔は、眉の引き方だけでも、団十郎、菊五郎、左団次とすぐ判断がついたくらいだから、すっかり型にはまったものではあったが、それだけにまた何となくのんびりとした味があり、優美な感じが伴って、現今の卑俗な、現実風な悪趣味よりどのくらい良かったか知れない。
 それからまた買手の方にしても、その頃の芸者達には、女らしい美しい遠慮があった。今ほど人間が露骨になっていなかったから、花形の人気役者、福助(今の歌右衛門)や栄三郎(今の梅幸)などの羽子板を買うには、いささか恥らうものがあって、団、菊、左の三人のうちを主にした二人立、三人立の中に、福助なり、栄三郎なりが附け合わせになっているものを買い、わたしのは成田家や、アラわたしのは音羽屋よ、と云ったように、若い贔屓の役者をかげにしていたしおらしさが、いま考えるとうれしい乙女心であった。
 だから、その時分の羽子板屋の店には団十郎、菊五郎、権十郎、芝翫などが立者で、花形の若い役者はつけ合わせに過ぎなかった。時代の悪化といいながら、今の女たちのように、歌右衛門や仁左衛門はお爺さんだから嫌だわなんて云うあけすけな女は、ヨイトマケにもなかったものだ。

底本

浅草底流記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916565/160
コマ番号 160~161