甘美な死骸は新しいワインを飲むだろう。


なんか度々議論にあがっている ○○は手抜き料理だ〜みたいな。別にいいじゃない、ご飯作ってくれる人がいるだけありがたいじゃないの。

私は100%外食人間なので自炊はしないんですね。したくないし。強制するものじゃないし、したい人がすればいいと思う。


ところでうちの親は専業主婦だったので、まぁ7割くらいは毎日三食作ってた。外食も好きだったから週末は必ずといっていいほどどこか美味しいもの食べに行ったりしてたけど。

私の親は私ら姉妹を蝶よ花よと育てたがったけど(ちなみにいうと私の親は完全なるいわゆる毒親なんだけどそれはまた今度)、だけど家事を強制させたことはなかった。女の子なんだから料理くらい出来ないとダメよなんて一度も言われないで育った。そこだけは感謝してる。女の子だからスカートを履きなさい、女の子だからもっとお淑やかになさい、女の子だから黒とかシルバーとか怖い色を好むのはやめなさいよね、等々挙げ出せばキリはないんだけど…でもそれだけは言われなかった。父親が一切の家事をしない人間だったので、密かなる抵抗だったのかもしれない。


異性として見られるのは息をするより簡単だったけど、でも私は別に好きで女に生まれたわけではなかったし、何ならずっと男がいいと思ってる。それは今でも変わらずね。だからなのか、私は親の意に反するように育ったし、今でも自分にあんまり性自認はない。

 この性別で得することは確かに幾らかあったけど、不快な思いをしたことはその何倍もあったように思うので、結局のところ得しなくていいので不快な思いをしたくないのである。

まぁ最終的に、私も姉も収容所という名の実家を大学進学と同時に早々と家を出たので、一人暮らししている間はそれなりに家事もちゃんとやってた。何事も経験。


でその、経験って部分なんだけどここで冒頭に戻る。手抜き問題。エピローグ長すぎたね!


冷凍食品が〜とか唐揚げが〜とかなんとかワイワイネットでは騒がれていたけど、そのなかに一つ興味深いツイートがあって、確か 

カレー、麺類、丼物、おかず3品以上ないと手抜き、と思ってる人になんでそう思うのか聞いたらその人のお母さんが、今日は簡単に作る、簡単なモノでごめんね言って出てきたものがそれだったから、

みたいな内容だった。

ドキッ、としたのだ。何故ならうちの親がまったく同じだったから。

私が実家を出る前だったら私はこの人と同じことを思っていただろう。


今の私にはそうは思わない経緯があった。

上京してからすぐの頃、私は家庭教師みたいなことをしていた。時給の良さもあってそのバイトは案外続いたんだけど、必ず夕食はそこの家で子供と親御さんとで食べる、というルールがあった。

だから私は何軒もの家のご飯を大人になってから食べていたことがあったのだ。



一番最初のお宅では、メイン一品とお味噌汁とご飯だけ、というシンプルな夕食だった。

何も知らなかった私は心の中でこれだけ!?と思ってしまったのだ。


うちの夕食はとにかく量が多かった。ご飯と汁物と、メインが2〜3個あって、さらに小鉢がいくつかついてくる。食後には必ず果物が出てきて、家族四人分それらがキッチリとそれぞれのお皿に分けられて出てくる。中にはデパートのタイムセールで買ったお惣菜をお皿にうつしただけのものも全然あったけど、とにかく量が多かった。

おばあちゃんちに行っても、旅館で働いていた祖母が調理師免許を持っていたからなのか海の近い田舎だからなのか孫が遊びに来ているからなのか知らないけれど、実家と同じかそれ以上の多さの料理が置かれていて、いつも食べきれなかった。だからこれが普通だと思っていた。


食べるのが遅く食の細い私は実は夕食が結構苦手な時間で、いつも一人食卓に残されていた。残すことは殆ど許されなかったし、いつまで食べてるの!?という親の怒号を聞きながら一生懸命咀嚼しながらとにかく喉に押し込んでいたのである。うっ、思い出したらなんか涙出てきた…。




だから、そのバイト先の家庭のご飯の量は丁度良かった。どうやらその家ではこの量が普通らしい。確かに、これならギリギリ人間の時間で食べられる。(たまに子供より食べるの遅かったけど…。)

他の家庭のご飯なんて、正直絶対食べたくなかったんだけど、お金の為だと思って我慢したら、そんな我慢はほんとに最初だけで、慣れてしまえば家族のように慕ってもらえる夕食の温かさを知った気がする。

また別の家でも、そんなに量の多くない家庭が殆どで、これが普通なんだと知った。

また、新たな発見もあった。

うちの食卓には父親の嫌いなものは基本出てこなかったので、カタカナで今時の食べ物、例えばアボカドなんかは絶対に出てこなかった。サラダなんて洒落たものも私が高校生くらいになるまで家じゃ見たことがなかったし。

だからアボカドをよく食べる家に遭遇した時は内心マジかと思っていた。うちの家族皆がアボカド反対派だったので、私もそういうような先入観があったのかもしれない。大昔、これはほんとに小学生くらいの頃だったと思うけど、家族でどこかに行った旅先で食べたフレンチに、緑色のソースがお皿にアーティスティックに彩られていて、未知の食べ物に私はそのソースだけをフォークで掬って舐めたことがある。はしたないね…。それはアボカドソースだったんだけど、その未知な味が多分無理だったのだろう、私の中でアボカド=この味、となってしまったまま大人になってしまったのだ。

そのお宅は豆腐の上にアボカド、モッツァレラチーズとトマトのカプレーゼにもアボカド、さらにはアボカド単体でまで!!!

正直豆腐×アボカドの美味しさはよくわからなかったけど、意外だったのはアボカド単体をオリーブオイルと塩で食べたのが結構イケたこと。

まぁオリーブオイルと塩の組み合わせってなかなか最強で何とあわせても美味しくなりそうなんだけど、でもおかげで私のアボカド嫌いは完全になくなった。

食わず嫌いはしない性格で良かったと思う。

おでんにスペアリブ入ってたのはちょっと面白かったけどね。(普通に美味しかったです


何が言いたいかというと、マジで、大人になった今!!!色んな家庭の料理を食べてみてください、ということ。そんな機会まぁないだろうけどね。自分のなかの家庭での夕食、のイメージが変わりますマジで。新たな発見とかもあるし。


あとはなんで大人なのかっていうと、子供の頃は周りが大体は皆同じ水準なので、何が普通か分からないということ。

 例えば、私は小学生の頃 友達の家にお呼ばれした時、親から渡された菓子折を持ってドキドキしながらその子の家に行っていた。その子の親に、つまらないものですがと言ってその菓子折を渡すのが死ぬほど緊張したのだ。(たまにそれが言えなくて これ、親からです…って逃げてた。)

帰ったら帰ったで親がお礼の電話をして、私が最後かわってありがとうございましたと一言添える。無断で友達の家に行けば親が友達の家まで乗り込んで迎えに来ちゃうから、事前に行っておくのが吉だった。(お許しが出るかどうかはまた別。)

 でも大人になった今、聞けば普通は菓子折持ってだのお礼の電話だのそんなことはしないらしい。というのも放課後は、大体普通に友達の家に行くものらしい。何それッッ羨ましいな!?!?

そういえば中学生の頃にはよく近所のお友達のおうちにお世話になってましたありがとう。親に言ってないので毎回1時間くらいの滞在だったけど…。(時折ドーナツとか差し入れてくださったりしてありがとうございます、親御さん…!


だから大人になった今なんです。

成長していくにつれて、色んな人がいますよね。こいつマジかっ!?みたいな人とか。そういう、幼い頃の狭いコミュニティを外れた時に、母数が蓄積されて中央値というものがもっと緻密に形成されていく。

自分の視野が広がっていくって、正直めちゃくちゃ楽しくないですか?

私は新しいものが大好きだし、常に楽しいことをしていたい。知らないことを知る時って最高に気持ちが良いし、私を楽しませてくれる出来事に軽率に心奪われる。心躍らない日々に身を置いていると、死が簡単に寄ってくるからね。


気ままにどうぞよろしくお願い致します。 本や思考に溶けますが。