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議論が苦手な人の致命的な欠点 by キンコン西野

このnoteは2020年8月4日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:西野さん『レターポット』最高です。そして皆さん素敵な1日を やましろゆうじ さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「議論が苦手な人の致命的な欠点」
というテーマでお話したいと思います。

議論が口論になる理由

よく言っておりますが、「個の時代」というものが終わり、「集落の時代」に入りました。いうなればこれは、チーム戦ですよね。

それで、チーム戦になってくると、必要になる能力はいくつかあると思うのですが、そのうちの一つに、議論する力、「議論力」が必ず入ってきます。

それはそうですよね。みんなの落とし所を作って、そこに向かって役割分担をしていかなければならないので、「議論」はチームで動く上でも必要不可欠なんですね。

僕自身、本当にたくさんのプロジェクトを同時に進めていて、プロジェクトごとにチームのみんなで議論しているのですが、みんな、議論がうまいんですよ。

時々、オンラインサロンの中でその会議の模様を配信することもあるのですが、議論むっちゃうまいんです。

多分、多くの人が想像しているような、なんかこう、わーって激しい言葉が飛び交うような感じではなく、結構穏やかに、淡々と、こうだよねこうだよねあなるほどじゃあ次はこれを解決しましょうねみたいな感じで、結構、穏やかに進んでいってるんですね。

議論がうまくない人は、残っていないんです。
でも、仕事相手以外に目を向けてみると、議論が苦手な人ってわりと多いなという印象を
受けています。

ここで、議論ができないヤツはダメと切り捨てるつもりは一切ありません。

なぜ議論が苦手なのか?というその答えを割り出して、その原因を一つずつ潰して行ったほうが、未来が楽しくなると思うので、今日はそんな話をしてみたいと思います。

まず、議論が苦手な人にありがちなのが、「敵意帰属バイアス」がかかっている。これはもう、議論にならないというレベルなのですが、「敵意帰属バイアス」とは要するに、
他人の行為に、ことさら悪意があるように感じてしまうことのことですね。

例えば、偶然足を踏まれたにもかかわらず、わざと踏んだに違いないと怒り出してしまう人とか、みなさんのまわりにもいると思うのですが、
「金持ちは性格が悪い」とか、「美人は性格が悪い」みたいに思い込んでる人いるじゃないですか。それどこの統計結果なの?という。

ちなみに、僕はこのような浮き沈みの激しい業界にいるので、クソ貧乏の友だちからクソ金持ちの友達まで幅広くいるのですが、クソ貧乏人の友達は、ずっと人の悪口を言っており、クソ金持ちの友達はずっと、世の中を良くするためにどうすればいいのかということを考えていますね。他人の悪口に時間を使っているところなんて見たことがない。

なので、「金持ちは性格が悪い」という統計結果、ちょっと怪しいところではありますよね。

要するにこれは、「あいつは悪いことをしているからうまくいっているに違いない」と思わないと、気持ちの折り合いが付かないのだと思うのですが、こういう敵意帰属バイアスがかかっている人には、理屈は通用しません。

むしろ正論を言うと、かえって逆上してしまうので、対処法としては、しれーっと距離を取るしかないですね。もう、議論しちゃダメだというレベルですね。

逆に、自分に敵意帰属バイアスがかかっている場合もあるので、ここは注意したほうがいいですね。一つ確かなことは、「金持ちは性格が悪い」と思っている人の周りには、「金持ちは性格が悪い」と思ってる人しか集まってこないので、自分の考えが正義になりがちということがありますね。

なので、なるべく違う価値観で回っている環境に自分から飛び込んでいって、自分の意見の位置関係を把握しておいたほうがいいですね。

僕、地元のじっちゃんとかばっちゃんとかともよく飲みに行くのですが、ルールが全然違っていて、それはそれで結構面白いですね。

それで、ここからが本題なのですが、議論をうまくやる上で、「理解」と「納得」をきちんと区別するということが、上手に議論する上で、びっくりするぐらい大事だと思います。

ここ意外と、結構な人が区別できていないんですよ。
僕は以前、このラジオで、「コロナでマスクを買い占める人の気持ちは理解できる」と言ったのですが、その時、「最低!」みたいな言葉が結構返ってきたんですよ。

「マスク買い占める人を擁護するなんて最低だ」みたいな。
くれぐれも僕は、「納得できる」とは言っていません。「理解できる」と言ったのです。
「理解できる」に対して、「最低」という言葉を返してしまうことは、おそらく「理解」と「納得」の区別がついていないのだと思います。

「理解」とは、自分の意思を含まずに物事の道筋を正しく捉えることですね。
つまり、愛する恋人を殺されてその復讐に燃える人の気持ちは理解できる。
この時、復讐というアクションに対する是否は度外視ですね。

一方、「納得」とは、自分の意思を含めた上で、相手の考えや行動を受け入れることを指しますね。

「納得」には、自分の賛成と反対が含まれているというわけですね。
議論が苦手な人を見ていると、今目の前に出された事柄について、理解ができていないのか、理解ができないのか、理解はできるし納得もできるのか、それとも、理解はできるけど納得はできないのかという、区分けが自分の中で全然付いていないという場面をよく見かけます。

ここの整理がついていないと、議論相手と、何が共有できていて、何が共有できていないのかが分からないので、議論の落とし所が作れないんですね。

例えば、プロジェクトを進めるにはまず、今回のプロジェクトは全員が理解出来てさえいれば進めるプロジェクトなのか、それとも、全員が納得できるまで進めないプロジェクトなのかを決めます。そこで仮に、全員が理解できてさえいれば進めるプロジェクトだと、チームで決めたのならば、ここで「納得がいかない」とゴネることは間違いになります。

「納得できる・できないは今関係ないから」と話なってきます。

わかりますよね。こういった感じですね。「理解」と「納得」の区分けを整理しておけば、解決すべき課題が明確になるので、一応これは、議論する際の最低限のマナーとして持っておいた方がいいと思います。

というわけで今日は、
「議論が苦手な人の致命的な欠点」
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。

※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
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