終戦の日考えるべきこと

1945年8月15日。日本は負けた。日本と韓国は、8月15日を終戦として扱っているけれども連合国(今の国連)は、9月2日としている国ばかりだ。

全人口の3%くらいを失って、日本は、降伏をした。
まだ、健在な軍隊があったが、戦争をやめたという意味で終戦という言い方をしている人が多い。

戦争の悲惨さを伝える報道が当たり前のように、各報道機関で行われている。
出てくる戦争の生き証人は、当時10代後半から20代だった方たちだ。
自らの体験を語り、悲劇を繰り返すな。とおっしゃる。

体験談を語り伝えるのは大変いいことだ。しかし、みなさん当時は、若い兵隊だったり、若者だった方たちだ。だから、彼らには自分の体験を伝えられても、我が国がどう戦うべきだったか?戦争遂行の企画立案についての話をすることができる人は少ない。
戦争遂行の企画立案をしてた人達は、みなさんお亡くなりになってしまった。せめて佐官できれば将軍だった方たちや政府にいた方の話を聞くことはできない。

僕らは、戦争の悲劇を知ることの他に、次戦争をやらざる得なくなった場合に負けないように準備をしておく必要があると僕は考えている。

テレビも新聞も悲劇を伝えるだけで、次やるときに負けないための準備についてしっかり民意を形成するつもりはないようだ。

これからも、おそらく我が国からよその国に侵略をすることはない。しかし、外交には相手がいる。相手が戦争を仕掛けてきたら、我が国の国民の生命や財産を守る必要がある。

そのためには、いくつかやっておいた方がいいことがある。
まずは、今の自衛隊にいい武器、いい人材を確保することだ。
次に、今の自衛隊に、やってはいけない行動以外は何でもやっていいという行動規範を与えること。専守防衛を徹底してたら、おそらく戦争の時に自衛隊のメンバーの身を守ることさえできないからだ。法的には、自衛隊法の改正と憲法の9条を廃止する憲法の改正をしておいた方がいいと思う。
同盟国との関係の強化も大事だ。

さらに、緊急事態、非常事態の時に政府が法律の根拠をもって、国民の権利を制限して義務を課すルール作りも必要だと思う。
理由は、以下だ。コロナ禍と戦争を同一視することはできないけれども、未知のウィルスの蔓延という国家の危機で、法律によらずに国民の権利を制限し、義務を課すかのような要請が自治体から発せられた。
国家の危機という非常事態において、明確なルールで国民の権利を制限し、義務を課すほうが、いいと思う。
どういいかというと、明確なルールが整備されてたら、ルール違反の政府や自治体の国民への規制については、あとから補償を請求できるからだ。



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