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「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について

11回目のMMM(みなとメディアミュージアム)が無事に終わって、はや3ヶ月。今年はとても良い年で、3年目を迎える実行委員も2年目を迎える実行委員もとても元気。

さて現在は色々と議論をしている。来年のMMM2020は現在のフレームワークを活かして開催するものの、MMM2021(仮)は大きく変えることになっている。その一つに「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい。わかりやすい"那珂湊芸術祭"などに変えるべきでは?」という意見が出てきた。良い機会なので「みなとメディアミュージアム」という名前の由来をしっかり説明しようと思う。説明する理由は、変えたくないからじゃない。「みなとメディアミュージアム」の名前の由来を知った上で、その限界を指摘し、2020年以降にも通用する名称が生まれて欲しいから、だ。

実はこの「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい」という意見、今回に限った話ではない。僕の記憶では2年目のMMM2010で既に出展作家から言われた記憶がある。以来、だいたい2年に1回の間隔で言われるように思う。「メディアアート専門の芸術祭だと思いました」と言われることもある。ぼくも折に触れてこの名前の由来を説明しているのだけど、この状況はやっぱり良いものではない。名称を変えるにせよ、変えないにせよ、ちゃんと説明できる公開資料は必要だよね。と、いう訳で説明します。

みなとの「メディア」としてのアート

この言い方が分かりやすいかな?と個人的には思っている。すなわち、MMMではアートを、芸術価値自体に目的を持つ「アート」ではなく、「地域のメディア」としての価値を見出しているのだ。

誤解して欲しくないが、芸術家に対して、地域のメディアをつくることを強制するものではないし、アーティストの作品制作を制限するものでは一切ない。アーティストがMMMの現場を歩き、見て、感じる。現地に入り、物を調達し、人とコミュニケーションし、現地でつくり、設置する。この一連の流れを通して生まれる芸術作品は、那珂湊や、周辺地域を「全く新しい方法で伝えるメディア」に自然となっていると、ぼくは確信している。すなわち、良い作品はそのまま良いメディアになっている、ということだ。

一つを紹介して「これが模範事例だ」と勘違いされたくないし、今回は例を挙げるのは止めようと思う。住民と協働した作品や、地域の情報や風習を作品に使ったものは"「メディア」としてのアート"として、わかりやすいだろう。しかし、それだけではない。一見、地域の人とのコミュニケーションの少ない作品や、造形に地域性がない作品だったとしても十分に"「メディア」としてのアート"になり得る。その作品があることで、日常化していた様々な空間をよく見るきっかけとなることがあるからだ。芸術作品が人々の動きに影響を与え、日常に埋没しすぎて気づかないものを気づかせる。まさに「メディア」と言える。

これが「みなとメディアミュージアム」という名前の理由です。実は最初は「ひたちなかアートプロジェクト」で企画書は出してて、うなってうなってこの名称に決めました。語呂の良さもおまけで付いてきて、(共同創設者の)緒方君と二人で喜んだのをよく覚えている。

ただ、MMMの創設から10年経った。「メディア」の立ち位置は大きく変わった。10年前はTwitterやFacebookはまだ日本に進出したばかりだったし、Instagramはそもそも存在していなかった。次の時代の地域におけるアートの役割として「メディア」を提案し続けるべきなのか確信はない。だからもし、次の10年の地域とアートの関係を提案できるような名称があったら変更を歓迎したい。

創設者として新しい時代を一緒につくれたらな、と思ってます。


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