畑中幸子とリトアニア(毎日読書メモ(543))
宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版)を読んだ時(感想ここ)、巻末の参考文献に畑中幸子『リトアニアー小国はいかに生き抜いたか』(日本放送出版協会)があった、ということを書いた。
畑中幸子は、文化人類学者として、南太平洋(ポリネシア)の島民の習俗を研究し、その後、ニューギニアの山中の民族の文化史の聞き取り調査をし、その後、リトアニアの研究をしている。
ニューギニアの山奥での研究中、作家有吉佐和子が畑中を訪問した経緯を綴ったエッセイ『女二人のニューギニア』は河出文庫から出ていて、最近話題の本として書店で平積みになっているのをたまに見かける。わたし自身もとても面白く読み(感想ここ)、この時に畑中さん自身の書いたものも読みたいと思って、岩波新書から出ている『南太平洋の環礁にて』を読んでみた(感想ここ)。
ポリネシア、ニューギニアと、リトアニア。なんだか全然印象が違う。未開の地(ちょっと表現は悪いが)で、文明化の波に洗われる前から残っていた言語や習慣や風俗を聞き取って記録に残そうとする作業と、地政学的に重要な位置にあり、結果として大国間の抗争に巻き込まれながら存続してきた中欧(とは一般には呼ばないが、東欧の中で西を向いている印象のある地域?)のリトアニア、印象は全然違うのだが、図書館で借りてきた2冊のリトアニアの本を読んで、ここにも、書き残しておかないと消えてしまう、重要な歴史が残っていたこと、自分が何も知らなかったことについて激しく衝撃を受ける。
『リトアニア 小国はいかに生き抜いたか』畑中幸子(NHKブックス)が1996年刊。
『リトアニア 民族の栄光と苦悩』畑中幸子・ヴィルギリウス・チェパイティス(中央公論新社)が2006年刊行。
ペレストロイカの余波により、バルト三国でソビエト連邦からの独立の機運が高まり、流血を伴う激しい運動が展開され始めたのが1980年代末期、リトアニアの独立が国際的に認められるようになったのが1991年、NATOとEUに加盟したのが2004年。
1990年代から畑中はリトアニアに聞き取り調査に行くようになったが、最初は証言者を見つけるのにも難儀する、厳しい状況で、そんなうちに歴史の証言者たちは亡くなっていった。
13世紀に成立したリトアニア大公国は16世紀にはポーランドと合併した連邦国家になり、それが1795年にポーランドが消滅、1796年にはリトアニアもロシアに併合されてしまった。一旦ナポレオンの支配下にはいった時期もあったが、またロシアの支配下に戻り、ロシア革命をきっかけに、1917年にリトアニア評議会が発足し、1918年にリトアニアは独立した国家となる。
しかし、第2次世界大戦下、リトアニアは独ソ戦の舞台となり、一旦ナチス・ドイツの占領下に入ったリトアニア(この時期に、リトアニアに住んでいたユダヤ人たちは、アウシュヴィッツにもおとらぬ激しい迫害を受けた)は1944年にソビエト連邦に再占領され、ソビエト連邦の構成国としての時代が40年以上続き、ようやく独立しても、ソビエト共産党の影響はなかなか弱まらなかった。
第2次世界大戦終結前から、リトアニアのリーダーだった政治家たち、知識人たち及びその家族は殺害されたりシベリア等遠方の地に流刑になったりして、リトアニアの地を二度と踏まないまま亡くなったり、帰国できても自分の不動産や財産は没収されたままで思うように暮らせないまま過ごしていたりした人が多かった。『リトアニア 小国はいかに生き抜いたか』は、まだ失地回復できていない、かつてのリーダーたちや文化人たちの苦悩を、畑中がつてをたどって必死に聞き取った過程が描かれ、人間は同じ人間に対してどれだけ残忍なことが出来るのか、ということがありありと再現されていて、読みながら言葉を喪うことばかりだった。
『ラウリ・クースクを探して』(これはエストニアの話だが)の中でも重要な要素として描かれたパルチザン(森の兄弟、と呼ばれた)はリトアニアでもひそかに大きな勢力をもっていたが、その中にもスパイが潜入したり裏切者が出たり、活動遂行には大きな困難が伴っていた。
第二次世界大戦後のリトアニアで、迫害を受けることなく生き延びるには、共産党に支配された政府に抵抗することなく、骨抜きのように生きるしかなく、結果として、士気のあがらない国民性が醸成されてしまった。
戦争に負けて、アメリカに占領された日本が、その後高度成長期を迎えていたその時代に、大国に占領され言いたいことも言えず、自国の言語も思うように使えずに生きていた国があることに、気づこうとしてこなかったことに気づく。
『リトアニア 民族の栄光と苦悩』は、10年後の刊行なので、リトアニアの歴史を中世の時代から21世紀に至るまで概観し、リトアニアの独立とその後の国際社会への進出についても語っているが、2000年代初頭のリトアニアはまだ多くの混乱に見舞われていたことが、読んでいてありありとわかる。ロシア、ソビエト連邦、ナチス・ドイツ、さまざまな勢力に翻弄される中、亡命してアメリカ等に渡ったリトアニア人も多く、そこから差し伸べられる手や資金援助もあるが、彼らがリトアニアを離れて長い月日がたっているため、リトアニアの人々とのギャップも拡大している。
物事の状態が一定のままずっと続くということはありえず、今の社会がこのまま100年後も同じように続いていることはないし、だから、100年前と今の社会が全く異なることもわかるが、理不尽な力により、捻じ曲げられ、失われた文化や政治があったことも、忘れてはいけないし、同じようなことが起こらないように、世界全体でつとめていかなくてはならないと思う。失われゆくものを記録し、忘れないようにする、歴史家や文化人類学者の営みの貴重さを、畑中さんの本を読むと強く感じる。
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