電車で席を譲るか譲らないか

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
n村です。

今回は、
"電車で席を譲るか譲らないか"
そういったテーマで書いていく。

というのも、
今日僕は用事があって電車に乗った。
寝不足だったし、用事のことを考えて緊張してあまり周りが見えてなかった。
本を読んだり、音楽を聴いたり、考え事をしたりして早く着かないかなぁと思いながら、
数十キロの距離を超スピードで移動していた。(電車での移動をちょっと工夫して言ってみた)
目的の駅に着く10分前ぐらいに、僕が座ってる斜め前で立ってるおじさんが杖をついていることに気づいた。
足が悪そうにしているが、悪くなさそうにも見えた。
僕は、迷いながらも結局ずっと座ったまま目的の駅に着いた。
ちょっと後悔した。
"あ、譲ればよかった"って思った。

僕は普段から電車で高齢者や妊婦、足が不自由な人などを見かけると席を譲ることを意識している。
全然できてないことも多いけど。
それでも意識している。
「いやいやいいよ!」
って申し訳なさそうに言われることもあれば、
すんなり「ありがとう」って言われることもある。
すんなり「ありがとう」と感謝されるととても嬉しい気持ちになる。
でも、しつこいぐらいに遠慮されるとちょっとどうしようってなる。
気持ちはめっちゃわかるけど。
遠慮し過ぎないほうがいいなと感じてからは、そういう誰かの好意は素直に感謝の気持ちを伝えてありがたく受け取る。
そのほうがお互い気持ちいいと思うから。
実際に気持ちいい。
どちらかが目的の駅に着いて、
ありがとうのアイコンタクトと微かな笑みを浮かべる瞬間めっちゃ好き。笑

それはいいとして、
今回僕は席を譲らなかった。
そしてそれを後悔した。
譲ればよかったって。
「席どうぞ」の一言はちょっと勇気がいる。
ほんまにちょっとだけ。
でもそれ言える人と言えへん人全然違う。
そのちょっとの気遣いの精神や、誰かのためにちょっと勇気出せる人ってちょっとカッコいい。
"偽善や"って言う人もおるかもしれんけど、それを見たり聞いたりして偽善っていう人おったらその人はダサすぎる。まじで。
絶対席譲る人のほうがカッコいい。
そのちょっとしたカッコよさが積み重なったらめっちゃカッコいい。
僕はそんな人になりたい。
ちょっと勇気いることできたり、ちょっとした気遣いめっちゃ感じる人周りにおるやん?
いわゆるなんか良い人やなっていう人。
めっちゃカッコいいなって思う。
人が誰かのために良いことをしようと自分なりに考えた上での行動にケチなんかつけれん。
たぶん、良いことしたら良いこと返ってくる。
感覚的にそう思う。

そういう意味で、
今日の自分の
「席どうぞ、座ってください」
が言えんかった事はダサかったな〜。
その勇気当たり前のように出せよ〜。
変に"相手の人が嫌な顔せんかな"とか"気まずくならんかな"とか考えんとやったらええねん自分。

今回は、
"電車の中で席を譲るか譲らないか"
っていう世の中のほんの小さなささいな現象やったけど、同じような場面は日常の中に山ほどある。
コンビニ出入りする時後ろに人がいたらドアを開けといてあげる、とか。
そういう細かい気遣いできるような人になろ。
誰かのためにっていう自己満足をたくさん積み重ねる。
ほんまに当たり前のように。
コンビニで何か買ってもらう時や、外食して店出る時もしっかり「ありがとうございます」って笑顔で言う!笑

最後に、
今日は僕の反省の意味も込めた感じの文章。
"電車で席を譲るか譲らないか"っていうささいな出来事から改めて自分が人としてまだまだやなと感じた。
でも気づいたこともあった。

・ちょっとした勇気やちょっとした気遣いによる"ちょっとカッコいい"を積み重ねたらめっちゃカッコよくなる。

・誰かから好意をもらったら遠慮し過ぎずすんなり受け取ったほうがお互い気持ちいい。

・"カッコいい"と"ダサい"っていうものを、人はそれぞれ抽象的にやけど感覚的に分かってるから、それに反することはしないようにすると自分がちょっと良い気分になる。

目の前の人は、全く知らん人かもしれんくても
その人への雑な対応はいつかめっちゃ知ってる人にもしてしまうと思う。ふとした瞬間に。
大事な人にも。

めっちゃめっちゃ大げさに言うと、

電車で席を譲ると人生良くなる!

僕はそう信じて生きていきます。

では!笑



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