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「編集者ひとりではなにもできない」コンプレックスを克服した話

仕事が1年続かなかった。
それまでやってきた編集の仕事から少しずれ、採用コンテンツを作り採用マーケティングをするのが私の役割だった。

だけど、なかなか仕事に慣れず、思ったような成果も出ない。
試用期間をずるずると引き伸ばした末、退職した。

難しいけどやりがいのある仕事。
気にかけてくれる同僚。
能力の高い本気なひとたち。

そんな環境のなかで、ずっとボタンをかけ違えたシャツを着て仕事をしているような感覚があった。なんで直せないんだろう? 自分ひとりだけ、ずっと身支度が整わない。

結局私は、みんなと同じステージに立てないまま控え室で挫折した。
申し訳なさと気まずさをひきずったまま転職活動をはじめた。

転職の軸

「いま思うと、甘えだったなあと思うこともあるんです。」

面接でそんな弱気なことを言える会社に内定をもらった。
今回の転職の軸は明確だった。

「誰かの役に立っている実感が持てること」と「チームワーク」だ。

企業は存続しているだけで便利な製品やサービスを提供し、雇用を生み出し、誰かの役に立っている。それはわかっているのだけど、その実感を感じられるか否かは別問題だ。

想像力が遠くまで働くひとだったら、自分の仕事と社会に散りばめられた点と点を繋ぎ、最終的に誰をどう幸せにしているのか想像できたかもしれない。会社と自分を地続きにできたら、役に立っている実感が持てたのかもしれない。

でもやっぱり、私はボタンのかけ違いをずっと直せないまま、最後まで控え室から出られなかった。


その理由はたぶん、自分がいる必要性を感じられなかったからだと思う。

「誰かの役に立っている」の「誰か」というのは、顧客に限った話ではなく、職場の同僚やチームのメンバーも当てはまる。むしろ私のなかでは、近くにいる人の役に立ちたい気持ちが強い。

それっぽくいえば、「サポート役で真価を発揮するタイプ」なんだと思う。
アシスタントや秘書の仕事をしていた時に評価されることが多かったのも、編集者として誰かの発信を影でサポートすることにやりがいを感じていたのも、きっとそういう自分の性質ゆえだ。まわりに支え合う人がいるからこそ自分の強みを発揮できる。「チームワーク」がないと私は居場所を見つけられないのかもしれない。

私がサポートしなくてもどんどん上に上がっていける能力の高いひとたちばかりの環境で、自分の役割を見つけるのは難しかった。

編集者ってなんだろう?

編集者は、何もできない人、何でもできる人

社内の意見を制作会社に伝え、制作会社の意図を社内に伝える。
前職に転職する前、人材系の会社で編集の仕事をしていた私は、せかせかと伝書鳩のようにはたらく毎日を過ごしていた。

編集ってこんな仕事なのかな? 漠然とした問いの答えを見つけたくて色々な編集の本を読んでみたけど、菅付さんのこの言葉はとてもしっくりきた。

自分より遥かに才能のある人を集め、指揮を執り、高い完成度を実現する。
それが編集者。

だけどそのためには、本を読み、歴史に学び、興味関心の高さと圧倒的勉強量が必要。かつ、プライドを捨てて他人の良いアイデアを奪うように真似することが必要。頭の中に豊かなアーカイヴを持っているからこそ編集者として魅力的な仕事ができる。

自分では書けない。作れない。
それでもプロジェクトを円滑に進め、関わってくれる人の才能やモチベーションを最大化させる編集者の役割は重要。

そう思わせてくれる本だった。

編集者の役割の大切さに納得しつつも、どこかで、このままずっと影の存在でいいんだろうかと焦りを感じていた。

自分ではなにもできない。私はずっとカリスマ性のあるひとに寄生して生きてゆくのか。恥ずかしくないのか。私がいなくたって才能のあるひとは勝手に認められていくじゃないか。そしたら、私の存在価値ってなに?

こうやって気持ちが行ったり来たりする状態が続く。
その落差が大きくなればなるほど、しんどくなっていた。

「このままずっと黒子でいてはだめだ。」
転職を考え始めたのは、「前に出たい」波が大きくなっていた時期だった。

「自分で成果を出さなきゃいけない。絶対に、誰の力も借りずに。
私ひとりでも意味があると証明するのだ。」

この時期、すごく苦しんでいた気がする。
誰かのサポートじゃない自分主導の仕事、数字の分析といった苦手を克服しなければいけないと思い、前職に転職した。

「ひとりではなにもできない自分」から脱却したい一心だった。

前向きなあきらめ

結局その目的は達成されなかった。
でも、いま私はとても前向きな気持ちでいる。

なぜかというと、ずっと抱えていた「編集者ひとりではなにもできない」コンプレックスを克服したからだ。

克服というと大袈裟かもしれない。
前向きなあきらめができるようになった。

そうなったのにはいくつか理由があるのだけど、一番大きいのは、前職に転職するまで持っていた「どんなに難しいことでも、やればできるだろう」という楽観主義が良い意味で壊されたことがある。

「時間も体力も能力も有限」
いままで無理をしてきた時期も多く、そんなあたりまえのことを忘れていた。

仕事で成果を出したい。
子供との時間もつくりたい。
家事も、読書も、勉強も。

いままで力技でやりきれてしまっていたこと、多いと思っていたタスクがそれほどでもなかったことから、やる気を出せばやりたいことを全部やりきれると思い込んでいた。成果も出せると思っていた。

でも、前職ではじめて自分のキャパシティと能力の天井にぶつかり、いまさらながら、成果を出すためには計画や取捨選択が必要なのだと知った。苦手なことをやろうとする時、得意なことの5倍は時間がかかることを知った。興味のないことに向き合う時、すごい勢いでモチベーションがすり減っていく体験をした。

そんな経験を経て、「さあ、これからなにをしよう」と考えた時、得意なことをやったほうが伸びる、好きなことをやったほうが幸福になれる、としあわせベースで考えられるようになった。いままでだったら苦手を克服する方向に梶を切っていたと思う。前向きなあきらめって大事だ。

転職先は、背伸びしない自分を評価してくれた会社

代表との最終面接で、
「前に出たい、ひとの上に立ちたいという気持ちがない。
ひとを主役にするために後ろで奔走していることにやりがいを感じるし、自分の性格に合っていると思います。」
と正直に話した。

代表は、私の発言をすんなり受け取ってくれた。
代表だけでなく、それまでに会った人事や現場のひとたちがみんな、私の正直な気持ちをすぐに受け入れてくれ、その上でできることを一緒に考えてくれた。

「前に出るのが苦手でまわりの意見を聞きすぎてしまいそうなところはある。だけど、コミュニケーション能力が高いです。コミュニケーションが苦手な人ともうまく話せると思います。難しい質問をしても、事実に沿って、自分の言葉で、正直に話してくれる印象があります。」

人事の方からもらったこのフィードバックは、なんというか、宝物だ。

「ない」ものに目が行きやすい私は、向き不向きを無視してつい盲目的に自分に負荷をかけてしまう。だけど、前職で色々な経験をさせてもらったおかげで、自分の特性を自分で見極め、これでいいと認められた。たくさん相談させてもらった前職の同僚や上司には感謝しかない。その経験があったから、1cmも背伸びしない、できないことがたくさんある自分のまま面接に臨めた。そして、それでもあなたが必要だと言ってもらえた。この経験は自信になった。

影のサポーターにスポットライトを当てたい

リーダーシップがあり、積極的に前に出るひとがサポート役よりも優れているという刷り込みは、仕事をするなかで自然とつくられた価値観だと思う。

インタビューをする時、記事になるひとは大体決まっている。
社外からインタビューの依頼がくるひとは、社内の記事でもインタビュイーになる。
声の大きいひとが評価される。
自ら宣言しなかった成果は気付かれない。
小さな貢献はスルーされてしまう。
数字で見えない貢献は見逃されてしまう。

私が編集の仕事でやりたかったのは予定調和を忠実になぞることじゃない。
影のサポーターの努力にスポットライトを当てることだ。

よく『テレビ東京の「家、ついていってイイですか?」みたいなことがしたい。』と言っているのだけど、それは、どんなひとにも必ずドラマがあると信じているからだ。

嘉島唯さんの記事を読んで、あらためてその気持ちが強くなった。

「スペシャルな経験をする」方がクイックに注目を集められる。推敲に頭を抱えなくても、人を惹きつける原稿が書ける。そのかわり、書けば書くほど崖っぷちに追い込まれていくような感覚におちいっていきそうだ。刺激はすぐに慣れてしまう。もっともっとと過激さを求めてしまうのが、人間の性だからだ。

私も過去に、自分のわずかばかりひとと違う特徴や経験を削り出して文章を書くことをしていたけど、あってないような身を切り売りする創作はつらかった。いつか品物が尽きてしまう。そんな恐怖もあった。

ひとにも、ものごとにも、特別な何かはなくていい。
だけど、それだと発見されずに埋もれていくばかりになってしまう。

だから、感覚を研ぎ澄ませて歩き回り、一つひとつ丁寧に拾っていく。磨いて輝かせていく。それが編集者の役割なんじゃないか。

転職先の会社に惹かれたのは「一部のハイパフォーマーに頼らない再現性のある組織をつくる」ことをとても重要視していたから。
そして、「これから凄くなる人と働きたい」という採用基準。いま持っているスキルだけを見るのではなく、成長する伸びしろと人間性を重視している点が、私が編集の仕事でやりたいことと合致した。

誰にでも、魅力的な才能やストーリーがある。
私の役割は、本人が言わなくてもその魅力に気付くこと、知ろうとすること、尊重すること、引き出すこと、形にすること。

これが、私の理想の編集者像だ。
いろんなことを気付かせてくれた人と経験に感謝しつつ、今度はしっかりボタンを閉めて、みんなと一緒にステージに立ちたいと思う。




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