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ご縁があるって?

自己紹介した後にけっこうよく言われることがあります。
「真言宗のお坊さんなんですね!私お大師さんとご縁があるんです!」
それはそれは!で、どのような?
「えっと…ご縁があるんです!」
…?…で?

真言宗のお坊さんなら弘法大師のお話をふられて嬉しがらない人はあんまりいないんですが、最近どうもここで切れてしまうことが多いんですね。

もっと!もっと語ってくださっていいんですよ!!

うちも真言宗で、ちょっと聞きたいことがあるとか、
高野山にお参りしてこういうことがあったとか、
そういうお話はけっこう続くんですが、
ご縁があるんです系は大抵ここまで。

…なぜ…?

日本に生まれて日本の教育を受けた人ならたいていご縁があると思うんですよ。
なぜなら、お名前も業績も知っているから。
「空海?WHO?」
とかならないでしょ。

幼い頃は神童だったとか、
真言宗作ったとか、
高野山や京都にお寺作ったとか、
ため池作ったとか、
唐に渡ったとか、
知ってるじゃないですか。
これ、けっこうご縁あります。

しかも同じ日本語使ってて、書いたものそのまま読めてしまいますよ。
かなりのご縁です!(ちょっと勉強は要りますが。)
しかも作ったお寺とか作った仏像とか拝めちゃうんですよ。
すごいご縁!
八十八ケ所巡りとかしちゃってたら、道中付いてきてくれますよ!
なんてご縁!

「袖すり合うも他生の縁」と言いますが、ご縁というものはどこからつながってどこから表れるものかわかりません。
ほんのちょっとしたかかわり合いでさえ、どこかで結んだ縁によって表れているのかもしれません。
ならばそれを良いご縁にしようという思いが
「人とのご縁を大切にする」
ということだと思います。
縁の良いも悪いも自分の心と行いによる、という古人の教えですね。

ではお大師さまとのご縁とは?
お大師さまはもちろん、神仏の恵みは常に降っているものです。
そりゃもう、限りなくしこたま降っています。
雲海みたいに広がって雨のように降らせます。
神仏、そんなケチじゃないですから。

でも、ふと上を向いてそれを受け取って、
あ、神さまだ
あ、仏さま。
あ、お大師さまだ!
と思った時に、ご縁になるんじゃないかなと思います。

そうしてつながったら、それは一対一のご縁です。
恩恵や智慧、より良くなるためのいろんなものをそこから受け取ることができます。
そのご縁をどのように育てて行くかはご自分の選択です。

ご縁はいつだってあります。
受け取れる自分になったことを喜んでください。

何をすればいいか知りたかったら、聞いてください。

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