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水も血と同じくらい濃い 〜家族って?〜

人と人は何でつながっているのだろう。そう思うことになったのは16歳の時のことでした。私には家族が2つあります。産み育ててくれた日本の家族と、16歳の夏から、遠くにいながらも見守り続けてくれているアメリカの家族です。
そして今回お話しするのは血の繋がっていないアメリカの家族についてです。

私は高校2年性の夏から10ヶ月間、アメリカのカリフォルニア州にある小さな町に交換留学をしていました。町の90%くらいはメキシコ系で、日本語を話す人は1人もいないような場所です。

私のホストファミリーは、ヨーロッパ系アメリカ人の中年の夫婦でした。マミーもダディーもそれぞれ別の人との子供はいるものの、一緒には暮らしていないという、なんともアメリカらしい家族でした。

最初にアメリカに着いた時、私と彼らの関係がこんなにも深く長いものになるとは思ってもいません。実はこの2人は私のホストファミリーが見つからなかったために一時的に預かってくれる予定だったからです。
マミーは私を預かる直前に交通事故にあっており、心身ともに自分のことをするので精一杯の状況でした。彼女が働けなくなってしまったため、家族としての収入も減ってしまっています。正直に言って、よそから来た赤の他人を無償で世話をする余裕があったとは到底思えません。

マミーは明るく楽観的でパワフルな女性です。多くの兄弟がいながらも、離婚していてシングルマザーの母親に育てられていました。そして彼女自身もまたシングルマザーとして生きてきた時期があります。

ダディーは比較的内向的でクリエイティブなタイプでした。芸術をこよなく愛し、いつも少し変わったものを好んでいました。彼もまた前の妻や息子との難しい関係を抱えています。

2人は渡米当初の英語もちゃんと話せない私にとても優しくしてくれました。

「私たちは今日から家族。冷蔵庫のものはなんでも自由に食べていいし、家にいる時のように振る舞っていいんだよ。」

と何度も言ってくれました。実際に本当に自由に振る舞って生活していました。スーパーについていけばいつもどんな食材が欲しいかを聞いてくれます。常に新しいものを経験させてくれようと、外食するときは食べたことのないものを食べさせてくれました。

いくら過ごしやすいホストファミリーがいるとはいえ、学校や慣れない環境で落ち込んでしまう瞬間もあるのが留学です。そんなときはアドバイスをくれ、いつも太陽みたいな笑顔とハグで元気付けてくれました。

私たちが実際に一緒に過ごしたのは1年も満たない時間です。それでもお互いが本気で本当の家族だと思っています。1ヶ月に1回は必ず電話もするし、テクスティングはより高い頻度でしています。

この関係を通して、私は人と人との繋がりの不思議さを感じています。何が私たちをほかの留学生とホストファミリーより強い関係にしたのか。そもそも家族とは何なのか。

留学に行ってから家族に対する意識は変化しました。家族の形の枠が広がったのです。

私は運が良くて、生まれ落ちた家の全てのメンバーと良好な関係を築けていると思っています。でもだからといって、みんながみんなそういうわけではありません。世の中には、戸籍上は家族だとしても、縁を切る方が自分のためになるようなことも多々あります。
親は子供を持つかどうかの選択肢はありますし、それにはある程度の責任が伴いますが、どんな風に育つかなんて本当ののところは未知数です。そして、子供は生まれる家族を自ら選ぶことはできません。

血の繋がり無しに、家族の絆を結んだことで、従来の家族の形にさほど捉われないようになりました。私にとって家族というものは、お互いが慈しみ、優しくし合い、ともに暮らしてみたいと思える関係性のことなのです。

もしかしたら私は将来パートナーと結婚をするという、一般的な家族を作るのかもしれません。そうでなければ、素敵な友達と一緒に暮らしている可能性もあります。そしてそのどれもがある種の家族性をはらんでいるような気がします。

私たちが家族というユニットを大切にしている理由はたくさんあると思います。歴史的に刻み込まれた価値観の1つです。宗教の影響も受けているし、マスメディアなどで描かれる理想の家族像ももちろん強い影響力を持っています。
とはいえ独身貴族という言葉の存在から分かるように、以前ほどは結婚を迫られる社会というわけでもないと思っています。

それでも人が家族というユニットに惹かれるのは、やはり誰にでも帰ってこれる絶対的な味方のいる安全地帯が必要だからです。少なくとも私にとっては生きていくのに不可欠な要素だと考えています。
でもそれは必ずしも血の繋がっていたり、従来の形である必要性ははないと思ういます。血縁が昔ほどは重要視されていなくなった今、私たちは目に見えないものでしか繋がれないのかもしれません。

パートナーの形が少しずつ解放されているように、家族の形も何か新しい転機を迎えていくのでしょう。そしてその新しい形の中で、より多くの人が幸せになれることを祈っています。

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