見出し画像

桃源郷は手の届く場所にあるみたいです

求める世界まで、あとどれくらい?

人類は日々、その方向性があっているか間違っているかは別としても、より良い世界を求めて進んでいると思っています。それは個人単位でも同じことで、少しでも今より良い未来のために、努力したり、もがいたりしながら生きています。

そんな私たちが求めているのは、どんな世界でしょうか?

古今東西、理想郷は名前や形を変えて語り継がれてきました。そんな中でも、今日お話ししたいのは、中国生まれの理想郷である《桃源郷》についてです。

。。。。。

桃源郷の物語

《桃源郷》は今から1600年くらい前、晋の時代の中国の詩人、陶淵明が「桃花源記」で描いたものです。簡単に話をまとめてみると以下のようになります。

一人の漁師が川に沿って上流の山奥に迷い込むことから物語は幕を開けます。一面の桃の林に導かれた先には小さな穴があり、そこが桃源郷への入り口でした。
穴の先に広がっていた世界はまるで異国です。豊かな世界で、すべての人が幸せそうに働いています。ここの住人は秦の時代の戦乱を逃れてから、一度も外の世界に触れずに暮らしていたようです。
元の世界に戻った漁師は「外の世界の人に、この場所のことを話さないで欲しい」という約束を破ってしまいます。しかし、どんなにたくさんの人が探しても、桃源郷どころか、桃の林すら見つかりませんでした。

この話からわかるように、桃源郷は探し求めていける場所ではありません。そして1度行けたとしても、もう1度訪れることもできないと言われています。

。。。。。

桃源郷はどこにある?

どんな理由であれ、探し求めているうちは桃源郷には行けません。そして桃源郷の人々は外の世界と切り離され、自給自足で生きています。

古今東西往々にして、探し求めているうちは理想郷にはたどり着けないことが多いです。大体がたまたま迷い込んでしまっています。《幸せ》という曖昧なものは掴むことのできるものではないのでしょう。

また、自給自足で生きているという部分は理想郷の表現としてはとても興味深いです。理想郷と聞くと、なんとなく永遠の安らぎをイメージしてしまい、労働という行為とは無縁なように思ってしまいます。しかし、桃源郷では皆が幸せそうに自分に必要なものを生み出しているのです。

桃源郷は心の中にあり、外に求めている限りは見つけられないということ、そしてその地を豊かにするのは他でもない私たちだということが暗に表現されています。

「すべては心の中にあるんだよ」と言われたとき、どのように感じますか?

「だったら自分でどうにかできるかもしれない」とほっとする人、「そんな曖昧で無責任な…」と納得いかない人、いろいろな人がいると思います。最初にこの話を知ったとき、私はその両方を感じました。

しかし、今は《桃源郷》という桃の香満ちる美しい世界が、自分の心にあるということを想像しただけで、少しだけ幸せな気分になれます。手の届かない何かを考えるよりも、自分で耕して美しく作り上げていく方が性に合っているからです。

。。。。。

おわり

このような理想郷の描写は、作者が生きていた時代の影響でもあります。争いが繰り返される世界で彼が求めていたのは、精神的な豊かさや自給自足的な生活です。実際の生活もとても質素だったそうです。

少なくとも、私の生きている2020年の東京は物質的に豊かであり、彼の生きていた世界と比べたら争いは少ないです。それでも、精神的な豊かさが問われていたり、スローライフに関心が寄せられていたりと共通点があります。

私が桃源郷の話を好むのは、それが私たちで作り上げるものだと解かれているように感じるからです。もし世界を粘土をこねるようにして作り上げられるとしたら、どんな世界を作りますか?

きっとそれが私たち1人1人の桃源郷のあり方です。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?