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エッセイは、忘れられない思い出の残し方のひとつかも〜京都ライター塾アドバンスコース第五回講義レポ〜(8/28)〜

江角悠子さん主催の「京都ライター塾アドバンスコース」に参加しています。今回は寒竹さんが講師としていらして、エッセイの書き方について学びました。エッセイの書き方について講義を受け、事前課題だったエッセイに対する添削とアドバイスをしていただきました。

▲1、2、3、4回目講義の受講レポはこちらから。

エッセイとは

エッセイとは、次のような特徴のある文章なのだそうです。

  • 情報ではなく、自分にしか出せない気持ちや感情、考えを書いていく。感情をよく観察して書いていく。

  • さらにおもしろいエッセイを書くためには、他の人にも役立つようなシェアしたくるような、小さな発見・気付きを主役にする。

  • 状況をありありと想像する。五感をフル活用し、そのときにタイムスリップしてありありと思い浮かべながら書いていく。

小さな発見・気付きがあると、よりエッセイが面白くなる

事前課題としてエッセイを書きなさいと言われたときは、本当に迷いました。エッセイとは?と考えるほどにわからなくなるから。

しかし今回講義を受けて、なんとなく、本当になんとなくですが、エッセイってこういうことを書けばいいのかなとおぼろげながら尻尾をつかめた感覚があります。

今回なるほどと思ったことのひとつに、「さらにおもしろいエッセイにするためには、他の人にも役立つようなシェアしたくるような、小さな発見・気付きを主役にする」という話がありました。

わたしは、1,000冊以上少女マンガを持っているほど少女マンガ大好きなのですが、漫画にも通じるものがあるなと思います。

例えばわたしは勝田文さんの「マリーマリーマリー」が大好きなのですが、この漫画、一話ごとの最後にエピローグが入るんです。そこに今回のお話を通じて主人公が学んだことや感じたことが書かれるのですが、このエピローグがなんとも良くて。

▲勝田文さんの描く「ダメ男」がかっこいいんだなあ、もう。

この「マリーマリーマリー」という漫画、シリアスな展開はほぼなくただ幸せでお気楽な物語。でも、エピローグがあることで物語の深みが増して、かつ、読者の記憶とリンクする役割を果たしてくれていると常々感じていました。例えばこんなエピローグ。

"森田さんと一緒いる時のわたし、他の誰といる時より一番かわいいよ。森田さんと一緒にいる時のわたしが一番すき。"

「パートナーとうまく行っているときってこうだよね〜。」なんて過去の自分を思い出したり、また、「自分のことを好きでいられない恋愛はすべきではない」と言い切った女友達との存在を思い出したり。

エッセイも同じなんじゃないかと思ったんです。まず自分の体験を、読者がリアルに想像できるように、追体験できるように描写する。そして最後に「気づき・発見」を書くことで読者の体験や思い出を呼び起こす手助けをしてくれる一面もあるのかな、と。

エッセイを書くのは楽しい

添削を経て直した課題エッセイがこちらです。子どもが生まれてぽかぽかと満たされた気持ちを中心に綴りました。

この課題を書きながら、”情景を描写する”のがとても楽しく感じました。子育てをしていると、「ここの瞬間を切り取って残したい」「今この瞬間を(夫や両親に)伝えたい」と思う瞬間がたくさんあるんです。

写真が上手な人は写真もいいかもしれない。
でも、わたしは写真がうまくなくて、見返すこともほとんどありません。なにより、心動かされる場面で、肉眼で見ずにカメラのレンズ越しに除くことが、なにかとってももったいないような気がしてしまうんです。だから、自身のことを「記録より記憶派」なんて言ってきました。

写真の代わりに文章で残したら、何度もそのときの状況を思い出せるからいいかもしれない。そう思うと、書き残したいことが山程思い浮かぶことに気がつきました。

例えば、寝かしつけのときに長男(5)がこっそり教えてくれたこと
ピクニックで食べるおにぎりがとんでもないごちそうなこと
休日の朝家族分の水筒を用意するとき、「母ちゃんやってんな〜」と自分が誇らしくなること

読者に読んでもらって楽しいと思ってもらえる水準までには至っていませんが、感情が揺さぶられた出来事を忘れないようにエッセイとして綴るという行為はとても楽しい。

今朝も昨日あった出来事をエッセイとして書いてしまいました。これからエッセイばかり書きたくなってしまうかも!?とすら感じています。まずは自分の楽しみのためにエッセイを書いていこうと思います。




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