思弁逃避行 21.期間無限定自意識

 人によっては魅力的にも聞こえ、また人によっては忌々しくもあるこの言葉。

 期間限定!

 この世には期間限定のものがある。言ってしまえばこの世のものはおおよそ全てが期間限定ではあるのだがそういう話ではない。ハンバーガーショップやお菓子業界での話だ。気を抜いていると、夏になれば爽やかなフレーバーが、冬になれば濃厚なフレーバーなどがレギュラーメンバーとは別で次々と登場してくるのだ。私はこういったものに手を出すのがどうも苦手だ。そう、私にとっては「期間限定」という帯は忌々しいもの他ならないのだ。
 なんといってもこの手の冒険をしてみて成功した試しがない。いつも注文している安心と信頼のおいしさを切り捨てて、私はなぜこんなにもイマイチなものを食べているのかと憂鬱な気分になってくる。しかも金を払ってだ。
 もちろんこのような小さな冒険があるからこそ出会える美味しい感動もあるのだろうが、そこに賭けられずいつもいつも同じ喫茶店で同じナポリタンばかりを注文してしまうのだ。店員にナポリタンとあだ名が付けられていたとしても甘んじて受け入れるほかはない。

 しかし、それとはまた別で「限定!」と書いたくらいで飛びつくと思うなよ、といった安っぽいプライドが自分の中にあることも否定はできない。
 例えば、買おうと思っていた小説が映画化した日には急いでその小説を買いに本屋に走らねばならない。話題になり売れ切れてしまうのではないかという心配ではない。早くしなければ、最悪の帯が本に巻かれてしまうからだ。私は本屋に急ぐ。

「話題沸騰中!映画化決定 -菅田将暉主演-」

 手遅れだ。
 この手の帯が巻かれた途端、自意識の肥大が止まらない。俺は別に映画化するから読むわけじゃない、菅田将暉が主演だから読むわけじゃない、そういった表情・素振りをしてやっとの思いでレジを通すことができるのだ。
 私自身もわかっている。菅田将暉は何一つ悪くない。別に嫌いでも好きでもない。なんならちょっとだけ好き寄りくらいだ。悪いのは私の自意識でしかない。

 そんなこんなで20年以上も陳腐なプライドと臆病さの権化として生きている私だが、やはり情けないことには変わりがない。少しずつでも殻を破っていくべきか。いや、殻なんて立派なものではない。このぷにぷにと貧弱な自意識の膜を広げ、閉じこもったまま可動範囲を広げていく。それならできるかもしれない。
 俺、芥川賞取りたての小説だって買うよ。チキンタツタ以外の限定バーガーも食べてみるよ。ハロウィン時期に出てくるカボチャ味のお菓子だって買ってやる。

 強い決意とともに、つい先日同居人が買ってきたカントリーマアム(期間限定甘夏チーズケーキ味)が冷蔵庫に入っていることを思い出した。冷やして食べると美味しいよ!とうたった商品だ。私は意気揚々と取り出し、ポイと口に放り込む。
 しかし結局、冷やしたところでこのカントリーマアムはさほど美味しくはない。なんなんだよ。バニラ味でいいじゃん。
 やはり帯を外してレジに向かう日々はしばらく続きそうだ。

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