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仕事ができないと悩む文系人間に送る処方箋

この本を手に取った時、うわ、読まなければ良かった、と直感的に思ってしまった。
何というか、今までの自分の”生き方”みたいなものを否定された気になったから。
これまで自分が正しいと思ってやってきたことが、何とも非効率で、多くの無駄な時間を費やしてきてしまったことを思い知らされた。

小学校の頃から、僕はバリバリ"ド文系"の人間だった。
それは、僕が本当の意味での「考える」という行為をほとんど行ってこなかったせいだ。

理系の問題の多くは、問題文を読んだだけで答えがすぐに出てくることは無い。答えまでの道筋を考えて、どんな解き方をすれば正解を導くことができるのかを考えないといけない。正しい答えにたどり着くことも大事だが、どんな考え方をしたのかも同じように大事にする。

だから、答えが出ていなくても、途中までの考え方があっていると加点されることもある。一方、文系の問題、とりわけ記号で答えを選ぶ問題はどれだけ自分が情報を持っているかによる部分が多い。だから、極論、大量の単語や出来事を暗記していれば、それなりの点数を取ることができる。

中学生の頃から、暗記をすれば点数を取れる科目については大体点数が良かった。特に歴史科目は構内のテストランキングでいつも上位にいた。数学なんかでも、これまでにやってきた問題がほんのすこしだけアレンジされていて、考えなくても解法を暗記していれば済むものに関しては、それなりの点数を取ることができた。

しかし、学校の定期テスト以外のところでは、ことごとく成績が悪かった。そもそも、学校のテストでいい点数を取ることを目標として勉強していたので、時間が経てば詰め込んだ記憶を取り出すことは難しくなる。数学なんか、公式は覚えていてもそれを上手に使うことができないので、応用問題には太刀打ちができない。情報を網羅的に覚えて、力技で点数を稼ぎにいく勉強法は非効率だし、むしろそれは勉強とは呼ばないということに最近まで気づかなかった。

結局、歴史科目であっても、大事なのは教科書で太字になっているところを1から100まで暗記することではなく、なぜその事件が起きたのか、という背景や、それぞれの登場人物の関係性を把握することが大事である。それなのに、当時の僕は全くそれができていなかった。だから、論述の問題が出るとすぐにさじを投げてしまっていた。

大学受験までは、最悪それで良かったかもしれない。大学を入ることをゴールにしていた時点で、結局は間違っていたのだけれど、どこにも入ることができないよりかは、入れた方がまだマシだ。ところが、大学に入ると、これまでの勉強のように答えが決まっていて、それを暗記すれば済む世界ではなくなったことに気づかされた。必要になってくるのは、理系の脳みそ。つまり、問題を因数分解する力だ。アルバイトでも、授業でも、最適解はあるかもしれないが、絶対解が存在しなくなる。しかも、高校までのテストのように、向こうから問題を提示してきてはくれない。問題が起こる前に、自分で問題を探して、それに対してどうやって取り組めばいいのかを自分で考えて、試行錯誤と検証をしなければならない。もちろん、回答集みたいなのがあって逐一答え合わせをできるわけじゃないから、間違うことも失敗することもある。むしろあって当然。なのに、僕は間違うことや失敗することに対して、とてもネガティブな感情を抱いていた。それは、今までずっと「いい点数を取ること」を目標にした人生を歩んできたからだ。いい点数や自分が納得するアウトプットが出せないと、外に出すことができない。それは、他人の評価の世界の中で生きてきてしまったということに他ならない。他人の評価が低いと、まるで自分が傷ついたような錯覚を覚える。

そういった世界で生きてきたからだろうか、いざビジネスの場に出ると、自分がどれだけ仕事ができないかを思い知らされた。仕事ができない人は、1日の中でアウトプットの時間よりもインプットの時間方が長くて、期限ギリギリまで自分の任された仕事を提出することができない。それは、期限ギリギリまでやればいいものが出せるという思い込みと、途中で誰かからのフィードバックをもらうことを怖がってしまっているからだ。僕はまさに、その典型例だった。

新入社員なんて、できないこと、知らないことの方が圧倒的に多い。上司にも新入社員が一番してはいけないことは「失敗をしないこと」だと教えられた。だから、早く仕事ができるようになるためには自分で考えて、仮の答えを出して、とりあえず出してみるしかない。もちろん、慣れないうちに作られたものは先輩から見たら全然ダメだろうし、自分でも納得いくものではないかもしれない。だからといって、ずーっと答えを探し続けていても、結局いい回答なんてわからない。今の時代は便利すぎるから、グーグルで調べ物をすれば大抵のことがわかる。しかし、わかりすぎてしまうのだ。例えば、資料の作り方一つ検索しても、何十通りものやり方がでてきて、結局どうやって作ればいいのかわからないうちに時間が過ぎてしまい、気づけば期限ギリギリになっていたということはザラだ。自分が1日の仕事のうちどれだけの時間を「考える」ことに使っているのかを調べたら、恐ろしいほど短かった。自分が考えていると思っていた時間は、思えば、ただ「悩んでいる」だけに過ぎなかった。大量に情報を集めて、どうすればいいかわからないとうだうだとしているだけだったのだ。ビジネスの世界は、歴史のテストのように、沢山の情報があればいい点数が取れるわけではない。

もっと仕事ができるようになりたい。効率よくできるようになりたい。

きっと、働いている人なら誰もが思うことだろう。僕自身も、周りが優秀すぎる人ばかりゆえに、人一倍そう感じていた。そんなモヤモヤしている時期に出会ったのが、この本だった。そこに書かれていることは、自分の今までの勉強の仕方や、仕事への取り組み方を全否定するような内容だった。

「仕事が遅い人の特徴は、とにかく沢山の情報を集めたがることだ」

第1章にして、速攻で自分の仕事の取り組み方を否定された。しかし、それは事実に他ならないことも知っていた。ボストンコンサルティンググループの日本代表も務めた著者は、仕事ができるようになるための考え方として「仮説思考」という「とっておき」をあげている。それは、今まで文系人間で生きてきた僕が真っ先に身につけるべき思考法だった。実際、この思考法を利用した結果、期限まで2週間ある仕事を3日で提出することができた。また、人にものを頼むことを動じなくなってきた。

読むことにちょっと勇気がいるので、もしかたら傷ついてしまう人もいるかもしれない。

それでも、自分を変えたいと思ったら絶対に読んで損はない、そんな本である。

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