見出し画像

空想少女は現実世界で息ができるか?

空想少女と賞味期限

私は小さい頃からファンタジックなことが大好きでした。小学生の頃から図書館に入り浸り、本の世界に夢中になっていました。ドラゴンの飼育方法の本や養成の図鑑などをクリスマスに貰いました。いつかは人魚になりたいと思っていたし、なれないとしても存在していればいいなと思います。

そしてそれは大人になった今でも少しも変わっていません。小さい頃に触れたそれらの世界が現実にあるとは思ってはいなくても、好きな気持ちは一緒です。けれども大人になれば、自分の中を現実の割合がより多く占めることになります。その両方のバランスをとって、大人になった空想少女は現実世界で息ができるのかなと思いながら日々を過ごしています。

。。。。。

空想少女と地に足つけること

いくら頭の中に素敵な世界が詰まっていたとしても、現実問題としてお腹は膨れません。ほとんどの人はお仕事をしてお金を得て生活していくのに使っていくと思います。

地に足をつけるといったところでしょうか。大人になるとお金の面以外でもこの言葉はたくさん使われると思います。この言葉自体は安定という大切な要素を含む生きるのに必須のものです。

ただ私のような人間は、片足は宙に上がっていたり、あっちこっちに動いてたりするのだと思います。空想する心を持ち続けると足を2本とも地につけることは難しいのです。もしも片方の足を好き勝手にしたいならば、その分もう片方の地についた方の足は他の人よりも強くしなくてはなりません。

空想少女が現実世界で夢を見続けたいのならば、その分の代償として、やるべきことは人並み以上にできたほうがいいのだと思います。

。。。。。

空想少女と溶けていく時間

《地に足をつけること》と《宙に足を投げること》の両立で1番問題になりがちなのは時間の配分です。例えば大人になって会社勤めをするとします。そうすると平日の5日間の8時間ほどは地に足をつける時間にまります。地に足をつける時間は別に仕事だけではありません。そう考えてみると、宙に足を投げる時間は思っているよりも短くなってしまいます。

解決策としては、いわゆる好きなことを仕事にするか、好きな時間のために仕事をするの2つなのかなと思っていますが、私は後者を選びました。単純に前者を達成するのが難しいということと、好きなものにこだわりが強すぎるからです。

私の宙に足を投げていられる時間は平日の夜少しとおやすみの日ですが、それをいかに上手に使うかを試行錯誤しています。《私生活でこそルール作る》《大人の自由研究をしてみよう》らへんのnoteで実際にどのようにしてやりたいことを限られた時間で回しているかについて詳しく書いているので、興味があればぜひ読んでみてください。

空想少女は流れていく時間を自分の塩梅で使い分けていくことができれば、比較的のびのびと過ごせるのではないかと思っています。

。。。。。

空想少女と空想少女

広い世の中を見渡してみれば、大人になった空想少女は意外とたくさん見つけられる気がします。とはいっても、今だとSNSなどもあるので、自分と似たような人を見つけることは、年齢に関係なく比較的容易になっているかもしれません。

私は大人になってからのほうが、自分と似たような人に出会う確率が高くなっている気がします。きっと学校がもうないので、似ているような人としか出会って仲良くなるところまでいかないのかもしれません。

《インターネットの先だから、出会えた人》でも書いたのですが、大人になってからは自分の興味のある分野について深く話せる友人が増えたように感じています。そして、その人たちと時間を過ごしたり何かを贈ったりするときに、地に足つけた時間で得たお金を用いることができます。地に足つけなければと焦る瞬間もあるとは思いますが、それを使ってより自由に広い世界を楽しむことができるのです。

空想少女は探してみれば色々なところに隠れているので、仲間を作ると現実世界の波の中でも心強いです。

。。。。。

おわりに

私は正直にいうと大人になりたくて仕方がないというよりは、渋々大人になったような人間です。空想好きの女の子のままではいられないとずっと不安に思っていましたが、なんだかんだ息して生きています。

空想するのが好きだというとメルヘンチックでふわふわしているイメージがありますが、空想少女は現実世界でも息をしてやると決意するくらい頑固な部分があるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?