意見を変えさせるにはパワーがいる、けど、そのパワーを持つ人は少ない

人がある意見を支持しているという状況、さらにそこから意見を変えていく、というのはどういうことなのかを考えてみたい。

たとえば政権や原発なんかには、当然賛成と反対がある。で、ある側に支持が多いという状況を変えるには、元々の支持者を自分の側に意見をかえさせるか、浮動層の多くを自分の側に同調させるかが必要なんだけど、一度ある意見の側にある人を変更させるのってすっごく大変だと思うんだ。。。

で、世間の人々の意見の主張のしかた、それは政治家レベルであってさえ、やはり自分達の同調する仲間内向けの自分達の方が正しい、または、良い、という表明の度合いが強くて、明らかに他者の意見を変えさせたり、自分達の側に誘導するかたちになってないことがほとんどにみえる。結局は、自分達は正しいよねぇみたいな。
これが現時点で支持が少ない側がやってると、俺たちの方が正しいはずなのに、どうしてみんなそう思わないんだみたいな、下手するとマイノリティの同病相憐れむみたいな、ちょっとかわいそうな事態にもなる。
まぁ、意見を変えさせるほどのパワーを持って論じられる人がそもそも少ないのだから仕方ない面はあるにせよ、それにしても仲間内意識の強さに偏りすぎには違いない。

SNSを中心にネットは個人の情報発信であったり個人の意見表明の場として機能するけど、ネットは仲間意識ばかりで実は大きな意見変更にはつながらないのではなかろうか。まぁ、浮動層を動かすという点では機能しそうだが。
でも、選ぶにせよ、意見を変えるにせよ、どっちにも声の大きな変な人やらトンデモな人がいたりするわけで、じゃあ大きな変化を促そうとしても、今度はそんなトンデモな人々が悪目立ちしてそういうのが壁になることも多いから困るんだよね。
で、これまた前にはいったけれど、少々変だったり、トンデモだったりしても、声が大きくて支持してくれるなら、その人を排除して支持の量を失いたくないってのもあるわけで、大変困ったジレンマにも陥るわけだ。

意見を変えようとしたり、こっちの方がマシかもと思っても、変な人が目立ってしまうと、いやぁ、思ったほど期待できないかも、と二の足は踏まれて、けっきょくは支持は思ったほど変動しないし、これは、どんな場合もそうなんだろうけれど、悪目立ちする人たちってのが、けっこう大きな影響を与えてる(プラスよりやっぱりマイナスに)んだよね、、、

たとえば、今の日本の政治状況でいえば、私は自民党も民進党も、ほとんど一緒だと思っていて、そんな自民党のサブセットが、そしてあまり期待できなさそうなところが、政権交代っていっても変わるはずはないと思ってるんだけど、実はA(自民党)からA’(民進党)への変化が期待できなくても、その差よりもより小さい、Aとはほとんど一緒だけど、ある一点だけ(安全保障だけとか、社会保障だけどとか)は全く違う意見のグループがあれば、そこには支持が移動する可能性があるのだと思う。そういうグループを作れるかが一番問題なんだけどね。今の政治家のクオリティの低さや体たらくからいけば、大きく変化することを有権者も期待してないから、そういうすり足的移行しかないのかも。

原発なんかでも、すぐにすべて廃止、という人々がいて、経済的な問題、廃棄物の問題、技術の問題を論じても、大声な放射能過敏な人々の影響力が足を引っ張ってることも多いはず。でもその人々の支持は失うわけにはいかない。。。これもジレンマだろう。特に意見を変えさせるのには、大きな壁だと思う。だから、ここでもすり足的な変化しかせいぜい期待できないだろう。でもこの分野は政治よりも意見や支持の固着が激しいから、そのすり足さえ許さないようにも思える。つまりずるずるいくしかないのかもしれない。

ここでは政治や原発を例にしてみたけれど、実は社会においてはこれに近い状況が多いんじゃないかな。そして意見を変えさせるよりも自己主張の方が強いという傾向も、ネットで意見を発信するというパターンが増えて、逆にそういう傾向が強くてなってるんじゃないかな。。。(もっとこう変えていこうとうまくいえる人は少ない、というか、そういう主張の仕方の訓練はあまり受けてないというか、、、
ここで気づくことがあると思う、特にネットなんかの議論で相手のまちがいとか叩くことが熱心な人ってけっこういて、論破好きって言えばいいのかな。あれは、個人の快感にはつながるだろうし、まあ、うまくいけば相手が大きな顔をさせなくすることはあっても、じゃあ相手が意見を変えてくれるのかというと違うよね。
これもまさにネットは個人の快感には奉仕してるけど、議論して状況を変えるのにはあまり与してないことを示していそう。まさにここで、議論をして相手の意見を変えさせられるような人がいればいいけど、何度も言うけどその訓練はうけてないし、そのパワーを持つ人は少ないし、そんな風に考える人も少ない。。。残念なことである。
結局は、ネトウヨとかブサヨなどと揶揄される人々はこの快感の内側に生きてる哀れな人々と言えるかもしれない。。。

これで、すり足的な変化しか頼れなくなったら、実は時間切れとしてのさらなる大きな問題発生が起きることがあるので、より深刻な事態を招くかもしれないし、あまりのすり足に最後には鬱憤がたまって大爆発ってのもあるかもしれない。まぁ、それを待つのもいいのかもしれないけれど(をいをい

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