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「マーケティング」は何の為にあるのか? byキンコン西野

このnoteは2019年12月1日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:赤星 美紀子さん

おはようございます。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

真実はどこだ?

今日はですね、
「マーケティング」は何の為にあるのか?
というテーマでお話したいと思います。

どんな活動をしていくにしても、
何かしらを売らなきゃいけない、と。

サービスなのか、ワザなのか、名前なのか、商品なのか、作品なのか。

その時にマーケティングは重要なんです。

世間の需要は、お客さんは、国民のみなさまは、
どこに玉を投げればいいのか?
ってことです。

闇雲に投げても仕方ないことですから。

多くの人はマーケティングの使い方を間違っていて、
たぶん、手前の意味でしかとらえていなくて。

手前の意味っていうのは、たとえば、
「多数決はなんのためにあるのか?」
って問いがあるとするじゃないですか。

これは、
「大勢ですばらしい答えを導き出すため」
って考えられていると思うんですが。

それこそ、
時代を前に進める人、正解を持っている人
は大勢側にいないんです。

大勢側にいる人って、なんで大勢側にまわったかというと、
一昔前の正解になびいた
から。

時代はぐるぐるまわりますから、
道徳だとか常識だとかルールはだんだんそぐわなくなってきた時に
「そんなことより、こうしようよ」
って言った時は

大勢側、一昔前の常識を持った8割9割の人に
「そんなのよくねーよ」
って叩かれてしまう。

僕も経験したかな。
7年くらい前にクラウドファンディングやったときも、
youtubeはじめたときも、
「芸人がなにやってんの」って言われた。

大勢側も不正解ではないんだけど、一昔前の正解である。

そうすると、
多数決ででてくる答えは、一昔前の常識である。

僕たちは、ここでもう一度考えなければいけないんだけど。

多数決って一昔前の正解がでる
ってことは歴史が証明しているわけじゃないですか。
つまり、多数決でおもしろい答えが出たことってないですよね。

どうしたって平均的な当たり障りのない答えがでる。

東京五輪のキャラクターとか見てられない感じあるじゃないですか。
ゆるキャラなのか、なんの害もない。
一方で人気もない。
商品にしたところで売れないな、みたいな。

あれも多数決だったとしたら、
国民のみなさんが選んだ結果だとして、
そのための税金がたくさん使われて、
なのに商品はまったく売れないから赤字をぶっこいてる、と。

やっぱ多数決ってそういう側面があってね。

だから、多数決ってあんまりよくないよね
って歴史が証明していると思うんですけど、

人は多数決っていう選択をすることが少なくない。
いろんな局面で。

じゃあ、多数決ってなんのためにあるのか?
結局、正解をださないのになんのためにあるのか?

それはシンプルに、
責任者が責任を逃れるためにある。

「国民のみんなが決めたからこれをやってるんだよ。俺悪くないよ」
って言うための言い訳ですね。

多数決ってそういうもんで、
奥にある意味はそれですね。

手前にある意味は「正解をだす」ってことになっているけど、
真実はどこにあるかというと「責任者が責任を逃れるためにある」。

マーケティングもやっぱりこれで、
「マーケティングはなんのためにあるのか?」
答えをだすためにあるのか。

いやちょっと待てよ。
マーケティングで答えがだせるのであれば、
みんなその答えにたどり着くわけじゃないですか。

「いまこれが売れるよ」
ってマーケティング結果に沿ってサービスを提供してしまうと、
みんなそこに集中するわけじゃないですか。

そうすると、
それ1個あたりの希少価値が下がりますよね。
参加する人が増えるから。
みんながやりだしてしまうと、自分のアプローチは埋もれてしまう。

だから、マーケティングどおり動くって、
本質的ではないんですよ。

誰でもだせる答えにいくことは時間のムダで、コストのムダ。

じゃあ、
「マーケティングってなんのためにあるのか?」
ってことをマーケティングする人は問わなきゃいけなくて。

これ、結論、なんのためにあるのかというと
世間の需要と、自分のどうしてもやりたいアプローチのズレを確認するため
にある、と。

ここのズレさえわかっていれば、マーケティングさえ済んでいれば
「僕はこれがやりたいんだ!」って言ったときに、
世間にぜんぜん受け入れられなかったとしても、
「そりゃそうだよね」って自分に言い聞かせることができる。

飛んできた玉を、
この振り方では打てない
ってわかった上でその振り方をしてるんだから。
これは僕のオナニーなんだ、って。

それで、精神衛生上、悪いものではないとわかる。
3振するってわかってて3振してるから。

時々、3打席連続3振してしまうと、
クリエイター、表現者、サービス提供者は食っていけないから、
3打席目にパーンと打つ、と。

マーケティングはそのためでしかない。

食いつなぐために3打席で小あたりだけしておいて、
やっぱりやりたいのは、ホームラン狙い。

そのときに世間の需要はどこにあるのか?
を知った上で
空振りした自分を納得させるためにある。

これが納得できないと、

なんで空振りするんだ?
なんで俺の商品がわからないんだ?
なんで伝わらないんだ?

ってどんどん病んでいっちゃうから。

でも、
世間が求めてるのはこれだよね、俺がやりたいのはこれだけど
ってわかってるうちは、別にあんまり当たらなかったとしても
「そうだよね」
って次のアクションを起こすことができる。

整理すると、
マーケティングは答えを出すためにあるわけではなくて、
世間の需要と自分のアプローチのズレを確認するためにある。

もっと踏み込んだことを言うと、
マーケティング通りにアプローチしてどうするんだ。
お前のやりたいことを見せろ。
それでしか大当たりなんかないんだから。

やりたい表現を続けていくためには、
それが世間とどれくらいズレているかを確認した上で
明日もがんばりなさいよ
っていう話です。

けっこう重要なテーマだと思っていて。
僕も『革命のファンファーレ』って広告に関する本をださせていただいたんですけど、
「こうしたら本売れますよ」って言った上でその本を売ったんですけど、

売ることはそんなにむずかしくないんですよ。
世間の需要はここらへんにあるなって。

ただ、くれぐれも、
マーケティングどおりにアプローチを続けることが癖付いてしまうと
自分が自分でなくなってしまうから、
長期的にみたら、あなたの存在価値がなくなってしまうから、
やめておいたほうがいいと思います。

というわけで、、
「マーケティング」は何の為にあるのか?
というテーマでお話しました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。

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