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身口意は一致させていた方が結局楽。

先日私の敬愛する星読みelly.さんのブログに

「身口意」って言葉が出てきたので、おおーと思いました。

これそんなに一般的な言葉じゃないと思っていたのですけど。


身…やっていること(行動)

口…言っていること(言葉・思考)

意…思っていること(心・意識・フォーカス)

です。

この世界に生きている普通の人は通常

正しい清浄な状態でこの三つを使うことが困難で、

そのために身口意の働きを起こすたびに悪い因果を作ってしまいがちです。

そしてまた次の輪廻を起こしてしまいます。

ですので、衆生の身口意は「三業」と呼ばれます。


これに対し、如来は清浄に身口意を使うことができ、

もちろん輪廻の縁を作ることはありません。

その微妙な働きを「三密」と呼びます。


私たちは三業をクリアリングして三密に近づいて行くことによって

如来に近づき、いつか即身成仏を果たしたいわけです。

こういう大事な言葉なので、「3密」とか言われ始めた頃

密教のお坊さんたちは「あらまあ…」と思っちゃったんですけど…。


仏さまは常に三密の状態ですので、

行うこと、話す言葉、心の中で思っていることが全て法に適っています。

その状態であらゆることを行なっておられるから

衆生を救う仏の働きができるのです。

では日常生活でこれをするとしたらどうすればいいのでしょう?


まずは、身口意を一致させることです。

心に思ったことを、違うことなく言葉にし、行動する。

心に思ったことをいろんなことを忖度して曲げたり、

心にもないことを言ったり、

言葉と行動が違っていたりというのは、仏さまのスタイルではありません。

そして、忘れてはいけないのは、その三つが仏法に適っていること。

ここで思い出してほしいのが十善戒。

表現することや内容が衆生を傷つけるやり方ではNGです。


言葉や行動によって人は世界や他の人たちに影響を与えます。

それがわかっているので、心に思ったことを言葉や行動にするときに

自分の中で検証しコントロールするのですが

それを歪んで曇ったメガネをかけて判断するので選択ミスが起こります。


汚れやホコリは、自分の心を曇らせているいろんな記憶や思い。

メガネの歪みは、それがあっても見たいものが見られるように

自分が全力で行なってきた対症療法的な対応。


やってもいい。持っててもいい。

でも、外してもいいのです。

なので、一回外してみましょう。

少なくとも、それに使ってた労力が減ってちょっと楽になります。

いろんなことがシンプルになって、さらに楽になります。

そして、自分の人生がどう変わって行くか観察してみましょう。


あなたという仏が何を思い、

世界にどういう言葉を放ち、どういう行動を示すのか。

それを行うために生まれてきたのですから、

シンプルな最短距離で実現した方がいいと思うのです。


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