見出し画像

キンコン西野が10年以上守り続けている「タモリの教え」

このnoteは2020年4月10日のvoicyの内容を文字起こししたものです。
voicyの提供:はしもとまゆみ さん

どうも。キングコングの西野亮廣です。

お笑い芸人をしたり、絵本作家をしたり、国内最大のオンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』の運営をしたりしております。

今日は、
「キンコン西野が10年以上守り続けている『タモリの教え』」
というテーマでお話しします。

タモリさんからもらったアドバイス

参考になるかどうかわかりませんが、今日は僕個人の話をさせていただきます。
方々でお話しさせていただいてるのですが、僕は25歳の時に、テレビの世界に限界を感じて、世間的にはおそらく『絶頂期』と言われている時期に、テレビの世界から軸足を抜きました。

そこから絵本の世界に進むわけですが、テレビを辞める時に、「絵本を始める」っていう事を決めていたわけではありませんでした。

とりあえずテレビを辞めることだけ決めて、2、3週間くらい、アテもなく毎日飲み歩いてたんですね。

ぼんやりと決めていたのは「次にやる仕事は世界まで繋がっているものにしよう」ということでした。

例えば、日本語に強く依存したものだと、海超えるのがちょっと難しいじゃないですか。なので、ノンバーバルなものか、翻訳のハードルが極めて低いものにしようと。
決めていたのはそれぐらいでした。

そんな感じで飲み歩いていたら、タモリさんに飲みに誘われて、当時は、週1回ぐらい飲ませていただいてたんですけれども、その日だけはちょっとトーンが違いました。

「話があるから」と飲みに連れて行っていただき、銀座の地下のバーで飲んでいると、突然、タモリさんが「お前、絵を描け」って言ったんです。

僕自身、別に絵を描くことに興味があったわけではないですし、絵を描くことが得意だったわけではなかったのですが、呼び出してまで言うということは、よっぽどのことだろうと。

それに、やっぱり自分自身のことは他人の方がよく見えているので、「はいわかりました」と言って、そのバーの帰り道から絵本作家になりました。

「今からなります」と絵本作家になるわけですが、そこからまた、定期的にタモリさんと飲んでいる時、自分の中でまとまった絵本の構想をタモリさんに全部話しました。

そうすると、タモリさんも「俺も考えたんだよ」と話してくださいました。そこからのちに、ふたりで『オルゴールワールド』という絵本も作るわけですが、その話はまた今度させていただくとして。

絵本の構想を話し終わったあと、またふたりでちびちび飲んでいました。
その時、タモリさんがかけてくださった言葉を、僕は今でも持っているのですが、「時代は追うなよ」と言われたんです。

「西野、時代は絶対に追うな」ということを、すごく言われたんですよ。

みんなが追っているものを追ったところで、取り分を分配しないといけないんだから、「突き抜ける」という目的に対して、「時代を追う」というのは逆行していると。

その台詞だけはすごく覚えているのですが、「時計の針は一蹴して必ず回ってくるから、その場にいて徹底的に磨いておけ」と言われました。

頻繁に飲みに行かせてもらってはいましたが、タモリさんと真面目な話をしたのは、合計時間にしておそらく2、3分くらいしかないので、その一回はすごく覚えています。

「ダイレクト課金」を獲得しろ

そこからテレビ業界でも、世間でも本当にいろんなブームがあったのですが、僕は一度だって追いかけたことがないんです。

「今○○が流行ってるからそれやろう」と世間に合わせにいったことは、これまで一度もありません。

絵本にしても、この0.03ミリのボールペン1本で書くおかしい内容になっているし、ようやくカラフルな作品を発表したと思ったら、今度は分業制でなんか変なことになってるし。

ここだけ聞くと、「自分を貫いてすごい」という結論になりそうですが、「時代を追わない」とか、「世間に合わせに行かない」というのは、言わば、数字に対する反抗で、それは、「華やか」とはもう程遠い毎日です。

「こういうツイートしたバズるだろうな」とか、「こういうことをしたらフォロワーが増えるだろうな」というのは、手に取るように全部わかります。

でも、それをやらないって決めたわけじゃないですか。
自分の信じたものだけをやり続けると決めたわけじゃないですか。

そんな奴が生き残ろうと思ったら、1万人の薄いファンよりも、10人の濃いファンを選び続けるしかありませんでした。
選び続けるというよりも、必然的にその一択になります。

だって、僕のアプローチは1万人に面白がってもらえるものではないので。

10人の濃いファンを相手にエンタメをしようと思ったら、『ダイレクト課金』しかないのです。

お客さんを10人しか持っていないやつに、広告費を出すスポンサーさんなどいないので、『ダイレクト課金』、つまりお客さんから直接投げ銭してもらうしかないんですよ。

なので、この『ダイレクト課金』の獲得は、「タモリさんの教え」を守るために必須だったんです。
広告費頼りになると、数字を取るために、僕は世間に合わせないといけなくなるので、『ダイレクト課金』を取るしかない。

そんなこんなで、今になります。

今、オンラインサロンが国内最大の規模になっていて、「数字を取りに行く」ということと矛盾していると思われるかもしれませんが、これは結果論です。

あの日の10人が、12人になり、15人になり、20人になり、25人になり、これをずっと続けて、今は4万4000人(※2020年4月時点)の方に応援していただいているわけです(※2020年6月時点では6万6000人)。

そして、これは僕の肌感ですが、強く信じて、強く応援してくれる人が300人いれば、世界なんてひっくり返せるということが、この10年以上の活動でわかったことです。

4年くらい前は、サロンメンバーまだ300人くらいで、世間的には「西野何言ってるの、あいつ頭おかしいんじゃないの」と言われている時でした。

でも、強く応援してくれる人が300人もいれば、何でも仕掛けられると思っていたし、実際に次々と仕掛けることができたんです。

フォロワー100万人なんていらないから、強く応援してくれる300人が欲しかったし、楽しかったです。

どうして今こういう話をしているかと言うと、これまでの常識が通用しなくなってきたタイミングで、新型コロナウイルスという黒船が来て、今いろんなところで、ゲームチェンジが起こっているじゃないですか。

僕らは、明日の形が良く見えないまま、随分と手探りで、今日を生きています。こうなってくると、薄く広く支持されることよりも、少なくてもいいから強く指示してくれる支持者がいる人の方が、この変化の激しい時代を軽やかに乗り越えていけるなと、最近ひしひしと感じています。

フォロワー数やチャンネル登録者数といったものは、もう自分を安全安心させてくれるためだけの数字でしかなくて、友達にドヤるための数字でしかありません。

数年前のように、自分を守ってくれる数字ではなくなったんだと思います。

「タモリさんの教え」を守り続けることを決めた結果、こんな仕上がりになっちゃいましたという報告です。

「時計の針」で言うと、僕は今、強く応援してくれる人が集まった上に、時計の針ががちゃんとバッチリ合っているのかなと思っていますが、時代の針は、いずれまたどっかに行くものだと思っていますので、そこは結構割り切っています。

僕は引き続き、自分が面白いと思うアプローチを続けるだけだというところです。

いよいよもう支持者の『広さ』よりも『深さ』を取りに行ったほうがいいなというのが、今日のまとめです。

というわけで、今日は、僕個人のお話しですが、
「キンコン西野が10年以上守り続けている『タモリの教え』」
というテーマでお話させていただきました。

それでは、素敵な1日をお過ごしください。西野亮廣でした。


※オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』では、毎日、議論&実験&作品制作&Webサービスの開発&美術館建設を進めています。
んでもって、ビジネス書に掲載するレベルのコラムを毎朝投稿しています。
興味がある方はコチラ↓





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?