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【339回】「この子にとっていい関わりか?いい関わりでないか?」をもって、保護者や地域の方にもきちんと言う悩み(191120)

今日も引き続き。
木村泰子、高山恵子「『みんなの学校』から社会を変える 〜障害のある子を排除しない教育への道〜」(小学館新書、2019)

頭を抱えた言葉。

授業中に、地域の方がその子にとってプラスにならないような関わりをする時は、やっぱりキッチリ言わないと。必要な時は、教員がきちんと言うべきです。「今、それやったら、あかんねん」と。(p46)

ある小学校を思い出す。授業参観日である。
子どもは一生懸命考えて勉強をしているのに、廊下で何が起こっていたか。
なんと、保護者がずっと雑談をしている。しかも声が、教室に入ってくるのだ。
これは、間接的に子どもに影響を与える。

授業中なのに、関係ない話をしていていいの?
雑談がうるさいのに、先生は注意できないんだね。

教室で静かに参観している保護者もいる中で、廊下でワイワイ話す保護者たち。

教職員に対して「子どもの前で、教員が明確に『邪魔やで』と言えないとあかんで」と、言い続けていました。教員がそれをすることができないのであれば、地域の方に来ていただく意味がありません。(p47)

「お静かに願います」とは言えても、「この子にとっていい関わりではないですよ」と言えるだろうか。
どうしても、「うるさいな、この先生」と反感されることを考えてしまう…。もし、教頭に、校長に訴えられたら。

逆に管理職に叱られると思ってしまう。

教諭って孤独。

教頭、校長といった管理職が、僕のような教諭の味方であれば、心強い。
管理職が守ってくれるなら、教諭は孤独にならない。チームになる。

「この子にとっていい関わりか?いい関わりでないか?」そこを判断するのは、学校の場合はお給料をもらっている専門家である教員の仕事です。(p47)

保護者や地域の方と喧嘩をするつもりはない。
子どものために一緒に関わらせていただきたい。

そのためには、必要なことは言ってもいいのだろうなあ。

子どもたちが安心して生活している、勉強している姿がある。そこが基盤だろう。いや、そのような世界を子どもたちが作るために、保護者や地域の方に協力をお願いするべきか。

長い間担任から離れているので、理想を語っているだけになるのが辛い。

だが、今思い出した。担任時代。

特別支援学校の朝の会を公開したとき。生徒名を読んで返事をしてもらうだけではなく、保護者名(しかも下の名前)で読んで返事をしてもらったこと。
自分の悩みを話して、保護者に教えてもらったこと。
個別懇談を一人2時間もして、話がつきなかったこと。その後、同僚に叱られた。さすがにやりすぎた。

保護者と話をする、教えてもらうことを大切にしていた担任時代。


怒り顔など「権力争い」の顔を出すのではない。
悩みを聞いてもらう感覚で、そう、相談のように。
保護者と地域の方に、「この子にとっていい関わりではないかもしれません」と伝えることができるように…いや、どうだろう。言い方。もう、「これは言わないと」という状況になったら考えるかね。

主語を、「保護者」「地域の方」にして伝えればいいのかな。
「雑談をしていると、お母さん、授業を聞かない人って思われますよ。それは子どもにとってもつらいですよ」
嫌味くさいか…。

とりあえず、管理職、教諭をいつも守ってくださりありがとうございます。教諭もあなたたち管理職を応援しますから。