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「恨まない」と決めること by キンコン西野

このnoteは2020年6月11日のvoicyの音源、『西野亮廣ブログ』の内容をもとに作成したものです。
voicyの提供:長く起業し続ける人を、応援し続ける四ッ柳 茂樹さん


どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「『恨まない』と決めること」
というテーマでお話しします。

昨日、『毎週キングコング』の収録がありまして、そこでお話させていただいた内容について、もう少し深掘りしたいと思います。
表面上の話は、今週の『毎週キングコング』でご確認ください。
今週もメチャクチャ笑える内容になっております。


割かなくて良かったハズの時間

さて。

少し重たい話になっちゃうのですが、僕は過去に、大切なスタッフを事故で亡くしています。

その事故には加害者がいて、はたして「事故」と呼ぶのが相応しいのかどうか…とにかく、あまりにも痛ましい出来事でした。

事故があったのは、そのスタッフと手掛けているプロジェクトが佳境に差し掛かった頃。

事故当日に、お母様から連絡を受け、すぐに新幹線に飛び乗り、ご実家の方に行かせていただき、そこで、おいおい泣きまして…その時から御家族の方とこまめに連絡を取り合うようになりました。

今も何かあれば連絡を取り合っていて、僕のイベントにもご家族で足を運んでくださいますし、僕も、仕事で近くに寄った際は、会いに行かせていただいています。

そういう距離感でお付き合いが続いているので、事故後のご家族の方の活動は当然、耳に入ってくるんです。

加害者がいる事故だったので、事故後には長く続く裁判がありました。
家族の皆様の時間が、そういったものに割かれてしまっていたことは、とても辛かったです。

それは本来、割かなくて良かったハズの時間です。

加害者のことを恨んだと思います。
もちろん僕も思うところがありました。

遺族は、事故さえなければが誰かを恨むことに時間や気持ちを割くことはなく、もっと他のことに、もっと素敵なことに、その時間を充てることができます。

加害者のいる事故は、いつまでも終わりません。

残された家族の、その後の人生の大切な時間を大幅に奪ってしまいます。
共に汗を流したスタッフの御家族のことなので、ここに関しては、僕は一生かけてケアをしていくつもりでいます。


「面白いこと」だけに時間を使う


ここでようやく本題に入ります。
昨日、梶原君から質問を受けたんです。
「コロナで皆の活動が制限されている中、少し前まで西野の活動を批判していた人達から西野に相談がこなかった?」
といった質問です。

わざわざ聞かなくても、今の梶原君を取り巻く環境は容易に想像がつきます。

劇場やテレビといった活躍の場を失った人達から、「YouTubeって、どうすればいいの?」という相談がカジサックにたくさん届いているのだと思います。

そのうち、ほとんどが、梶原君がYouTubeに挑戦を表明した時に、批判してきたり、あざ笑ってきたりした人達で、まぁ、梶原君からすると「人のことを散々殴っておいて、今さら、何だよ」といったところだと思います。
「ふざけんなよ」という気持ちがあって当然だと思います。

この気持ちは痛いぐらい分かります。
基本、キングコング西野の歴史は、その繰り返しなんで(笑)

新しいことを仕掛けて、日本中から批判されて、5〜6年後に日本中がそれを始めて、「やり方を教えてー」という相談が舞い込んでくる。
この繰り返しです。

もちろん、最初は思いましたよ(^-^)

クラウドファンディングにしたって、
無料公開にしたって、
作るところからお客さんを巻き込んでいく手法にしたって、
芸人の「ひな段」以外の生き方にしたって…
シレーっと始めて、何事もなかったかのように相談してくるけど、

「お前ら、散々、比例していたじゃないか」
「お前ら、散々、僕のことを殴ってきたじゃないか。僕だけじゃなくて、僕と一緒にいるスタッフのことも殴ったじゃないか」
「今さら、どのツラ下げて、頼み込んできてるんだ」

最初は、そう思いました。
恨みに近い感情はあったと思います。

ただ…これ、終わらないんです。

新しい挑戦をする限り、必ず批判は起きます。
しかし、そこで結果を出せば、まもなくそれがスタンダードとなり、そして、あの日あの時、批判してきた人達からアドバイスを求められる。

その時、残念ながら相手は、当時批判したことなど忘れています。

というか、当時投げたのは「小石」だったので、罪悪感などなかったんだと思います。
小石を投げられていた側は、小石で会おうが、10万個ぐらい飛んできていたわけで、人が死ぬには十分な量です。
加害者は「量」で捉えていないから、どうしても軽く取り扱ってしまう。
そこの罪の重さのズレが、恨みに変わってしまう。

たしかに「ふざけるな」と思った時期もありました。
ただ、それが延々と続いたある日、ふと、「そもそも僕の時間は、誰かを恨む為に使うものではないハズだ」と思ったんです。

新しいことをして、結果を出す度に、当時批判してきた人達が手のひらを返して、その都度、「ふざけるな」と怒っていたら、僕は自分の人生の時間の大半を「ふざけるな」に使うことになってしまう。

それは僕が求めている人生ではありません。
僕は「面白いこと」だけに時間を使いたいので。

なので、もう決めちゃったんです。

当時、批判してきた人達が、
当時、ボコボコに殴ってきた人達が、
手のひらを返した時に…「ふざけるな」と思うことを、やめにしたんです。
そうじゃないと僕の身体が持たないんで。

ここからは、これから新しいことをする方に向けて、新しいことを次々に仕掛けて、日本中から批判され続けてきた先輩からのメッセージです。

最初に決めておいた方がいいと思います。

「自分のことを殴ってきた人達が、手のひらを返したとしても、恨まない」ということを、最初から決めておいた方がいいと思います。

「自分の感情を殺す」ということですから、なかなか大変な作業…というか修行ではあるのですが、貴方の時間は、本来、誰かを恨むこと割かれるべきではなかったバズです、

なので、最初から決めておくことをオススメします。

頑張ってね。

というわけで、
「『恨まない』と決めること」
というテーマでお話しさせていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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